お題:くんし【薫紙】 香料をしみこませた紙。

 私の彼氏はアメリカ人で、日本では毎日満員電車に揺られて通勤している。

 出張で東京勤務を命じられたはいいが、現地の交通事情や社屋の都合で車通勤が禁じられたのは誤算だったようだ。知り合った当初は、朝の電車の混雑状況にクレイジーとかファッキンを連発して怒り新党を結成しそうな勢いだったが今はなんとか収まっている。


 私も実はドロップアウト組で、人生はストレスを溜めず穏やかに過ごすものと決めOLを辞めた。

 急いでいる時に買い物をしない、満員電車に乗らない。これが私のストレスから逃げる法則だ。

 今はフリーで適度な絵描きをして収入を得ている。マンガのキャラクターやアニメの萌えっ娘なんかは描けないけれど、どこにでもありそうな誰でも描けそうな普通の絵みたいな需要が実は多く、割りとダメ出しも少なくそれなりに儲かっている。


 彼氏には薫紙くんしを薦めてみた。ちょっとした香りのする、名刺くらいの大きさの紙だ。

 沈香じんこうという東南アジアでしか手に入らない樹木由来の独特の香りのする薫紙は高価で効果がある。文庫本に挟んでしおりとして使ってもいい。本を開いた時になんともいえない癒しの香りが広がり電車の混雑を束の間忘れさせてくれる。

 財布に忍ばせてみたり、帰宅後の部屋で焼いてアロマテラピーのような使い方をしてもいい。プレゼントに添えるのも気の利くおしゃれである。


 彼氏はもっと他の香りはないかとせがむので色々と探してあげた。

 私にはどうもよくわからないのだけど、草むらで猫がオシッコしたような香りのする薫紙が一番気に入ったようだ。それはどうやらマリファナに似ているらしい。彼の母国であるアメリカのコロラド州では近年マリファナが合法化された。成人は一度に数十グラムまで合法的に購入し吸うことができるようになり、彼も常用していたという。


 私自身はたばこを吸わないので他人の吐く煙は好きではない。会社を辞めてインドに個人旅行をしたとき、いわゆるバックパッカーはみんなガンジャ(=マリファナ)を吸っていた。警察に見つかり捕まると終身刑に近い裁きを受けるのだが、日本ではできないことを、と若者たちからうらぶれたおじさんまでが現地のインド人から安いガンジャを買って享楽していた。


 彼らの言い訳はこうだ。

 麻薬というものはハイになるものとダウナーになるものがありガンジャは後者だ。一点をぼーと見つめ静かになり自分の世界に入り込む。サイケな音を聞くとよりよいらしい。アルコールのように馬鹿になり周りに迷惑をかけることもなく、タバコのように常習性もない。何が悪いのだ?と。

 オランダなど合法の国もある。としてまるで沢木耕太郎の深夜特急のように西を目指して旅するものもいる。それに加え近年アメリカの各州で合法化の波が来ているのは、税収につながるからだという。もともと暗黙の了解で闇で取引され多くの人が吸っていた。ならば合法にして税金を乗せて国の収入にしたほうが良いという政治的判断もある。


 もうすぐ彼が東京に赴任して3年の任期が終わる。私は結婚してもいいと思っているが彼にその気はなさそうだ。

 どうせ日本に来たからには日本の女の子も知っておいて損はないだろうくらいの気持ちのようだ。社交辞令で、「今度コロラドにも遊びに来てくれよ、本物のマリファナを吸わせてあげるよ」なんて言われた。

 まあ人生経験の1つとして味見してみるのもよいかもしれない。

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