第2話 大神さんはクソ雑魚メンタル

 公園に着いた俺が最初に取った行動は、ベンチに腰掛けて一週間前までは満開だった桜の並木を呆然と眺め、ただひたすら忠犬ハチ公の如く愚直に待つことだった。


 時間が経つとすっかり夕陽も落ちて空にはうっすらと月が浮かび、小さな星の光がキラキラと瞬いていた。ふとスマホで時間を確認すれば、時刻は夜の七時を過ぎていた。


「……大神さん遅いな」


 そうボヤいてスマホをいじるものの待ち合わせで女子を急かすのは男としてスマートでは無いと思い愚直に待つこと約三十分。浮ついた気持ちを自制するのもそろそろ限界に近付いてきた。


「……もしかしてドタキャンされた? いや、でも夜空が見たいなら暗くならないと駄目……だよな?」


 あたりが暗闇に包まれ、一抹いちまつの不安にしびれを切らした俺はトークアプリ経由で電話をかけようとした。

 その瞬間だった。


「遅れてごめん。待ったよね?」


 背後から女の子に、鈴を転がすような声で話しかけられた。


「ちょっと準備に手間取ってて」


 その声は学校内では滅多に聞くことができない。

 俺が知っている彼女は基本的に学校内では誰とも会話をしない。

 もしもその美声を手軽に聞きたいなら、彼女が歌手ボーカルを務めているCDアルバムの楽曲を聴けばいい。


 彼女、大神柚月の美声は言わば俺にとって心の栄養剤サプリメントだ。俺は彼女の歌が好きだから。なんなられていると言っても良い。


 だって、俺のクラスメートにして友人である大神さんは事務所からメディア露出を禁止されている女性ミュージシャン『Siriusシリウス』の“中の人”だから。


 春休みにその事実を知った時はめちゃくちゃ驚いた。

 まぁ、その事を知っているのは俺以外だと業界の関係者と親御さんだけなんだと思う。

 Siriusのファンとしてはその事に一種の優越感を感じていたりする。

 それはそれとして。


「ううん、全然待って無いよ。俺もさっき来たところだから」


 そんなありふれた返事をして、声のする方へグリンと顔を向ければ、そこには首を長くして待っていた待ち人の姿があった。


「…………っ!?」


 不覚にも俺は彼女の私服姿に見惚れて心を鷲掴みにされてしまった。


 その可憐な容姿は『高嶺の花』と称しても誇大表現にならないほど圧倒的な気品さを持っていた。


 アッシュブロンドと呼ぶにふさわしい灰色の金髪は傷んだ毛先ダメージヘアなんて一ミリも存在しないのだろう。サラサラで艶もあってあたりが薄暗くてもハッキリと見えるほどの存在感を放つ綺麗な髪だった。


 髪の毛一つとっても綺麗なのに、まつ毛も瞳も唇も、なんなら鼻だって美しい。その凛とした愛らしい顔は男なら一度でも見れば網膜に焼き付いて離れないほど強烈な印象を与えるだろう。


 それに加えて色白の肌と黄金比を体現したかの様な美ボディが合わさるとその存在感は一気に国民的人気アイドルの域にまで到達する。


 そのアイドル顔負けの美少女にオフショルダーなどのエロ可愛い春コーデとナチュラルメイクが彩りをえるものだから、もはやアイドルの領域を超えて女神の様な存在と言っても過言ではないだろう。


 彼女の存在は現世に舞い降りた女神だ。友人になって多少は近しい存在になっても未だにそう思えるから不思議だ。


 冗談抜きで初めて大神さんをこの目で見た時は「こんな美少女がクラスメートで隣に座って居るとか俺は白昼夢でも見ているのだろうか?」と思ってしまった。


 時々、友人になった今でもここにある現実が夢なんじゃないかと疑ってしまう時がある。


「…………」


 俺はまだこのデートみたいな状況に現実味を感じることが出来ない。


「……利苑? どうかした?」


 子猫みたいな愛らしい感じで小首を傾げる大神さんに名前を呼ばれ、俺はハッと我に返る。


「な、なんでもない。気にしないで」

「そう? もしかして疲れてる?」

「大丈夫っ、全然元気だから」

「本当? 時間も大丈夫?」

「時間? ああ、大丈夫、大丈夫。家の門限なんてあって無いようなもんだから気にしないで」

「そうなの? でも利苑は朝早いから無理しないでね」


 絶世の美少女に見惚みとれてトロトロに溶けていた脳味噌が会話によってカッと覚醒する。


「今日はありがとう。私のワガママに付き合ってくれて。急だからビックリしたよね?」


 そう言って大神さんは俺の隣にスッと腰掛けた。

 至近距離のせいか大神さんの身体からほのかにシャンプーと石鹸の香りがした。

 正直言って心臓がうるさいくらい鼓動していた。興奮しすぎだろ、少しは自重しろ。そう自分自身に言い聞かせる。


 でも、この状況下で冷静さを保つの難しくないか?

 隣に私服の大神さんがいるんだぞ?

 何て言おう?

 凄く綺麗だよ大神さん。その服装良く似合ってるね。

 許されるなら、一度で良いから本人の目の前でそんな口説き文句を言ってみたい。

 俺なんかじゃドン引きされるのがオチだろうけど。


「……うん。ビックリしたけど俺は凄く嬉しいよ。大神さんが天文学に興味を持ってくれて」

 考えても口説き文句なんて言えなかった。


「……天文学?」


 無表情のままでも「何言ってんだコイツ」と言っている感じが雰囲気で分かるのは、俺が大神さんと親しくなったから出来る所業なのだろうか。


「ほら、夜空が見たいって」

「……ああ、うん。そうだけど、そうじゃないというか」

「星を見る以外に何か用事でもあった?」

「……そのあたりは文面で察して欲しかった」

「…………うん???」


 それはつまり行間を読めということなのかな?

 例えば──俺と会うための口実とか?

「利苑の鈍感」

「…………」

 いや、まさかな。


「……学校だと利苑とお喋りできないから」

 髪の毛先をクルクルいじりながらポツリと呟く大神さん。

「うん? 学校でも会話は出来ると思うけど……」

「二人きりじゃないと駄目」

「それは……どうして?」

「学校だと楽しくない。ううん、楽しめない」


 それはつまり。

 周囲の目が気になるということなのだろうか。


 大神さんはあの『大神蓮司』の娘だから。世間からの注目度だって高いし、大神さん自身も華やかだから、人の目をきつける要素なんていくらでもあるだろう。


 他人の目が怖いという気持ちは芸能人だけが持つ悩みだとは思わないけど。


 やっぱり、大神さんの過去に『何か』あったんだ。他人をかたくなに遠ざけるトラウマ級の何かが。


「星、今日はあんまり見えないね」


 学校のことから話題をらしたいのか、大神さんは視線を上に向けて、暗雲に覆われた夜空を見上げた。


 その横顔は今何を思っているのだろう。


 君のことはまだ良く知らないし、君の全てを理解するには時間が圧倒的に足りていない。


 だから俺は。


「そうだね。今日は月も雲に隠れてるから天体観測のロケーションとしてはあまり良く無い日だね」


 夜空を見上げて、こうやって話を合わせて、少しでも君との『距離感』を目で観測して、計測して。想い出を記録にして記憶していく。


 いつの日か君という月に手を伸ばすために。


「ごめんね利苑。私が天気も空気も読めない駄目人間で……」


 ふと、視線を横に向ければ、そこには暗雲の夜空よりもどんよりとしたオーラを放つ大神さんの姿があった。


 まるでこの世の終わりを迎えたかの様な雰囲気だった。


「急にどうしたの大神さん? なんか凄く落ち込んでない?」

「だって、利苑があんまり喋らないから」

「そ、それは、その……」

「そうだよね。私と喋っても楽しくないよね。ごめんねコミュ障で」

「それは違うよ!?」


 ビックリした! 大神さんは何で急にそんなこと言い出したんだろ。

 俺が楽しくないだって? こっちは君を抱きしめてこの胸の高鳴りを聞かせてあげたい気分だよっ。いや、そんな大胆なことをやる度胸は一切ないけど。


「…………」


 ああ、そうだった。失念してた。大神さんて不用意なエゴサーチでいらない傷心を負うクソ雑魚メンタルの持ち主だった。


 ここは当たり障りのない程度に釈明しゃくめいしておかないと勘違いされたまま終わりそうだ。


「いや、ほら。俺、今割と緊張してるから」

「……緊張? なんで?」

 顔には出ないけどキョトンとした雰囲気。

「利苑は私の何に緊張しているの?」

 そこは俺の態度で察して欲しいと思った。

 やっぱり言わないと駄目か。


「……その、大神さんとデートしてるみたいで……心身共に緊張してるんだ」

 そう言うと大神さんの肩がピクリと震えた。

「デ、デート?」

「うん。服もどことなく気合い入っている感じがするし。いや、大神さんなら普段からそのくらいのお洒落は日常茶飯事なんだろうけど」

「……………っ」


 羞恥心に身を焦がされているのか、プルプルと身体を震わせる大神さん。その顔はうつむき気味でよく見えない。


 ヤバイ、その反応めちゃくちゃ可愛い。


「何かごめん。俺、勝手に自意識過剰になってた。大神さんはそんなつもり一ミリも無かったんだろけど」

「そんなことない!」


 食い気味になって力強く否定する大神さん。割と珍しい行動だった。


「だって私は──私は」

 揺れる瞳が俺の目をジッと見詰める。

「利苑の事が──」

 大神さんは言い掛けて。

「しゅ、しゅ、しゅきなんやからっ。いひゃいっ!」

 思いっきり舌と台詞をんだ。


「…………」

「…………」


 夜の公園に気不味い空気が流れ始めた。

 耳鳴りがするほどの静寂せいじゃくってこんな感じなんだ。


「……えっと」


 気不味いムードを払拭しようと試みて、とりあえず何か喋ろうとしたけど、経験不足の俺は何を話せば良いか分からず、そのまま途方に暮れていた。


 いや、マジどうすんのこの空気。いっそ聞こえてない振りするか? 俺、全然難聴じゃないんだけど。


「舌、大丈夫?」

「う、うん。大丈夫」

「…………」

「…………」


 一言、二言喋ったら、また沈黙。それが暫く続いた後で。


「……私、利苑と一緒に夜空を見て、利苑から天文学とか神話の話を聞くのが“好き”になったから」


 沈黙の間に落ち着きを取り戻したのか、大神さんはさっき言わんとしたことをスラスラと言い直した。


「春休みの時に、利苑から勇気貰ったから。だから、今度は私の番かなって思って。本当なら今日『新しい曲』をアカペラで利苑に披露するつもりだったんだ」


 でも、まだ出来上がっていない。そう言って大神さんは飼い主に叱られた犬みたいにシュンと落ち込んだ様子を見せた。


「私って駄目人間だから」

「…………」


 なるほど、そういう事だったのか。好きというフレーズにハートを撃ち抜かれてうっかり勘違いするところだった。


 大神さん、要はお返しがしたかったってことなんだろう。

 律儀だな大神さん。恩返しするほど大層なことをしたつもりはないんだけど。


「…………利苑、何か言って。私、今凄く気不味い」


 あまり表情には出ていないけど気不味いというのは雰囲気で分かった。


「…………」


 下手に応援するのもプレッシャーだよな。


「……別に焦ることは無いんじゃないかな? 大神さんのペースで進めれば良いと思うよ。歌も……人付き合いも」


 頑張れ、とは言えなかった。春休みの諸事情イザコザを自分の目で目の当たりにしているから。


「利苑がそう言うなら私はそれに従う」

「…………」

 それはどういう意味だろう。自分の意思ではもう行動出来なくなったという意味なのだろうか。

 大神さんに限ってそんなことは無いと思うけど。


「……新曲はともかく、人付き合いの方はもう少し頑張って欲しいかな。大神さんの友達一号としては」

「……ぜ、善処はするつもり」

「そこは俺の目を見て言って欲しかった」

「むう。じゃあ、新曲の方は?」

「それは大神さんの気持ち次第だと思う。本当のファンなら待つのも楽しみだから」


 大神さんは何かに納得した様にコクリと頷く。


「…………うん。分かった。新曲、楽しみにしてて」


 一人のファンとして、その発言は嬉しい知らせだけど。一人の友人としては「無理しないで」と言ってあげたかった。


 でも、本人の決意に水を刺したくないから。その話題は、少なくとも今日はそれ以上話さなかった。


「そういえば、この前のテレビ番組で動物のおもしろ動画が──」


 そんな取るにたらない、下らない話題で談笑に花を咲かせて一緒の時間を過ごしていたせいだろう。

 俺はすっかり忘れていた。


「送ってくれてありがとう利苑。帰り道は気を付けて帰ってね」


 大神さんを自宅のマンションまで送り、お互い「おやすみなさい」と別れの挨拶をした後で、ふと頭から抜け落ちていた一つの案件が帰りの道中でポンと浮かび上がった。


「……あっ」

 独りごち。その事を思い出す。


「部活の件、大神さんを勧誘するの忘れてた」

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