お題:あおからぶ【青枯らぶ】 青い色のままで枯れる。

 シンガポールではディープラーニング(DL)というコンピュータAIの優れた技術が採用されていて、狭い国土の信号切替に効果を発揮しているという。


 通常信号というものは、だいたいの交通量を人力で調査した結果、何秒青でそのあと何秒赤だというのが決められている。これは年中24時間不変であるしヘタすると10年以上ずっと同じということもある。

 都会では少し違っていて、朝と午後の交通量を考慮して切り替えられている所もある。それでもせいぜい1日に2通りである。


 このような状況に慣れきっているので、私達はそれがあたりまえだと思うし守るしか無いと考えている。全く誰も渡らない横断歩道で青になるまで信号を待ったりもする。警察やオービスに発見されて違反切符を切られたらたまらないからだ。

 これをもっと効率的に交通が流れるように人間がプログラムしようとすると、『何台止まったら青にして何台流れたら赤にする』のような条件を延々と継ぎ足していくことになる。のですべての場合を網羅するのは難しくやはり渋滞が起こってしまう。


 DLディープラーニングが素晴らしいのは何万パターンの交通状況をデータとして学習させると、現在の状態に最も適した効率的な解答を提示してくれるところである。さらにその調整された今のパターンすら取り込んでより精度の高い、渋滞の無い信号切替を行ってしまうのだ。

 シンガポールの交通状況はこれにより劇的に改善された。まもなく自動車の自動運転も全車に導入され、事故も限りなくゼロに近くなるまで減るだろう。


 日本ではまだDLは囲碁や将棋の世界でしか活躍していない。とはいえすでに人間の名人が勝てないくらい強く、ゲーム上では人類を凌駕したと言ってよい。


 高校二年生のセイタロウは、独学でDLを一年間学び、クラスで二番目にかわいいユカコへの告白を成功させようと考えた。セイタロウはまず、国内7000万ユーザがいるLINEをハックし、告白が成功して付き合ったと思われる男女の膨大なメッセージデータを手に入れた。それをDLに学習させ、適切な時間に適切な間隔で(あまりに頻度が高いとウザがられる)適切なメッセージを送るアプリを作りこみ稼働させた。


 ユカコの成績は上の中、容姿やスタイルは文句なし、体育会系でテニス部に所属し今は大会前で練習が大変そうだ。セイタロウの方はといえば、成績は中の下、文化系の図書委員の美術部で接点はない。電車の最寄り駅が一緒だというのとクラスの座席が斜め前で好きなだけ斜め後ろから眺めていられるというくらいだ。

 DLアプリが最初に送ったメッセージはこうだ。


『おはよう、今日は雨だね』


 突然知らない奴(クラスは同じだけど)からメッセージが来たら驚くだろうか。LINEは本名で登録しているので、とりあえずは同じクラスのセイタロウだということはわかるだろう。普通に電車が一緒になった時にあいさつしたことは何回かある。警戒されて返事がないということもありえる。だいぶ間が空いた二限目のあとに


『おはよう?』とメッセージが返ってきた。


 スルーされずに返事があっただけでも一歩前進だ。すぐに何か言葉を返したいところだがここはぐっと我慢してDLに任せて成り行きだけを見守ることにする。

 DLの解析によれば大切なのはペーシングの習慣ということらしい。どの子にも同じように同じ文句をテンプレで流すのではない。相手に合わせてタイミングを合わせるのだ。メッセージを送った瞬間にすぐ返してくれる子には、こちらも同じようにすぐ返信した方がいい。時間をかけて長文を送ってくる子には、こちらも時間をかけて長めの文章を考える。スタンプが多い子には、顔文字を多用しても問題ない。

 習慣は、とにかく毎日同じ時間帯に定時のあいさつなどをすることだ。連絡を取りあうことが習慣となれば、いずれ向こうからその日の最初のLINEが送られてくることもあるだろう。知り合いから友達になった瞬間だ。


 こうして二ヶ月、LINEでやりとりをしてついに夏休み前の終業式の日には『夏が終わる前にはプールに行こうね』という約束まで取り付けてしまった。

 DL恐るべし。だがしかしセイタロウには現実感がない。自分でメッセージを打っているわけではないのだから当然だ。少女漫画のなりゆきを読んでいる読者のような気分である。


 はて困った。運動は苦手で水泳はクロールもできない。平泳ぎに近い犬かきをして浮いているのがやっとの状態である。スマホに防水もついていないのでプールでDLに頼るわけにもいかない。こんな状態ではユカコを失望させてしまうだろう。


 ところがDLはデートの前日に急な用事が入ったと言って自分からプールの約束を破ってしまったのだ!

 セイタロウは心のなかで安心しながらも何をやってるんだと憤っていた。そして数日メッセージを打たなくなってしまった。

 もはやこれまでDLにも限界があるのかと思った。が、これは恋愛駆け引き用語では”引き”というものらしい。毎日セイタロウからおはようの連絡が合ったのに全く音沙汰がなくなる。ユカコはどうしたんだろう?と考える。そんなに怒っていないのにセイタロウが約束を守れなかったことで負い目を感じているのだろうか?と悶々として結局一週間後、ユカコの方から『大丈夫?』というメッセージが来た。DLすごい!


 そしてついにDLは手順を踏んでゆっくりとそして確かめるようにユカコに告白した。

『一日考えさせて』というメッセージの翌日に『いいよ』という答えが来た。やった、成功だ。そして次の学期の最初の日から電車だけ時間を合わせて毎日登校することになった。


 最初の数日はユカコからあれこれ話しかけてくれて、セイタロウはあーとかうんとか答えるだけでよかったのだけどだんだんと何も話してくれなくなった。

 そうだ今まで全て受け答えをしていたのはDLというAIの人工知能であってセイタロウ本人ではないのだ。現実にはまるで何を話題にしてどんな風に話したらいいのかわからない。やがてユカコの方から電車の時間をずらすようになり、青枯あおからぶ恋の行方は自然と消滅した。キスもデートも手を握ることもない初恋の初失恋だった。


 今でも、LINEのアドレスを交換した子にDLアプリを試してみることがある。そのやりとりを見て楽しんでいる。

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