第7話 牛丸先生は仕事を丸投げしたい
自教室の掃除が終わったタイミングで担任の
呼び出しを喰らう理由に心当たりがあった。
ほぼ間違いなく今朝のタクシー通学の件だろう。
めんどくせえ。時間ギリギリだけど間に合っただろ。それとも通学にタクシー使うなってか?
ああ、職員室行きたくねえ。もうこのまま帰りたい。
大神さんには嫌われるし今日はとんだ
そんなネガティブ思考が芽生えるテンションだだ下がり状態で職員室に向かう事がどれほど辛いことか。俺の気分は完全に落ち込んでいた。
「失礼します」
挨拶をして職員室内に入ると見慣れた白衣姿の女性教諭に「こっちに来なさい」と手招きされた。
職員室特有の張り詰めた空気に居心地の悪さを覚えながら俺は牛丸先生の
「ボイコットしなかったみたいで安心したよ。まぁ、楽にしてくれたまえ」
「はぁ、そうですか」
先生は勤務中にもかかわらずデスクにタブレットPCとスマホを置いてソシャゲの同時プレイに興じている様子だった。
本棚に目をやれば週刊少年雑誌。飲み物はコンビニのカフェラテ。机の隅には手軽につまめるスナック菓子の数々。そしてタバコの吸殻が山になっている灰皿。
先生のデスクからは私生活と人間性がにじみ出ていた。
というか教員の机がこんなんでいいはずがない。牛丸先生、こんな勤務態度でよく
「どうした? 先生の机をジーッと見て。もしかして掃除でもしてくれるのか?」
「いえ、先生みたいな大人にだけはならない様に今後も気を付けようって思っただけです」
「ははっそうか。織原の反面教師になれただけでも教師になった
年下の高校生に生意気なことを言われても先生はまるで歯牙にかける様子はなかった。
こういうフラットな態度は、単に先生に情熱めいたやる気がないだけなのか、大人の余裕で俺をあしらっているのか今ひとつ判断に悩むところだ。
ほんと、この先生は見た目と中身のギャップが凄まじい。
見た目はいかにも理系(メガネ)の知的美人なのに中身は女子力(妙齢だけど)のない絵に描いたような干物女ときたもんだ。
先生を見ていると
普通ならメガネと白衣の理系女教師とか属性盛り盛りでめちゃくちゃ萌えるはずなんだけど。
それはそれとして。
「それで用件はなんですか?」
出来れば職員室なんて居心地の悪い空間は一秒でも早く退出したいので俺は早急に本題に切り込んだ。
どうせ何かしらの注意勧告だろう。じゃなければわざわざ職員室に呼び出さないだろうし。
要は周りにいる教員へのアピールだろう。先生は「私、ちゃんと教師やってますよ」っていう一種の自己顕示がしたいんだ。
クソ生意気な思考でそんな風に思っていたけど。
予想に反して牛丸先生が告げた事はなんとも神妙な事案だった。
「実はな、織原に一つ頼みたい事があるんだ」
「俺に頼み事……ですか?」
この手のパターンで牛丸先生からまともな案件を頼まれた記憶がない。
例えば、前回だと期末テストのプリントを渡すついでに不登校気味な生徒の安否を確認するとか。
さらにその前だと自分が顧問をしている天文部の部員になれとか。
あとはクソ真面目な生徒会役員(誰とは言わない)との間に入ってクッション材になれだとか。
そういう長期にわたる案件は普通なら教師が受け持つ物だと思うんだけど。
どちらにしても面倒ごとに変わりはない。
いや、待て希望を捨てるな。もしかしたら作業運搬とかただの力仕事ですぐに終わるかもしれない。
「とりあえずこの資料を見てくれ」
牛丸先生が差し出したのは一枚の写真が付いた生徒名簿だった。
名簿に記載されている名前と写真に写っているその顔は記憶に新しいものだった。
「……あれ、星野さん?」
そう、手渡された資料は今朝知り合ったばかりの女の子、星野さんに関する生徒名簿だった。
「なんだ。もしかして知り合いだったのか?」
「いえ、知り合いってほどでもないです。顔と名前を覚えてるくらいで」
「ふむ。クラス外で転入したての女子生徒の情報を仕入れているとは、織原も意外と隅に置けないな」
「意外とは余計です」
「ははっ。そうだな」
ほくそ笑んでる先生を尻目に、俺は生徒名簿に記載されている項目を上から順に目で追っていく。名前があり現住所があり学歴があり。
そして最後の項目に赤ペンでアンダーラインが引かれた特記事項があった。
記載されている内容はこうだった。
特記事項。
家庭事情により現在は一人暮らし。
明確な転入理由は不明。対人関係によるトラブルの可能性が高い模様。
我が校の母体、学校法人天城学園グループの最高責任者である天城理事長の血縁者のため対応には十分留意されたし。
特記事項の項目を見て嫌な予感が確信に変わった。
というか、こういう個人情報って安易に生徒に見せたらダメなヤツなんじゃ?
この学校セキュリティ大丈夫か?
まぁいい。とにかく希望は消えた。なら後は面倒ごとに巻き込まれる前に予防線を張るだけだ。
「……俺はやりませんからね」
「まぁ、待て。まだ何も言ってないだろ」
「何も言わなくても大体の察しはつきます」
「ほう。では君の考察を聞かせてもらおうか」
人を小馬鹿にする子供の様にニヤリと牛丸先生の口元が緩んだ。
その顔マジで腹立つ。
「正解を答えたら特別に今回の件は保留にしてやってもいいぞ」
「…………えっ、本当ですか?」
いや、保留なのか。それ正解言っても言わなくても結局は手伝わされる流れじゃん。
「正解を引けるよう頑張ってくれたまえ」
「…………」
もしかしたら別の誰かに移る可能性もあるのか?
本当にそうなら真面目に答えた方が良いよな?
「えっと……学園内における居心地の良い空間、いわゆるプライベートルームを星野さんに提供する、とかですか?」
「プライベートルーム……なるほど。では、それに至った根拠を提示してくれ」
なんだろう。なんか授業の
即座に否定が入らないあたり、案外正解に近いのかもしれない。
「まず最初に考えたのは星野さんの『前の学校』での境遇です。この特記事項の項目を考慮すると、星野さんは対人関係、主に生徒同士の間でなんらかのトラブルがあったと予想されます」
こんな感じで説明すると発表会やってるみたいで嫌なんだけど。
「……どうして生徒同士だと決めつけられる。対人関係のトラブルなら生徒と教師の間だって起こり得るだろう」
もっともな意見を出す牛丸先生。意見というより粗探しな気がするのは俺の被害妄想だと思いたい。
「そうですね。でもその可能性は低いと思います」
「何故だね?」
牛丸先生にしては珍しく、俺の仮説に興味を抱いている様子だった。
「それは星野さんの人柄というか、性格上でそれは有り得ないと思ったからです」
「性格上、か。私は彼女の人柄をまったくと言っていいほど知らないからな。そこらへんは是非とも教えて欲しいのだが」
俺にさらなる説明を求める牛丸先生。完全に聞きに徹する姿勢だった。
「第一印象としては真面目で誠実な感じがしましたね。金銭面で初対面の人間にとやかく言えるのはかなりのお人好しだと思います」
「ふむ。という事は君と彼女との間に金銭のやり取りがあったと?」
「ふぁっ!? い、いえ。金銭のやり取りはありませんよ。俺が奢るつもりだったんですけど、向こうがちゃんと払うって言っただけです……はは」
「そうか。話を続けたまえ」
危ない。いらない事を口走って墓穴を掘る所だった。
「そんな彼女が目上である教師相手にトラブルを起こすとは考えにくいので生徒間、おそらくクラスメートと何かしらの問題があったと考えるのが一番自然だと思うんです」
「…………」
先生はおもむろにタバコを口に
「……生徒の前で堂々とタバコを吸わないで下さい」
「ああ、失礼。考え事をするとつい癖でな」
先生はタバコをケースにしまってデスクをトントンと指で叩き、何かを考える仕草を取った。
「つまり君はあくまでもトラブルは第三者が持ち込んだ物であって彼女には一切の非が無いと言いたいわけだな?」
「え? いや、それは……」
なんだろうその質問。
それは星野さんの方に問題があったって言いたいのだろうか。
「……先生は星野さんが『被害者』じゃなくて『加害者』の可能性があるって言いたいんですか?」
「ああ。その発想はいささか早計だと思うのだが?」
「早計ですか?」
「そうだ。君は、この資料からくる先入観で彼女が前の学校でイジメの被害にあったと勝手に決め付けている。違うか?」
「…………っ」
確かにそうかもしれないけど。
でも、転校する理由なんてそれ以外にあるのだろうか。
「……それを言い出したら、この特記事項だってそうじゃないですか。まさか本人に直接聞いたわけじゃないですよね?」
「当たり前だろう。だから君にこうして意見を求めているわけなんだが?」
「…………うん?」
何言ってんだろうこの人。言われてる意味がよく分からない。
「なんだ、誘導されている事には気付いていなかったのか。それじゃあ、保留の件は保留しないでそのまま君に
「え? は? 誘導?」
不穏な単語にビクリと身体が震えた。
なんだろう、確か前にも似たことがあった様な──
「君がそう思うなら彼女の事を助けてやってくれ」
牛丸先生のその言葉がピタリと、俺の抱いていた既視感と重なった。
「…………」
ああ、そうか。
俺は同じ台詞を前にも聞いている。
チクショウ。
またこの先生に一杯食わされた。
「……先生って、本当にズルい大人ですよね」
「褒めるなよ織原。照れるじゃないか」
「褒めてませんよ」
本当、やり方がずる賢い。
さっきの会話、誘導って言ってたけど……要は俺を星野さんに感情移入させるためのプロセスだったわけだ。
「ふふっ。織原はまだまだ青いな。そんなことでは先生より真っ当な大人になれないぞ?」
「安心して下さい。先生よりは真っ当な大人になるつもりなんで。将来的にですけど」
「ほう? では今回の件も手伝ってくれると?」
「人を計略にはめといて何言ってるんですか。やらないと俺の評価が大暴落する案件じゃないですか、これ」
この先生、戦国時代で活躍した有名軍師の生まれ変わりだったりしないよな?
「君がそう思うならそうなんだろうな。で、どうする? 一応は拒否する権利くらい与えてやるが?」
「…………」
先生の策にハマった時点で俺の命運は既に決まっていた。
「……やりますよ」
「なんだ、嫌なら降りても良いんだぞ?」
「乗り掛かった船を降りるのは後味が悪いので。というか、それも折り込み済みですよね?」
「ははっ、流石だな織原。私は勘のいいガキは嫌いだが、君のような察しのいいクソガキは嫌いじゃないぞ」
「俺は先生みたいな人の弱みに漬け込む大人は大嫌いですけどね」
売り言葉に買い言葉の応酬。はた目から見たら喧嘩してる様に見えるかもしれない。
だが、悲しいかな俺と牛丸先生の間ではこんな会話はいたって日常的で平常運転なんだ。
こんなやり取りが生徒と教師の間で繰り広げられるのは非常識だと思うし間違っているとも思うけど。
これも捉え方を変えれば、一種のコミニケーションなんだろうな。不本意で不服だけど。
「用件は以上だ。プライベートルームの提供は私も賛成だから君の方針で事を進めてくれたまえ。それと可能なら天文部の部員も確保してくれるとありがたい」
「先生知ってますか? 世間ではそういうのを『責任の丸投げ』って言うんですよ」
「人聞きが悪いな。私は教師として取れる責任は取るつもりだが? そうだろ? “特待生”の織原利苑?」
「…………」
わざわざ特待生を強調するあたりに先生の性格の悪さが透けて見えた。
「それともなんだ? 代わりに『今朝の件』は目をつむってやるとわざわざ言わないと分からないほど織原は察しが悪くなったのかな?」
「……ありがとうございます」
感謝の言葉とは裏腹に心の中で愚痴を吐く。
やっぱムカつく。
割り切っているとはいえ先生の掌の上で転がらされるのは
「私は君の働きに期待しているんだ。なんせ信頼と実績は“大神の件”で保証されてるからな」
「…………」
調子の良いこと言って。
牛丸先生の白々しい言動に少しだけ苛立ちを
「用件は終わりましたよね? 帰っていいですか?」
「なんだ可愛げのない。分かったなら行っていいぞ」
「失礼しました」
足早に職員室を出て、やり場の無いモヤモヤした感情を心の中でバンバンと叩き潰す。
「特待生なんて、なりたくてなったわけじゃねーよ。チクショウが」
口から漏れた愚痴を飲み込んで俺は自分の
ここの特待生は奨学金という餌で手懐けられた学校と教師の飼い犬なんだ、と。
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