お題:よりくじら【寄り鯨】 負傷し、または死んで、岸に漂い寄った鯨。

 オーストラリアではカンガルー、カナダではアザラシ、韓国では犬を食す。

 しかし日本の捕鯨だけが国際社会の批判にさらされている。調査と称して捕獲していた前科もあるのだが、絶滅危惧種を減らすこと、知能の高い生物を殺すという人道的問題、そもそも食料事情として必要に迫られているわけでもないのに食用として捕獲する意義、電気銛で殺傷する殺し方の残虐性などさまざまな問題でバッシングを受け、ボクの住む漁村でもクジラ漁は事実上禁止となったと聞いた。


 大雨の日、浜に大きな津波が来たと思ってよく見たらクジラだった。3階建ての家くらいあるかのような影は波ではなく死んだクジラの胴体だった。こうやって年に1~2回くらいは浜に寄り鯨よりくじらが打ち上げられる。

 これは人工的に屠殺するのとは異なる自然現象なので、肉を食用にしたり骨や油を加工して販売することが認められている。小さな漁村なので年に1頭でも打ち上げられればその年は暮らしていける。それ以外の年の収入はワカメやアワビくらいだ。そんな不安定な魚村を離れ都会に出稼ぎに行く若者も多い。


 3日後、寄り鯨の解体が終わり何事もなかったかのように綺麗になった浜辺に一人の女の子が倒れていた。すでに息をしていない。あの時の大雨で流されてきたのだろうか。

 浜の端の方まで行くと岩だらけの崖となり、身を投げて自殺をする者がたまにいるスポットになっている。おおかたは海に沈むか魚の餌になり行方不明となるのだがこういうこともたまにある。


 浜に流れてきたものは魚村の財産なので取り扱いは自由だ。

 ボクは誰も見ていないのをいいことに女の子を家に運んだ。オヤジは鯨解体後の宴会で今は家にいない。今夜は帰ってこないだろう。

 死体は生前は美しかったのだろうが今は見る影も無い。水死体というものは水を多く飲んでしまうため顔や腹がパンパンに腫れている。目玉も鳥か魚に食べられていて両方とも無い。


 オヤジを手伝って魚の解体は何度もしたことがある。が人間の解体をするのは初めてだ。脳みそがうまいらしいが、頭蓋骨は固く刃が通らない。まずは腹を裂き海水を抜く。みるみる腫れが引きスタイルの良い女性の体になった。


 オヤジも人間を解体したことがあると言っていた。その人も波に打ち上げられた女性で、オヤジと結婚したばかりのボクの母だった。

 都会から嫁いできたがやはり田舎の生活にはなじめずに死を選んだのだという。死体の薬指についている指輪を見て母だとわかったそうだ。奇跡的に妊娠9ヶ月の胎児の脈があり、腹だけ裂いて取り出した赤ん坊を即座に病院に届けて命をつなぐことができたのだという。それがボクだ。


 その年はクジラが取れず、飢えをしのぐために母の遺体を食べてつないだという。

 今の時代は飢えるということはない。しかし目の前に横たわっている人体を食べてみたいという衝動にかられている。一番柔らかい乳房を2つ切って網の上で焼く。香ばしい匂いがする。ちょろりと醤油を垂らして口に頬張る。旨い。


「何をしておる」


 突然後ろから肩を叩かれ声をかけられた。オヤジだった。


「ようやくお前も村衆の仲間入りだな。ぶはは」


 この村では伝統的に人を食うという習慣が残っている。

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