第6話 大神さんは一匹狼

 御近所で幼稚園からの付き合いである犬伏兄妹のお宅にお世話になること自体は、俺の中だとそんなに特別な事ではない。


 昔から家族ぐるみの付き合いも多かった。爺ちゃん婆ちゃんは店があるし、俺と莉奈の『親』は家にほとんど帰ってこない。だから、休日に家族サービスとかほとんどなかった。


 どこか遊びに行く時はいつも犬伏家にお世話になっていた。


 そんな事もあり、なんだかんだで現在に至るまで犬伏家とは良好な関係をきずいている。


 犬伏家に行くこと自体は別に嫌じゃないけど。

 問題は他にあるわけで。


「とりあえずその事をお前の口から日向子に伝えてこいよ」

「ええ……ケンちゃんが言ってよ」

「お前じゃないと意味ないんだよ。ほら、さっさと行けって」

「……分かったよ」


 十年来の悪友に背中を押されて、俺は渋々と日向子を探すことにした。


 地学準備室のある特別練を出て、自販機のある生徒玄関付近まで移動すると廊下の窓から中庭の風景が目に入った。


 新学期が始まって日が浅いこともあり、中庭にあるいこいの場には初々しい新入生の姿はまだ無かった。


 代わりに日の当たるベンチに座っているのはいかにも見た目が陽キャの感じがする二、三年の男女グループが散見していた。


 あそこに座れたら学生としては勝ち組なんだろうな。少なくとも学園生活は何不自由なく過ごせるだろう。


 べつに座るだけなら簡単なんだ。問題は『人目がある時に自分以外の人間と一緒に座る』ということだ。


 あそこにいる連中は『周りの目』なんて気にしてない。若気の至りとかそんな感じのスタンスなんだろう。


 日の光も相まってその光景が凄くまぶしいと感じる。

 キラキラして。輝いている。

 そういう青春がうらやましいと思う反面、わずらわしいと思う時もある。


 大神さんの心情の一端を知ってからは特にそう思うようになった。


『思い出が詰まってない空っぽの関係は宝物にできるほど価値があるの?』


 Siriusの歌詞が大神さんの気持ちを代弁していると思うと一つ一つのフレーズが妙に心に響く。


 ──俺、このままでいいのかな?


 何をするにも中途半端で、意思決定に『自分』が無い。

 だから曖昧あいまいになるんだ。行動も、人付き合いも。

 だけど、こうも思う。ビビリで何が悪い、自己評価が低くて何がいけないって。


 誰かに背中を押してもらわないと決断できないし、誰かに指示されないと動けないんだよ、俺の場合は。


 そうだよ、だから今だって──。


「…………ん?」


 目的地に着いたら、そこに日向子の姿は影も形もなかった。


「…………はぁ、めんどくさっ」


 アイツ、自販機に行くんじゃなかったのか。


 校舎の構造上、用事が終わったり、引き返したら道中で必ず鉢合わせになるはずだ。


 ここに日向子が居ないという事は別の場所に向かったという事だ。


 考えられる場所は二択。女子トイレか屋上。

 日向子の性格を考慮するとトイレの場合なら無言で席を立つだろうからトイレの線は薄いと思う。


 なら、やっぱり屋上か。

 何か考え事をする時はだいたい高くて見晴らしが良い場所に行く。これは『俺たち三人』に共通する行動だ。それに屋上は天文部の『天体観測』でよく行く場所だから。


 って──。

 なんで探しに行くの前提で考えてるんだ。引き返して部室で待ってれば良いだけだろ。


 そもそもの話、なんで俺が日向子のご機嫌取りをしなけりゃいけないんだ。俺はべつにアイツの彼氏じゃねーぞ。


 ほんと、面倒臭い。

 面倒臭い。面倒臭い。面倒臭い。あー面倒臭い。


 思春期ってマジ面倒臭い!


「……ほら、屋上にもいない。完全に無駄足じゃねーか。チクショウ」


 とか言って。

 わざわざ階段上って人気のない屋上で愚痴を吐く俺も大概に面倒臭い。

 

 人の子一人もいない屋上にいたのは、やたら物陰に群がっているはとだけ。ホーホーホッホーとフクロウみたいな鳴き声がうるさい。

 なんでこんな場所に鳩が群がってんだ?

 そんな疑問を持って近いたら。


「…………利苑?」


 鳥のさえずりに負けない存在感のある声。声の主はすぐに分かった。


「何しに来たの?」

 無表情だけど。けして感情を失ったわけではない。ただ感情が中々顔に出ないだけだ。


 あの教室では──いや、この学園内ではせいぜい横顔を見るくらいしか出来ないけど。


「え、ああ。ちょっと人を探してて……」

 そこに彼女がいるという一つの事実が、ザワザワとひどく俺の心をかき乱した。


「そうなんだ。でも、ここにはこの時間だと私以外誰も来ないよ」


 日の光が当たらない屋上のジメジメした物陰。人目を避けるように座る彼女の姿が俺の目にはマッチ売りの少女よりもはかなく見えた。


 本来ならこんな場所に彼女がいたらいけないんだ。


「……大神さんはこんな場所で何してたの?」

「何って昼休みの休憩だけど?」

「わざわざこんな場所で?」

「うん。こんな場所で」


 俺の質問に大神さんは無機質に淡々と、訊かれたからそれに答えたという感じで返した。


「大神さんは昼ごはんは食べないの?」

「食べてたけど。コンビニのパンはもう飽きたから」

「飽きた?」

「うん。だから鳩にも食べてもらってるの」


 大神さんの足元にはパンくずをついばんでいる鳩の群れがいた。

 屋上に鳩が群がっていた理由はこれだったのか。


「もしかして、鳩を餌付けしてるの?」

「ううん。鳩にはパンを食べるの手伝って貰ってるだけ」

「…………うん??」


 斬新な表現だと思った。

 一瞬言ってる意味が分からなかったけど、要はパンを捨てるのが勿体ないから鳩にあげるってことだろう。

 なんだろうその表現。まるで自分と鳩が対等な関係だと言っているみたいだ。


「私、春休みの時みたいに利苑が作ったパン食べたい。コンビニのパン飽きちゃった」


 嬉しいことをポツリと呟く大神さん。嬉しいけど、そういう台詞はもう少しだけ感情を込めて言って欲しかった。


「あー……ごめん。俺のパンはもう無くなったんだ」


 高校生になっても花より団子を貫く食いしん坊の日向子が全部食べたから。アイツ食べた分のカロリーどこで消費してるんだろ。それとも蓄えてるのか? 思い当たる部分はある。そう胸。


「……そうなんだ。残念」


 また感情のこもってない無機質な言動。

 会話の内容が退屈そうというより、会話自体が楽しくなさそうな感じの声だ。

 大神さん、昨日の夜とはまるで別人みたいだ。


『学校だと楽しくない。ううん、楽しめない』


 脳裏をよぎる昨夜交わした会話の断片。

 ああ、そうか。だから、か。

 人の目だけじゃない、のか。

 そりゃそうか、檻に閉じ込められたら誰だって不安になるし、快適に過ごせるわけがないよな。


 学校に居場所がないから。楽しくない。

 人目のない場所は誰もいないから楽しくない。

 オオカミ姫は檻に投獄されたのだろうか。それとも、自ら率先して檻に入ったのだろうか。

 そんなの決まってるだろ。お姫様はいつだって捕らえられる方だ。


「そういえば」


 そんなわざとらしい前ぶりで。


「大神さんに話したい事があるんだ」


 俺は大神さんに『例の件』を伝える。


「話したいこと?」

「うん。前々から話そうって思ってたんだけど……中々言うタイミングが見つからなくて」

「タ、タイミング?」

「うん。本当なら『昨日の夜』に話すつもりだったんだ」

「…………っ!?」


 唐突にビクッと大神さんの肩が震えた。相変わらず表情に変化はないけど、髪の毛先をクルクルいじたりしていて……なんだか妙にソワソワした様子だった。


「と、とりあえず隣に座って?」


 大神さんは座っていたポジションを隅にちょっとだけ詰めて、ポンポンと俺に隣に座るよう催促さいそくした。


「いいの?」

「うん。立ったままだと利苑が疲れるから」

「…………」


 別に時間はかからないんだけどな。

 うーん。

 大神さんの隣だと俺が緊張するんだよなぁ。

 まぁ、でも。人を誘うのに立ったままで話すってのも何か風情に欠ける気がするし、話す相手にも失礼だよな。

 大神さんからの許しも出たしここは座る方が無難か。

 

「し、失礼します」


 俺は少しかしこまった感じの断りを入れて大神さんの隣に腰掛ける。


「えーとですね……」


 一瞬、何を言おうか忘れそうになった。

 なんかよく分からないけど過剰に大神さんを意識してしまった。


 ただ部活に誘うだけなのに。緊張している自分がいる。


 こういう反応が女子に対して免疫めんえきが出来てない証拠なんだろうな。なんか異常に心臓がバクバクするし。


「……ずっと前から大神さんに言おうって思って──」


 俺は息を飲んだ。

 瞳に吸い込まれるとは言うけど。

 何げなく横目で隣を見れば、そこには俺をジッと見詰める大神さんの瞳があった。

 その熱を帯びた瞳は俺の言葉を待っている様な気がした。


「俺は──」


 凄く静かだった。

 どういう理屈か鳩の鳴き声まで聞こえなくなっていた。

 あれ? 何を言うんだっけ?

 俺、大神さんに何か伝えないといけないことがあったよな?


「大神さんが──」


 そこまで言って言葉が出なくなった。

 完全に台詞が頭から飛んでいた。

 まるで頭の中に白いペンキをぶち込まれた気分だった。


「………………」

「………………」


 何も言えなくなっても大神さんは、俺の言葉をずっと待ってくれてた。

 その瞳は今まで一度も見た事がないほど、潤んでいて、そのほおは初めて見るほど赤く染まっていた。


「利苑」


 そう名前を呼ばれて。

 大神さんのスベスベした小さな手が俺の手に柔らかく重なった。


「大神さん……」


 もう何も言わなくても通じるんじゃないかと思った。


 以心伝心なんて言葉があるくらいだから。


 そう思っていたけど。

 どうやら俺と大神さんの『この関係』は、まだその域に達していない様だった。


 ブスリ、と。


「痛てぇ!!?」


 場の空気を切り裂くかの如く、俺の足に鋭い痛みが走った。


 痛みの原因を探すために足元に目をやると、鳩がクチバシで執拗しつように俺のふくらはぎ部分をつついていた。


「こら、俺の足はパンじゃねーぞ!?」


 大声を出したら鳩の群れは春の青空に向かってパタパタと羽ばたいていった。

 もしかしたら、俺のズボンにパン屑でも付いていたのかもしれない。


「ふふっ。あははは……」


 ケラケラと声を出して俺の醜態しゅうたいを笑う大神さん。

 笑う時だけは流石の大神さんも無表情じゃなかった。

 笑いのツボにハマったらしく、その顔はとても良い笑顔だった。


「利苑の足、パンだと思われてたんだ。ふふっ」

「……そこまで笑う?」

「ごめん。なんだか利苑のツッコミが面白くて。あはははっ」

「…………」


 今までを振り返ると大神さんがこんなに笑ってる所を見たのは久しぶりかもしれない。

 少なくとも学校では初めてだ。


「…………」


 やっぱり俺は、大神さんにもっと笑顔で笑って欲しい。この学校の、学園生活の中で。


「大神さん」


 もしかしたら。

 俺は大神さんのまとう神秘的な空気にまれていたのかもしれない。


 鳩に雰囲気ムードをブチ壊されたおかげで血迷わずに済んだ……と思いたい。


「天文部に興味ない?」


 きっかけは日向子に頼まれたから。

 だけど。行動を起こす理由はそれだけじゃない。


 俺のこの意思決定だけは紛れもなく俺の意思が介入している。


 俺は大神さんを『見えない檻』から連れ出したい。


「俺と一緒に部活はじめない?」


 俺の提案に大神さんは──


「やだ」


 一言でそれを断った。しかも即答で。


「……え?」


 あれ、断るんだ。ちょっと待って。ショックを隠しきれないんだけど。


「……不躾ぶしつけながら理由をおうかがいしてもよろしいですか?」

「うん。いいよ」

「部活すること自体が嫌なの?」

「それは別に嫌じゃない」

「じゃあ、天文部が不満だったり?」

「そこは不満じゃない。むしろ良いと思う」

「じゃあなんで?」


 そして大神さんは衝撃的な一言を俺に伝える。


「私、部活は利苑と二人きりが良い」


 大神さんの発した『その一言』がこれから始まる一連の『面倒臭い事態』の引き金トリガーになった。


「……二人きり?」

「うん。だって天文部は利苑以外にも部員がいるんだよね?」

「それはそうだけど……」

「私、利苑以外の人と仲良くできる自信がない」

「それは……これから改善していくことなんじゃ?」

「やだ」

「善処するんじゃ?」

「やだ」

「…………」


 あれ? なんか大神さんの機嫌が悪くなってないか?

 さっきまであんなに笑ってたのに……なんで?


「大神さん? なんか怒ってない?」

「知らない」


 俺が顔をのぞこうとすると大神さんは喧嘩した子供みたいにプイッと顔を背けた。


「ねえ、大神さん。怒ってるよね?」

「別に。利苑の思わせぶりな態度に私が勝手にガッカリしただけだから」

「…………っ」


 思わせぶりってさっきのこと?

 あれ? もしかして大神さんも俺のこと意識してた?

 さっきの熱視線は俺の勘違いじゃなかった……のか?


「利苑のバカ」


 どうやら俺は大神さんの機嫌を損ねたみたいだ。


「……なんか、その……ごめんなさい」

「やめて。謝られると余計に凹むから」

「…………っ」


 最悪だ今すぐ死んでびたい。もう屋上から飛び降りようかな。

 爺ちゃん。やっぱり俺って経験不足なのかな?


「……利苑、誰か探してたんじゃないの?」

 

 こちらを一切見ずに壁に向かって話す大神さん。どう見ても完全にオコだった。


「……探してる? あっ」


 大神さんに指摘されて存在すらも忘れかけていた日向子のことを思い出した。


「早く行けば? 休み時間あんまり残ってないよ」


 言動も態度も塩対応の大神さん。塩対応というより辛辣しんらつの方が正しいかもしれない。


「私も、もう少ししたら教室に戻るから」


 日向子のことは別に急ぎじゃない。

 むしろ俺としては、今起こったこの失態をどうにかして帳消しにしたいんですけどっ。


「大神さん。差し支えがなければ俺に男としてのかぶを取り戻すチャンスを下さい」

「そういうのいらない。利苑が先に行かないと私も行けないから早く行って」

「はい。かしこまりました」


 5キロのパワーアンクルを装着した時よりも重い足取りで、俺は屋上を後にする。


「……部活は、もうちょっと考えさせて」


 去り際に聞こえた大神さんの呟きが妙に耳に残っていた。


 どうやら完全に脈なし、というわけでも無さそうだ。


「ちょっと利苑、あんた何処どこに行ってたの!?」


 探すのを諦めて部室に戻ったら案の定日向子がキャンキャンと吠え散らかしていた。


「ああん? むしろお前が何処行ってたんだ? 探しても全然見つからなかったぞ!?」


 話を聞くと、どうやら日向子は俺のパンだけでは足りなかったらしく追加で購買にある売れ残りのパンを漁りに行っていたらしい。


 なんというか、流石は色気より食い気の日向子だった。


 なんにせよ、俺の予測は見事に的外れだったわけだ。十年来の付き合いで得た経験は一体どこに行ったのだろう。


 会話なり何かしらのコミニケーションが無いと人の考えてることなんて他人には中々分からないものだ。他人と他人はちょっとやそっとじゃ分かり合えない。

 改めて思う。

 やっぱり思春期は面倒臭い。

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