お題:よよむ 年老いて腰が曲がる。よぼよぼになる。

 「タイゾー、タイゾー」


 服はボロく身なりも汚いが笑顔だけは満点の子どもたちが、カケルに声をかけてくる。

 この国のどこを歩いていても、『タイゾー』と同じ言葉が聞こえてくるのでカンボジア語のあいさつにあたるのではないかと最初は考えた。もしくは何かめぐんでほしいという意味なのか。カケルは面倒になり、たまにしわくちゃになった1ドル紙幣や飴玉をその子たちにあげていた。ガイドブックの簡単なあいさつ欄を見てもそれらしい言葉は見つからなかった。


 カンボジアの平均年齢は24歳。この国の国民がこんなに若いのには理由がある。1970年から20年間、内戦があり同じ国民同士で殺し合い、数十万人が死んだ。その10年後、ようやく治安が回復し旅行者へも国境が開かれた頃にカケルはこの国へ来た。

 旅行者自体が少なく、もちろん宿泊する所は少なく、その宿も門限の夜21時には頑丈な玄関の鉄柵が閉じられる。ベッドで寝ていると、夜中に外で鳴っている銃撃の音が聞こえてくるような状況だ。

 強制収容所跡や郊外の本物のドクロの山が、観光として見世物となっている。国土は荒廃し道路は舗装されておらず砂利道。首都プノンペンからシェムリアップへの長距離バスはガタガタと揺れよくパンクして止まる。橋は落ちていてそのたびに迂回しなければならない。


 小休止で止まった村で老人が乗車しカケルの隣に座った。左足は義足で杖をつき、よよんではいるが顔つきと言葉はしっかりとしていた。カケルは片言の英語で『タイゾー』のことを聞いてみることにした。


 『タイゾー』とは、なんと日本人青年の名前であった。『タイゾー』はこの国の内戦中、ロバート・キャパに憧れカメラマンとしてカンボジアへ単身乗り込み戦火の写真を多く撮った。その一方でのどかな村や人々の様子もカメラにおさめてこの国の人々から愛された。が、スパイの容疑で捕まり若干26歳で処刑された。


 カケルは、自分と同じ年でそんなハードボイルドに生きて死んだ日本人がいたという事実をその時はじめて知った。知らなかったことを恥じた。日本人の自分よりも、カンボジア人の多くの子どもたちが『タイゾー』を知っていることが嬉しくもあり悲しくもあった。


 カケルはアンコールワットに着くと、老人が薦めていたプリヤ・カン遺跡を訪れた。

 遺跡の真ん中にある玉座にたどり着くには、東西に伸びる長い回廊を通らなければならない。回廊は中心に進むに連れ徐々に天井が低くなる構造だ。日本人であっても天井に頭がぶつかるくらいの高さになる。すると自然と腰を曲げ頭を下げる格好となる。目上の者には会う時には礼をする、という仏教思想が取り入れられた遺跡なのだ。


 カケルは目を瞑りこの国の文化と老人と、そして『タイゾー』に礼をした。

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