第5話 織原くんは割と悪いやつなんです

 結果から言って登校時間にはギリギリで間に合った。


 当たり前の話だが、時速五十キロメートル相当で走る自動車は人が走るよりも断然に速かった。


 今回の場合、運良くタクシー乗り場に待ち人がいなかったのが功を奏したのだろう。余計なタイムロスがなくてスムーズに学校まで来られた。


 校門よりも少し手前の道路でタクシーから下車した俺と女の子は校門で仁王立ちしている生活指導教諭の横を何食わぬ顔で(一応挨拶はしている)通過して玄関に向かう。


「教室の場所は分かる?」

「は、はい。流石にそれは大丈夫です」

「そっか。じゃあ、俺は自分の教室に行くから」


 じゃあこれで、と別れの挨拶を済ませ、俺はそそくさと自分の下駄箱に向かう。下駄箱から内履きを取り出して靴を履き替えると、後をついて来た女の子が何か言いたげな顔で横から声をかけてきた。


「あ、あの……貴方のお名前を教えて下さい」

「……俺の名前?」


 そういえば、まだ名前を名乗っていなかった。

 というか、相手方の名前もまだ聞いていない。

 自分から名乗る必要も相手の名前を訊く必要もないと思っていたから、自己紹介とかそこら辺は適当に流したんだけど。

 訊かれた以上は答えないと駄目だよな?

 そんなことを頭の中でふと思い、俺は軽く自己紹介した。


「俺は織原おりはら──」

 名前を言いかけて、言うのをやめた。

 わざわざ名前まで言う必要ないよな。


「……クラスは二年B組。まぁ、何かしらのえんがあった時はよろしく」


 そんな社交辞令じみた素っ気無い挨拶で自己紹介を終えると、女の子は目を丸くして「同学年だったんだ!?」と言う。


「雰囲気が大人っぽくて落ち着いているから、てっきり三年生だとばかり思ってた……」

「…………」


 三年生って。

 俺って、そんなに老けて見えるのだろうか。

 天城星雲高等学校の男子の制服は学ランだから、学年を判断する材料は校章バッチしかないけど……この子から見ると俺って三年生に見えるのか、ちょっとショック。

 いや、その考え方は今の三年生に失礼か。


「B組の織原くん、織原くん、織原くん。よし、ちゃんと覚えた」


 呪文めいた復唱の後、女の子はポンと手を合わせた。


「ごめんね、織原くん。立て替えて貰ったタクシーの料金は明日ちゃんと返すから」


 その申し訳なさそうな顔を見ると数分前に起こったタクシー内での出来事が脳裏をかすめる。


「えっ……支払いに電子マネー使えないんですか!?」


 料金の支払いは割り勘でという約束の上で乗ったのだが……どうやら彼女は現金を持っていなかったらしく、払えない事実を知ると顔がサッと青ざめた。


「……どうしよう」

 誰が見ても分かるくらい彼女の表情はどんよりとくもっていた。

「あーいいよ。ここは俺が払うから」


 俺はそう言って財布から千円札を取り出し、タクシー料金初乗り分の680円を支払ってタクシーを降りたわけなんだけど。


「あーいいよ。べつに返さなくても」


 タクシーの料金はおごるつもりだったから、べつに返して貰おうなんて思ってない。


「だ、駄目だよ織原くん! お金の切れ目は縁の切れ目なんだよ! そーゆーところはキチンとしないと駄目なんだからね!?」


 お金の事で初対面の女の子にピシャリと叱られた。

 

「あっ。うん、分かった」


 たしかに金銭トラブルが起こると面倒な事も多々あるだろう。向こうが払うと言っているなら素直に従うのが一番か。


「君がそう言うなら俺はそれで構わないけど……えっと」


 そこで彼女は「あっ」と何かに気付いた素振りを見せる。


「えっと織原くん。わたしは二年F組の星野冬華ほしの とうかです。今後ともよろしくお願いします」


 自己紹介ついでに深々と頭を下げる星野さん。なんていうか一緒にいると和む感じの女の子だった。


 当たり前だけどクラスは別か。転入生の噂なんて耳に入ってないんだけど。

 まぁ、新学期が始まってまだ日が浅いからな。知らなくても不思議じゃないか。


「えっと、その……今日はありがとうね」

「こちらこそ。おかげで助かったよ」 

「じ、じゃあ、わたし、そろそろ行くね」


 そう一言断りを入れ星野さんは自教室に向かうべく小走りで廊下の角に向かう。


「またね。織原くん」


 顔を赤らめて小さく手を振ってバイバイする動作が可愛いというか、あざといというか。そんな星野さんを見送って俺も自教室に向かう。


 なんだあの可愛い生き物。何かの天然記念物に指定されてそう。


「……回数をこなせ、か。やっぱりそれって……なんか不道徳アンモラルだよ爺ちゃん」


 爺ちゃんの言葉を思い出したせいで言い様のないモヤモヤを抱えた俺は、亀の様な歩みで自分の教室に向かった。


* * *


 朝の登校時にそんなことがあったせいか、昼休みの話題は俺と星野さんのことで始まった。


「で? 誰なのあの子?」


 日向子は俺が昼飯にする予定だったメロンパンを冬眠前のリスの如くモフモフと頬張ほおばりながら、そんなことを訊いてきた。


 遅刻しなくてもパンをボッシュートするとか……ほんと、日向子は食意地の汚いやつだと思う。


 まぁ、パンの代わりに爆弾みたいなクソでかいおにぎり貰ったから別に良いけど。


「日向子の言ってることが良く分からんのだが?」


 そんな感じでタクシー登校の件を誤魔化そうとしたら、日向子の目付きがたかの目の如くキッと鋭くなった。


「とぼけないでよ。利苑が知らない子と一緒にタクシーから降りてるの教室の窓から丸見えだったんだからね?」

「……お前、わざわざA組の教室から見張ってたのか?」

「当たり前よ。利苑の素行を監視するのがあたしの日課なんだから」

「そんな日課は迷惑なので今すぐやめてどうぞ」


 というか、また日向子の機嫌が悪い。昨日にも増してイラだっている様子に見える。


 なんだ? もしかしなくても最近は『女の子の日』なのか? お腹が痛くてイラだってるとか。


 本当にそうなら俺に出来ることなんて何もないだろ。


「あーほんと気になるなー。利苑があたしの知らない間にヤリチンクソ野郎になってるかと思うと気になり過ぎてご飯も喉を通らないわー。あむっ」


 小言をブツクサと言いながらパンをガッツリと頬張る日向子。


「めちゃくちゃ食ってるじゃねーか」

「うっさいなぁ、早く白状しなさいよね。あたし利苑が正直に言うまでこの件はしつこく粘着するから!」

「うわっ。めんどくさっ」

「はぁ? 面倒臭いって何?」


 俺と日向子のやかましい口論に耐えかねたらしく、俺の隣に座っている大柄の男子、ケンちゃんこと犬伏健司郎は日向子に向かってこう言った。


「いや、実際のところ日向子は面倒臭いだろ」


 スマホでソシャゲの周回プレイをやりながら妹をなだめるその行動にどことなく親近感に似た『兄らしさ』を感じた。


「利苑にだって黙秘する権利くらいはあるだろ。男なら秘密の一つや二つくらいあるっての」

「健司郎うるさい。ちょっと黙ってて」

「はい。静かにします」


 ケンちゃんの仲裁を秒でバッサリと切り捨てる日向子。相変わらずケンちゃんにはやたら冷たい。


 なんていうか。いつも通りの光景だ。


 改めて見ると部室のテーブルで三人そろって昼飯を囲むのもすっかり日常的になったと思う。


 高校に上がって一年経ったんだ。ただの昼休みも見慣れた光景になるか。


「……いやーその、なんだ。確かにオレも気になるって言えば気になるけどよ」


 日向子に気圧されたのかポツリと呟くケンちゃん。

 昔からの友達に秒で裏切られた瞬間だった。


「でしょ? 健司郎も気になるわよね?」

「ああ。遠目で良く見えなかったけど、あれは可愛い感じの子だったからな」

「あっ、うん。お願いだから健司郎はもう喋らないで。ウザい。つーか死ね」


 冷淡な声と視線で実の兄を罵倒ばとうする日向子。同い年の兄妹だと相手に遠慮がないのが怖い。


「助けて利苑っ。日向子がオレのことイジメるんだけどっ!」

「おーよしよし。怖かったねーケンちゃん。もう大丈夫だから」


 そんな感じで男同士で寄り添いあっていたら、ケンちゃんが日向子に見えない様にスマホの画面に短い文章を打ち込んでいた。


『とりあえず、そのおにぎり食べてめろ。そうすれば機嫌だけは治るから』


 その文章は俺にとって助け舟みたいなものだった。これはこの場を円滑に収めるために必要なアドバイスだと思った。


 なんでおにぎりを褒めると機嫌が治るかは知らないけど。やるだけやっておくか。

 そう思ってガブリと一口、おにぎりに食らいつく。


「…………むぐ」


 うん。なんか米がめちゃくちゃ圧縮されてて食べ応えがすごい。


「なーに男同士でイチャイチャしてんの。あたしBLは守備範囲外なんだけど!?」

「ん? いや、このおにぎり美味いけど誰が作ったのってケンちゃんに訊いてただけ」

「…………っ!?」


 文章の通りクソでかいおにぎりを褒めたら狂犬の如くキレ散らかしていた日向子の表情がみるみると柔らかくなっていく。


「ふ、ふーん。そのおにぎり美味しいんだ……」

「ん? ああ、海苔もいい感じに湿ってるしツナマヨとか明太子とか俺の好きな具材がいっぱい入ってて美味いよ」

「ふーん。そっか」


 さっきまで怒り心頭だった日向子が急にモジモジして大人しくなった。気のせいか頭の尻尾(髪の毛です)もフリフリと揺れてる様に見える。


「……覚えてて良かった。見た目がアレだったけど具材なかみでちゃんとカバー出来てた」


 ポツリと呟いたその言動を察するに、おそらくこのおにぎりは日向子の『手作り』なんだろう。


 なるほど。このおにぎりは日向子が作ったのか。どうりで。

 そんな風に考えたら持っているおにぎりが急に鉛の様に重く感じられた。

 なんか手作りおにぎりって重いな。

 いや、失敗作を俺によこすなよ。残飯処理じゃあるまいし。


「まぁ、見た目は微妙だけどな」

「うっさいなぁ! 次はもっと、もーっと美味しいの作るんだからね!」

「そうか、よく分からんけど頑張れよ」


 なんつーか日向子って不器用だけど真っ直ぐだよな。

 性格に裏表も無いし。言いたいことはハッキリと言うし。

 日向子のそういうサッパリした部分が俺には時々まぶしいと感じることがある。


「……安心しろよ日向子。部活勧誘の件は俺なりにちゃんとやってるから」


 日向子が何にイラついているかは未だに良くは分からないけど。


「それともなんだ? たまたま登校で一緒になった転入生に天文部の勧誘で声をかけるのもわざわざ部長に許可取らないと駄目なのか? 流石にそれは効率悪いだろ」


 そんな口から出た嘘の方便を真に受けた日向子はバツが悪そうに一言だけ俺に謝罪する。


「……そっか。ごめん利苑。あたし、変な勘違いしてたみたい」

「気にすんな。お前って昔から早とちりする癖があるよな」


 というか謝らなくていいよ。俺も嘘ぶっこいて罪悪感で胸がいっぱいだから。


「あたし、ちょっと自販機で飲み物買ってくるね」


 そう言って日向子はフラフラと地学準備室の外に出て行った。


「……で? 本当はどうなんだ?」


 日向子の気配が消えたタイミングで沈黙していたケンちゃんがそっと口を開いた。


「……たまたま知り合った転入生とタクシーの相乗りしただけ。何もやましい事はないよ」

「ほーん、転入生ね」

「うん。F組の星野さんって人なんだけどケンちゃんは何か知ってる?」

「いや、転入生自体も初耳」

「だよね」


 やっぱりケンちゃんも知らなかったようだ。うちの高校は私立だから転入生自体は珍しくないんだけど……なんだろ、何か引っかかるんだよな。


「まぁ、なんにせよ。日向子に嘘付いた以上は辻褄つじつまあわせ頑張れよ」

「分かってる」


 長年の付き合いだから、嘘がバレる相手にはこうやってすぐにバレたりする。


「あー、その、なんだ。最近日向子のやつも機嫌が悪いみたいだから」

「それは何となく分かる」

「それで提案なんだけどよ。利苑にも一枚噛んで欲しい件があるんだけど」


 頭をポリポリとかいて難しい顔するケンちゃん。一体、俺に何をやらせるつもりなんだろう。


「……悪いけど。プレゼントする金は出せないよ。俺今金欠だから」


 星野さんには見栄を張ったけど、やっぱりタクシーの料金返して欲しい。


「ちげーよ。もっと安上がりで効果的なサプライズがあるんだよ」

「それはどんなやつ?」


 真剣な面持ちでケンちゃんは言う。


「利苑、今夜うちで飯食っていけよ」

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