第二章 ライド・オン・タイム

第8話 犬伏家のカレーなる食卓(前編)

 腹が減っては戦は出来ぬと最初に言い出した人は誰なんだろう。


 ことわざの意味では単純に空腹(エネルギー不足)だと自分の潜在能力ポテンシャルを十分に発揮出来ないって意味なんだろうけど。


 自分なりに捉え方を変えれば、何ごとも取り組むためにはまず一定のエネルギーが事前準備で必要だと説いているとも思える。


 事前の段階で長丁場が分かっているなら、安易に動かないで英気を養うのも一つの選択なのだろう。


 色々と語ってみたが端的に言うと俺は今めちゃくちゃ腹が減っている。


 正直言って今日はゴリゴリに精神面メンタルが削られた。明日からの事を考える気力もかない。


 今はとりあえずエネルギーの充電が必要だ。


 日が沈んですっかり暗くなった午後七時。俺は馴染みの飲み屋に顔を出したサラリーマンの如くふらりと犬伏家のお宅に訪問した。


 気分的には会社の同僚(ア◯ゴさん)に誘われたマ◯オさんだった。主に家に帰らないと行けないタイミングで寄り道するところが。


 いや、家にはちゃんと連絡入れたよ? 婆ちゃんに「夜は犬伏さん家で飯食べるから」って伝えたから。

 電話の向こうで莉奈のブーイングが聞こえたけど、そこまで気にしたらキリがない。


 玄関の前でピンポーン、とインターホンのボタンを押すと「こっち今忙しいから勝手にあがって」と切羽詰まった感じの声が通話機から聞こえた。


「お邪魔しまーす」


 玄関のドアを開けて中に入ると、廊下の奥からふわりと香辛料の匂いと思わしきスパイシーな香りが流れてきた。


 ふむ。この匂いはカレーだろうか? いや変化球でエスニック料理の可能性もあるか。


「あら、いらっしゃい利苑くん」


 匂いを頼りにメニューの予想をしていると目元が優しい感じの御婦人マダムが奥の部屋からひょっこりと顔を出した。

 

「こんばんは奥さん。今夜はお世話になります」

「うふふ。奥さんだなんて。私相手にかしこまらなくていいのよ?」

「いえいえ、本当ならお姉さんって呼んでもいいくらいですよ」

「あらやだー、こんなおばさんのこと褒めてもオリハラベーカリーの売り上げに貢献することくらいしか出来ないわよ?」

「いえ、ご愛顧ありがとうございます」

「もう、利苑くんもすっかり大人っぽくなったわね。うちの子達にも見習って欲しいわ」

「いえ、そんな。二人には俺の方が世話になっているくらいです」


 そんなよくある御近所トークを繰り広げていると匂いの出所であるキッチンから切羽詰まった感じの声が聞こえた。


「お母さーんっ! 唐揚げってなんの粉使うの! 粉がいっぱいあってどれだか分かんないんだけど!」


 キッチンから日向子の「きゃー!」という悲鳴が聞こえた。あそこは今戦場と化しているに違いない。


 というか、日向子のやつが料理してるのか? すげえ不安になってきた。


あわただしくてごめんなさいね。あの子ったら「夜ご飯はあたしが作る」って珍しく料理してるのよ」

「ふむ。何かに目覚めたんですかね?」

「うふふ。そうね、朝もお弁当を自分で作っていたし、もしかしたら利苑くんが来るからあの子張り切ってるのかしら」

「…………ふむ??」


 部活が始まったタイミングで何気なく日向子に「今日はお前ん家で飯食うから」と伝えたら。


「あっ、そーいえば。あたし、今日は用事あるんだった。ごめん今日はもう帰るね。あとよろしく」


 そんなことを言って勧誘のポスター作りをサボってさっさと帰りやがったけど……これと何か関係あるのか?


 カレーの煮込みに時間がかかるとか? 日向子のやつ、料理に対してそこまでこだわりとかあったっけ?


「お母さーんっ! 早く来て手伝って!」


 そんな事を言って台所にいる狂犬がキャンキャンと吠え散らかしていた。人の家とはいえめちゃくちゃうるさいと思った。


「はいはい。ごめんね利苑くん。ご飯までまだ時間がかかるから上で健司郎と遊んでてね?」

「あっはい。了解です」


 台所に消えていく犬伏婦人の背中に謎の祈り(祈願?)を捧げて二階に上がるとケンちゃんの部屋からも騒々しい声が聞こえてきた。


「おいおい、ざけんなよ。なんだこの格差マチ。無理ゲーにもほどがあんだろ!」


 ゲームの音でドアのノックが聞こえなかったらしく俺が扉を開けて入ったらスプ◯トゥーンのオンライン対戦(ガチマッチ)に興じていたケンちゃんの身体がビクリと跳ね上がった。


「……なんだ利苑か、ビックリしたじゃねーか」

「一応ノックはしたんだけどね」

「テキトーにくつろいでくれ。オレ今手が離せねーから」


 会話もそこそこにケンちゃんは視線をテレビ画面に戻した。客対応としては最悪なんだけど俺も勝手知ったる友達の部屋なので遠慮なくくつろぐ事にした。


「そういえば、ケンちゃん今日は部活どうしたの? バスケ部にも顔出してないでしょ?」


 ゲーム画面に映る青いインクに染まっていく緑色だったナワバリ(どう見ても負けてる状況)を呆然と眺めて、俺はそんなことをケンちゃんに訊いた。


「ん? ああ、途中でサボった」


 サボったことに罪悪感がないのかあっけらかんと言うケンちゃん。


「……もしかして、女子マネがいなかったから?」

「おう。一年女子の見学もいないから今日はやる意味ないかなって」

「ええ……ケンちゃんの学園生活そんなんで大丈夫なの?」

「いいんだよ。オレはそんなんで」


 その横顔は「なに今更になって訊いてきてんだ」と、言いたげな感じだった。


「……そっか。ケンちゃんが良いなら俺はこれ以上とやかく言うつもりないけど」


 その後しばらく会話が途切れ二人でゲーム画面とにらめっこを続ける。


「……ケンちゃん。チャージャーやってるなら相手のローラーちゃんとケアしないと」

「いや無理無理、相手のローラー王冠付きだぜ? キル数が半端ねーの」

「そうだね。ケンちゃんが芋ってローラー見てないから味方の前衛がキル取られまくってるんだけど」

「ばっかお前、オレの糞エイムで当たるわけねーだろ」

「ええ……」


 糞エイムって。

 負けがほぼ確定しているから開き直ったのかな。


「狙い撃ちとか細かいの苦手なんだよ」

「ええ……じゃあなんでチャージャーやってるの?」

「決まってるだろ。練習だよ、練習」

「いや、ガチマッチで練習は他の人に迷惑だから。しかもこれウデマエX帯じゃん」

「いいんだよ。オレは『エンジョイ勢』だから」

「…………」


 出たよエンジョイ勢理論。

 自分が楽しければ他人の迷惑を考えなくても許されるとか。


 いくらゲームとはいえ、俺はそういう精神面とか信条はあまり共感出来ないかな。


「……なぁ、利苑。エンジョイ勢ってやっぱり迷惑か?」


 太った猫がノックアウトされゲームの敗北が決まった瞬間に、ケンちゃんは俺にそんなことを訊いてきた。


「俺はいいけど。たぶん他の人は迷惑だろうね。大多数はゲーム勝つためにやってるだろうから」

「疲れないか? それ?」


 ケンちゃんは言う。


「他人のこと気にしてゲームやってたら精神がり切れるって。俺はゲームを楽しみたいからゲームやってるんだ」


 それはケンちゃんらしい自己中な考えだった。


「ケンちゃんは協調性とかチームワークって言葉知らないのかな?」

「知らねーな。てめえの人生なんだからてめえの思うように生きるのが一番だろ」

「うん。そうだね。でも、オンラインゲームはケンちゃん一人だけのものじゃないんだけど」


 同意と反論。これも長年の付き合いだから出来る所業なんだろう。


「なんつーか利苑はもっと自己中になれよ。真面目だと疲れるだけだろ」

「えっ、やだよ。俺は味方にあおられたり、地雷してネットにさらされたくないから」


 俺はケンちゃんと違ってメンタル豆腐だから。知らない人とか有名プレイヤーに地雷呼ばわりされたらベッコベコに凹んでしばらくの間はオンラインでゲーム出来ないよ。

 やっぱりゲームは一人プレイが最高だよね。


「ちげーよ。ゲームだけじゃなくて私生活もだよ。お前はいちいち他人を気にしすぎなんだよ」

「……私生活って何の話?」 


 何のことか分からず首を傾げているとケンちゃんは一人の人物の名前をあげた。


「ああん? 今日、牛若丸センコーに職員室呼ばれただろ」

「…………」

 

 ケンちゃんの言う牛若丸センコーは牛丸先生のことだ。名前の牛丸若葉を分解して並べ替えると牛若丸になるからだと思う。葉はどこに行ったのだろう。


「どうせまた「織原は特待生なんだから〜」とか言って面倒なこと頼まれたんだろ?」

「まぁ、そんなとこ」

「やっぱな。で? 断ったのか?」

「一回は断ったけど、断り切れなかった」

「はぁ……」


 ため息の後、ビシッとケンちゃんは言う。


「利苑はもっと自分のために人生をエンジョイしろよっ!」


 ケンちゃんの顔は割とキメ顔だった。いかにも「オレ良いこと言っただろ?」という表情だ。


「人生って大袈裟おおげさな」

「じゃあ青春だな。青春エンジョイ勢」

「なんなの、そのキラキラな勢力。絶対ウェイ系陽キャの巣窟そうくつじゃん」

「ははっ。やっぱ利苑はそういうの嫌いなんか?」

「うーん。嫌いってほどでもないけど。あの軽いノリにはついて行けないかなー」

 

 ああいう人種はなんだかんだで陰で色々と努力してるから、一概に「アイツらは悪だ」と否定出来ないんだよなぁ。


 俺はコミュ力極振りして生きていけるほど器用じゃないし。


「まぁ、てめえで言っといてなんだけど。青春をエンジョイするのって具体的に何すれば良いんだろうな?」


 少し照れ臭そうなケンちゃん。

 俺の目線で言えば、そういう発想に至る時点で十分青春をエンジョイしてると思うけど。


「それは人によるんじゃない?」

「いや、それでもある程度のテンプレはあるだろ。学校に関係する何かで」

「……部活とか?」

「それはエンジョイするとしんどいからパス」

「ええ、それ言い出したら何も楽しめないよ?」

「いや、なんつーの? オレは夢中になれるものが欲しいんだよ」

「夢中になれるものかぁ……」


 二人であーだこーだと駄弁って最終的に着陸した結論は、思春期を拗らせた男子なら誰しも一度は考えるものだった。


「……やっぱ彼女カノジョなんじゃない?」

「……やっぱ彼女だよな?」


 結論は出た。

 青春を楽しむためには恋人の存在が必要不可欠であると。


「いや、なんつーの? オレの場合だと彼女いらないって見栄を張る輩とは仲良くなれる自信ねーわ」

「奇遇だねケンちゃん。俺も女の子に興味ないわーとか言う奴とは友達になれる自信ないよ」

「…………」

「…………」


 この雰囲気には覚えがある。

 例えるなら、修学旅行の就寝時刻にテンションが上がって好きな子をカミングアウトする感じの流れだった。


 思春期の男子は友達と色恋沙汰を語り合いたい時があるんだ。

 定期的に。


「「で? 誰が好きなわけ?」」


 俺とケンちゃんの声が綺麗にハモった瞬間だった。こんなにハモったの中学時代の合唱コンクール以来だ。


「んだよ。オレは後でいいから利苑が先に言えよ。ちょっと位なら手伝ってやれるかもしれねーから」

「いやいやいや。俺なんかよりもケンちゃんの方が可能性高いでしょ。俺はひとまず友達の恋愛を応援してワンクッション置いてから自分の恋愛に行きたいって感じだから」

「いや利苑が先だろ」

「いやいやケンちゃんが先でしょ」


 美しき男同士の友情の水面下で繰り広げられる腹の探り合い。お互いになんとかして相手に好きな子をカミングアウトさせたかった。


 俺もケンちゃんも友達の好きな子に興味津々だった。


「なーに男同士でいつまでもイチャイチャしてんの! とっくにご飯出来たんだけど!」


 バターン、と。

 ノックもなしに勢いよくドアを開いた人物はエプロン姿の日向子だった。


「………………っ!?」


 目に飛び込んできた太ももに俺の胸がドキリと跳ね上がった。


 日向子のあまりの露出具合に一瞬だけ裸エプロンに空目してしまった。


 健康的で肉付きのいい日向子の柔肌が惜し気もなくあらわになっていた。


 エプロンの下は太ももが丸出しのショートパンツで部屋着にしてもずいぶんと薄着だった。


「あたしのお腹はもうペコペコなんだから。ほら、早くして」


 不覚にも日向子に催促されるまで俺はつきたての餅みたいなモチモチの太ももに見入っていた。


「ボケッとしてないで動く! せっかくあたしが作ったんだから冷めないうちに食べてよね!」


 キャンキャンと吠える日向子の後を追って俺とケンちゃんはキッチンに向かう。


「ははっ。日向子のやつホント分かりやすいよな」

「…………分かりやすい?? 何の話?」


 向かう最中でケンちゃんに同意を求められたけど、何が分かりやすいのかはよく分からなかった。


「はぁー、こりゃ青春エンジョイ勢はまだまだ遠いな」


 俺の反応にケンちゃんはなんだか呆れた様子だった。

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