第12話 体育の授業は地味にしんどい

 体育の授業はいつの時間帯にすれば体力の減少を最小限に抑えられるだろう。


 一限の初っぱなに体育があると朝からテンションがだだ下がりするし、四限にあると終わった後昼休みがしんどい。場合によっては昼飯が食えなくなるのでこれも地味に辛い。


 かと言って昼食後の五限だと昼飯のメニューによっては胃に入った食べ物が負担になるし、六限だと放課後が地味にしんどくて帰る時が辛い。


 つまり消去法にのっとれば理想的な体育の時間は二、三限の授業にすれば良いんじゃないかという見解になるのだが……全学年とクラスの時間割と場所による都合で望んだ時間割に体育が出来るわけもなく。


 体育のある日ですらしんどいのに……今日はよりによって四限目に体育がある日だった。


 しかも授業内容が体力測定の持久走ときたもんだ。いかにも新学期らしい種目だ。


 走る前から気分が下がっている俺の脳内ではBGMとして某番組で使われるマラソンメドレーが流れていた。


 うちの学校の体育は三クラス合同で、体力測定とか大量の記録が必要な陸上競技の場合に限りスムーズに測定するため男女合同のローテーションで行われる。


 いかせんうちの高校はクラスの数も人数も多いから。一回の授業だけでは測定が中々終わらない。


 前回は短距離走やボール投げや握力計など比較的に体力を使わない測定で楽だったけど。


 あー嫌だ。よりによって一番しんどい持久走か。


 自己ベスト更新に燃えるほど熱血な性格でもないし。そもそもスポーツ自体もあまり好きじゃないんだよなぁ。


 ここは適当に流して遅すぎない程度の無難なタイムを目指すか。


「よーし持久走の測定があるA組の残りとB組の男子は準備運動ウォームアップに行ってこい」


 体育教師の号令で準備体操を終えた男子の群れがゾロゾロと移動を開始する。俺もその群れに混ざって軽いランニングを始める。


 どうして持久走の時だけランニングして余分に走らなきゃならないんだ。微妙にペースが早いから体力がそこそこ削れるんだけど。


「しけた面してるな利苑。まぁ、持久走が嫌な気持ちは分かるけどよ」


 ランニングの最中、A組の残りに混じっているケンちゃんが俺に声を掛けてきた。


「持久走もそうだけど。そもそも体育自体が好きじゃないんだよね」

「バッカお前。今日は女子の体育してるところを生で見れる数少ないチャンスなんだぞ? 走る前からそんなんでどうすんだよ」

「ケンちゃんと違って俺にそんな余裕はないよ……」


 ウォームアップ中にそんな会話をしていたら走っている男子の群れの一部から俺達をあざ笑う声が聞こえた。


「はっ、うっざ」

「ああいうのって寒いよな」


 ギリギリ聞き取れるくらいの声量。誰に向かって言ってるか分からない感じが、いかにも嫌味ったらしい。


「おい、利苑。何か言われてるぞ」

「いや、あれはケンちゃんでしょ?」


 俺と違ってケンちゃんはヒエラルキー高めの陽キャだから。他の何ちゃって陽キャにやっかまれることもあるんだろう。


 ケンちゃんって典型的なクラスの中心人物キャラだし。自慢の妹(見た目だけ)もいるし。背も高いしバスケ部だから。

 いやー友達の俺は鼻高々だわ。友達自慢を語り出したら俺は止まらないよ? 恥ずかしいから語らないけど。


「いや、オレの悪口なら別に気にしないんだけどな。何だっけ、そう言うのは負け犬の遠回しだったか?」

「負け犬の遠吠えね。何に負けたのかは知らないけど」

「そうそれ。まぁ、吠えたい奴には言わせとけばいいんだけどよ。万が一にも利苑の方だったら許せねーからよ」

「奇遇だねケンちゃん。俺も自分のことなら我慢できるけどケンちゃんのこと馬鹿にする輩は許せないかな」

「だよな。利苑のことキラキラネームの中途半端イケメンとか言う奴は許せねーよ」

「よーし。まず最初にケンちゃんから締め上げようかな!」


 そんな漫才めいた会話を二人で繰り広げていたら周りのクラスメートを含む男子の何人かに笑いが広がった。


 嫌味を言った輩は現在進行形で不快感オーラを発しているから誰なのかは察しがついているんだけど……ここで突っかかると問題しか起こらないのでスルーした方が良さそうだ。


 ウォームアップで温まるのは身体だけで十分だ。


「よーし利苑。ここらでワンツーフィニッシュをキメて格の違いってやつを見せてやろーぜ?」


 ウォームアップが終わり、持久走のスタートラインに並んだ瞬間、ケンちゃんはそんなことをポツリと言った。悪戯好きの子供みたいにニヤリと笑うその顔がどこかの食いしん坊と重なって見えた。


「ええ、陸上部エースの兎田とだくんがいるのに一位とか無理でしょ……」

「やってみなくちゃ分かんねーだろ。あっ、負けた方が罰ゲームな」

「真の敵は身内だったか……」


 そんな無駄話をコソコソしていたら体育教師のスタート合図が「よーいドン」と小学生の徒競走みたいに始まり、外履きの雑踏がバタバタと慌しく砂ぼこりを巻き上げる。


 どうやらさっきの約束はケンちゃんの中ではガチだったらしく、スタートしてから暫く経つとケンちゃんはトップ集団にピタリと肉薄していた。


 くっ、サボり魔とはいえ流石はバスケ部。走ることに関しては陸上部といい勝負をしている。


 かくいう俺は元から速くもなければ遅くもない平均タイムだから真ん中くらいの集団に揉まれて軽く人間酔いを起こしていた。


 一位はともかく、少なくともケンちゃんに勝たないと罰ゲームが待っている。


 別にケンちゃん相手なら罰ゲームやっても問題ないんだけど……。


「はっ、キラキラなのは名前だけだよな」

「マジそれな」


 持久走の最中にそんな余裕たっぷりの嫌味が耳に入ったら、いくら『仏の織原』と呼ばれるくらいには良い人キャラに定評のある(自称です)俺でもカチンと来る事があったりなかったり。


 あーもー、腹立つけど何にも出来ない。


 こういうのってムキになって反応すると泥沼化待った無しなんだよなぁ。


 やられたら倍返しは中学生までだから。

 誰かと競争するのは高校受験で終わりにしたから。

 別に俺が頑張る必要なんてないんだ。

 もう無理して頑張らなくても良いんだ。

 何事も省エネで済ませて、何かあれば「やれやれ」と言って当たり障りのない無難な落とし所で物事を終わらせる。


 そんな器用な人間に──。


「こらー! サボんなバカ利苑!」


 成れたらどんなに楽できるかって話だよな。


 耳に入った狂犬の遠吠えに心の中で苦笑いしつつ歩幅ストライドを広げてピッチを強引に上げる。


 多少は頑張るけど、放課後に肉体労働だけは勘弁してくれよ。


 今更頑張っても大した成果なんて出ないだろう。


 ほら、トップ集団になんて全然追いつけない。

 俺はべつにスポーツ得意じゃないし。

 心臓が悲鳴を上げるのは普段からちゃんと運動してないから。

 走行法を変えてもスピードが出ないのは才能がないから。

 努力を怠るのは精神が弱いから。

 それに人には得意不得意がある。

 みんな違って平等じゃない。


 そんなことは分かってるけど──。


「はっず。女の前でだけ本気出すなよ」

「分かる。ああいうの痛いよな」


 こいつらと同類にだけはなりたくない。そう思ってしまう黒い自分がいる。


 なんでもかんでも言い訳ばかりじゃカッコ悪いよな。


 そんな『らしくない思考』を抱いて俺は体育教師が待ち構えるゴールラインに向けてラストスパートをかける。


「ぬぉぉぉぉ……っ!」

 歯を食いしばって走ると口から変な声が漏れ出た。


 こういう頑張りは体育祭でこそ発揮するものだろと自分に対してビシッと突っ込みを入れる。


 身体を張った渾身のボケが何かの役に立ったかは分からないけど。


「織原、4分55秒37」


 どうやら自己ベストの更新という目に見えた成果は出たようだ。

 柄にもなく全力疾走したせいで脇腹が死ぬほど痛かった。

 今なら秒で吐く自信がある。というかもう吐きそう。


「おーし。終わったやつからクールダウンしてこいよ。すぐに休むと乳酸たまって後が辛いからな」


 体育教師の脳筋な指示で暫く歩かされる事がどれほど辛いか。


「はーはーはー、しんど……」


 ヒューヒューという風切音みたいな荒い呼吸を繰り返して息を整える。身体から噴き出す汗が体操着に張り付いてすごく気持ち悪かった。


「なんだよ九着とかだらしねーな。そんなんじゃワンツーフィニッシュとか夢のまた夢だぞ」


 クールダウン中に涼しい顔で声をかけるケンちゃん。なんでそんな余裕なの? ちゃんと本気で走ったのかな?


「……ちなみにケンちゃんは何着だったの?」

「ん? オレか? 二着だったよ。やっぱ陸上部の兎田はえーわ。四分切るとかハンパねーよ」


 競技が違ってもちゃんと称賛するのが体育会系のノリというか、相手に敬意を払うのがスポーツマンシップらしいというか。


 そういうの俺にはもの凄く眩しく見えるよ。むしろ汗で霞んでよく見えない。なんなら目が染みるまである。


「まぁ、連中より速かったから罰ゲームは無しにしてやるよ」

「あれ? やっぱ罰ゲームはマジだったの?」

「おう。負けたら日向子に向かって「お前、最近ちょっとだけ肥えたよな」って言わせるつもりだった」

「何その怖すぎる罰ゲーム。もはやただの死刑じゃん」


 連中に勝ったことよりも罰ゲームしなくて済んだことの方が安心したわ。


「いやー、早く終わったおかげで女子の反復横跳び見れてラッキーだったわ。マジ可愛いかった」


 満面の笑みで下衆なことをいうケンちゃん。その余裕を俺にも少し分けて欲しかった。


 俺も女子のぴょんぴょんする姿を生で見たかった。


「ほんと、やれば出来るんだから最初からビシッとやりなさいよねー」


 体育の授業が終わると移動の最中に鬼教官に成り果てた日向子にスパーンと背中を叩かれ、そんな小言をブツブツと言われた。


「……お前、授業中にヤジ飛ばすなよ。恥ずかしいだろ」

「ふーんだ。無様を晒す利苑が悪いのよ」

「平均タイムが無様とか意識高すぎませんか?」


 ツーンと塩対応で突っ張る日向子。どうせ塩対応するならその塩分はスポーツドリンクにでも入れてくれ。


「自己ベストおめでと。じゃあ昼休みにね」


 遠去かる日向子のうっすらと透けた背中を見てふと思う。


「ほんと、甘いんだから塩辛いんだか分かんねーやつだなアイツ」


 とりあえず昼休みに自販機でスポーツドリンクでも買っておこう。じゃないと喉がカラカラで昼飯食えねーわ。


 結論、体育は授業からなくすべき。異論は認める。

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