第一章 スタートライン

第1話 天文部は部員が少ない

「もー、なんで誰も見学に来ないの!」


 閑散かんさんとした地学準備室の現状を見て、日向子ひなこは八つ当たり気味にバン、とテーブルを叩き、俺に同意を求めてくる。


「ねえ、利苑。あたしの部活紹介は完璧かんぺきだったよね!?」 


 パサリ、とテーブルに散らばった紙切れの一枚を拾い上げ、俺は日向子にこう言った。


「……いや、あれのどこが完璧なんだ?」


 数時間前に新入生を相手にやった天文部の部活紹介プレゼンを振り返ると、この閑古鳥が鳴きそうな部室の現状は妥当だとうな結果だと思った。


「えーと……天文部はアットホームな部活です。未経験者歓迎。親切丁寧しんせつていねいに指導します。夢に向かって一緒に頑張りましょう。休日もみんなで部活やります……」


 俺は日向子が部活紹介で使ったカンニングペーパーの文章を一つ一つ声に出して読み上げる。


 こうして口に出してみると日向子の感性が一般の高校生と大幅にズレていると嫌でも気付かされる。


「……どう見てもブラック企業の求人広告じゃねーか。こんなんで新入生が入部したいと思うわけねーだろ」

「あー、そーいうこと言うんだ? 自分は部活紹介をあたしに丸投げして望遠鏡とプラネタリウムの設営しただけなのに。そーいうこと言うんだ。ふーん」


 俺の率直な意見がしゃくに障ったのか日向子はブツブツと文句を垂れ流した。


「利苑って昔から面倒事はあたしに押し付けるとこあるよねー。修学旅行とか文化祭とか、学校行事の大半は「日向子に全部任せる」で済ませるんだから」

「…………」

「ほんと、あたしって苦労人だよねー」

「…………」

「利苑は知らないだろうけどさ、世の中には『親しき仲にも礼儀あり』って格言があるの。気のおけない相手でもちゃーんと敬意を払って感謝の気持ちとか労いの言葉を掛けてあげるべきだと思うんだけどなー」

「…………」

「ね? り・お・ん」

「…………っ」


 学校で名前呼びするなって言ってるだろ。

 そう言い掛けた言葉を飲み込んで、俺はニヤニヤとチェシャ猫みたいに意地悪な笑みを浮かべる旧友に欲しがっているであろう感謝の意を伝える。


「……いつもありがとな」

「どーいたしまして。そっちも力仕事全部やってくれてありがと」

「まぁ、気にすんな。それくらいしかやる事ねーし」

「にひひー。ま、あたしもなんだかんだで利苑に頼られるのは悪い気しないんだけどねー」


 そうやって真正面からニッと屈託くったくのない笑顔を向けられると自分の背中がチリチリと火照る様な感覚に襲われた。


 彼女、犬伏日向子いぬぶし ひなことは幼稚園から現在に至るまでの、言わば十年来の付き合いである。


 世間一般ではそういう間柄は俗に言う『幼なじみ』と呼ぶらしい。しかし、俺の目線で日向子を見ると幼なじみと言うよりは女友達とか悪友の方が感覚的に近いので、そこら辺の人間関係はあまり意識した事がない。


 言い方が悪いけど、俺は日向子を異性として見た事がないから。


 高校生になってから髪を伸ばして雰囲気が綺麗になったとか、胸が育って中学時代よりも色っぽくなったとか、短いサイドポニーが犬の尻尾みたいで可愛いとか、多少は思う所もあるけど。


 でも、結局のところそれは友達としての目線だ。日向子に対する感情はそれ以上でもそれ以下でもない。


 たぶん向こうも俺のこと異性と思ってないんだろうな。そうでなければ『こんな距離感』で接してこないだろうし。


「日向子、何がとは言わないけどテーブルに乗せる時は気を付けろよ。油断してるとブラウスに隙間できるから」

「ガン見すんなスケベ。あと、目線と言い方がキモい」


 日向子は豊満な胸元を手で隠しジトーっと侮蔑ぶべつの眼差しを俺に向ける。


「キモいとか言うな。指摘しただけマシな方だろ」

「あーやだやだ。利苑があたしをケダモノの目で見てくるのマジえられないんだけどー。このまま“二人きり”が続いたら、あたしいつか利苑に“食べられちゃう”かもしれないじゃん」


 きゃー、とわざとらしい悲鳴をあげ大袈裟おおげさな動作で身動ぐ日向子。

 心外だなと思った。

「食わねーから安心しろ。お前だと食当たりする危険性があるからな」

「はぁ? 利苑のくせに選り好みするとかいい度胸してんじゃない。ちょっと話があるから屋上来なさいよ。あたし久しぶりにキレたんだけど?」

「行かねーから座れ。それと急に立ち上がんな、ビックリするだろ」


 そんな取るに足らない雑談をぐだぐだと駄弁っていたせいか時間が経ち、気が付けば時刻は午後六時に迫っていた。


「あーあ、初日は収穫ゼロかー。部長のあたしは先行きが不安で仕方ないわー」


 部室内に差し込む西日を見て日向子は深い溜息をついた。


「言ってもまだ初日だろ。期限まで一ヶ月近くあるんだから前向きに考えろよ」

「うーん。まぁ、そうなんだけどさ……誰も来ないのがねー」


 四月十日の現在において、俺と日向子は自身が所属する天文部が抱える問題、部員の人数不足に頭を悩ませていた。

 早い話、部活の存続危機に直面していた。これはマイナー部活の宿命とも言える。


 俺達が通う私立天城星雲あまぎせいうん高等学校での部活動認可の最低条件は顧問になる教員の確保と最低でも五人の生徒の署名が必要になる。

 

 この条件は部活動存続にも適用される。存続の場合はさらに一学期中間考査前までに条件を満たし生徒会からの許可を得るという期限日タイムリミットが設定されている。


 前年度まで在籍していた先輩達が卒業を迎え部員数が規定人数を割ってしまった今年度の春。期限日の五月中旬まで残り約一ヶ月。まだまだ猶予ゆうよがあるといえばある方なんだが……人数以外にも課題が山積みなのが天文部の現状だ。


「あっ、そういえば健司郎けんしろうのやつ今日部活に来てないじゃん。ねえ、利苑。アイツのこと知らない?」


 日向子はふと思い出したかの様に俺にそんな事をいてくる。

「ケンちゃんは今日バスケ部の方に出てる」

「は? 何よアイツ。うちらのこと裏切ったの? ほんと、健司郎は使えないなー」


 荒んだ言動で悪態をつく日向子。相変わらずケンちゃんに対して容赦がない。


「どうせまたバスケ部の女子マネ目当てで行ってるんでしょ。やる気ないくせに欲望には忠実なのよねーアイツ」


 日向子のキレッキレの毒舌は今日も健在だった。


「……日向子、まがりなりにも血を分けた実の兄を使えないとか言うな。ケンちゃんだって忙しいんだよ」

「えー、あたしは別に健司郎のこと兄とか思ってないし。むしろアイツは弟だと思ってるから」

「…………」


 フォローするだけ無駄だった。まぁ、二人の兄妹仲の悪さは今に始まったことじゃないから別段気にしてはいないけど。


 話題に上がっているケンちゃんこと犬伏健司郎いぬぶし けんしろうは日向子と同じ日に生まれた日向子の兄である。


 日向子には双子の兄がいる、という説明をすると日向子以外に二人の兄がいると誤解されるため、分かりやすい説明をするならケンちゃんと日向子は二卵性双生児で男女の双子兄妹という関係だ。


 そしてケンちゃんも日向子と一緒で親友というより一緒に馬鹿なことをやる悪友というイメージが強い。


 というか。


「今日はやけにイラだってんな。何かあったのか?」


 そんな何気なく訊いた俺の質問に日向子は「……分かるんだ?」と目を見開いた。


「まぁ、それなりに付き合い長いからな」

「そっか……そうだよね」


 もにょもにょとハッキリしない口調で日向子は言う。


「心配してくれるなら……何も訊かないでさ晴らしに付き合って欲しいなーなんて」


 フッと視線を窓の外に向ける日向子。その横顔はどことなく赤みを帯びていて『何か』を期待している気がした。


「…………」

「…………」


 日向子が言って欲しい事は何となく分かっている。長年の付き合いがあるから予想するのは難しくない。


 だが、俺にも譲れない事情という物がある。断るべきことはキチンと断らなければいけない。


 なら、後は話し合いで決めるだけだ。言わばこれは一種の交渉だ。


「……言っとくけど買い食いなら俺はおごらねーからな。たまには自分の金で払え」

「冷めた。帰る」


 ほぼノータイムで交渉が決裂した瞬間だった。


 一体、俺の何が悪かったのだろうか? はなはだ疑問だ。

 金が無いのは仕方ないと思うんだが。


「はぁ。とりあえず部室の戸締まりするから、利苑はさっさと出て。ほら、早く」


 顔に不機嫌のマークを貼り付けた日向子に追い出され、俺は先に地学準備室の外へ向かう。


「言っとくけど先に帰らないでよ?」

「分かってるよ」


 今の言葉を長年の経験で忖度そんたくすると遠回しに「一緒に帰ろう」という意味になる……と思う。いや確信はないけど。


 廊下に出て夕陽に染まった校舎を呆然と眺めていると、唐突にポケットに入っているスマホが小刻みに振動した。誰からの連絡だろうと思いスマホの画面に目を落とすとトークアプリの通知が一件入っている事に気が付いた。


『部活が終わったらいつもの公園に来て。今日は利苑と一緒に夜空が見たい』


 そんな短いメッセージを読み終えて、俺はスマホをポケットに仕舞った。


「お待たせ。じゃあ行こ」

 部室の戸締まりを終えて玄関に向かう日向子。その軽い足取りはどこか機嫌が良さそうに見えた。


「……あー、悪い。そういえば俺、この後野暮用があるんだった」


 俺は暗色のロングヘアーがサラサラと流れる日向子の背中にそう話しかけた。


「野暮用? 何の?」

 日向子はクルリと振り返り、質問ついでにこちらの顔をジーっと怪訝けげんそうな表情で見詰める。


「いや、大した事じゃないんだけど──」

 俺は日向子から目をそらして曖昧あいまいに返した。


「ちょっと行く場所があるんだ」

「……ふーん。そっか」


 一応は相槌あいづちを打つ日向子だったが、その声は納得しかねている様子だった。


「それなら今日は先に帰るかー」


 しかし、特にそれ以上は追及ついきゅうしてくる事はなく日向子は再び前を向いた。


 ただ一言だけ。


「……利苑ってさ、最近ウチらとの付き合い悪くなったよね」


 ポツリと不満を呟いた。


「そうか?」

「そーよ。春休みの時も「用事がある」とか言って遊びを断った時あったじゃん」

「あー……」

 春休みの件は別にサボったわけじゃないんだけど。

 日向子に春休みの事情を話すと変な誤解されそうなんだよなぁ。


「……ねえ、利苑。あたしのイラだってる原因が利苑に関係しているって言ったらどうする?」


 生徒玄関を出て少し歩いた先の、校門の手前らへんで、日向子は神妙な面持ちと意味深な声の質で俺の顔を下から覗き込んできた。


「……どうするって言われても、俺に解決できる事案なら協力する、けど?」


 日向子は真剣な瞳でこちらの顔を覗き込んでいたかと思えば、急に目を細めてプイっと顔を背けた。


「そう言うと思った。だからイライラすんのっ! てい!」

「痛っ! 脇腹小突くの止めろ。それ地味に痛いんだよ」


 イライラすると言っている割に日向子の声は少しばかり弾んでいる気がした。


「あーもー利苑ムカつく。マジムカつく。そーゆーとこがムカつくー」

「悪かったって」

「ふーん謝っても許してあげないよーだ。少しは己の罪を悔い改めろバーカ」

「…………???」


 悪態をつく割に日向子の顔と声は上機嫌な感じだった。


 長年の経験で判断すると、今の日向子は少なくとも怒ってはいない様だ。俺は日向子がガチギレすると雰囲気でだいたい分かる。いや、分からん時もあるけど。


 十年以上の付き合いでも日向子の考えてる事が時々分からなくなるのは、単に俺の察しが悪いだけなのだろうか。


「部員確保の件は利苑の方でも多少はアクション起こしてよね?」

「ああ、分かってるよ。入ってくれそうな人に声かけてみる」

「約束だかんね?」

「指切りは無しだけどな」

「ははっ。もーいつの話ししてんの小学生じゃないんだから」


 校門を出たあたりで俺と日向子はそれぞれの帰路に向かう。


「じゃあね利苑。また明日」

「ああ、またな」


 遠ざかる日向子の影を尻目に俺はもう一度スマホの画面を見た。


「……とりあえず返信するか」


 既読したメッセージに「今から向かうから」と返信したら秒で『分かった』と短いリプライとポンと可愛い感じのスタンプが返って来た。


「返信早っ。大神さん、どんだけ夜空が見たいんだよ」


 そして俺は学校から離れて目的地である桜の木がある公園に向かった。


 メッセージの差出人はあまりの孤高ぶりから『オオカミ姫』の異名で呼ばれているクールビューティーな少女、大神柚月。


 彼女は最近になって親しくなったクラスメートの一人で天文部に勧誘しようと思っている俺の新しい友達だ。

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