お題:れきれき【轣轣】 石ころの道を車の走り響く音。

 タイのバンコクはアジア旅行の起点である。なかでもカオサン通りの一角は格安の宿と情報と流行が集まるとしてバックパッカーたちの聖地となっている。周辺の国々へ行くにも一度はココに泊まり、情報や同士を集めてバスや電車、フライトを探して出発するのが常である。


 例えば一番人気があるのが、隣の国カンボジア・アンコールワットへのツアーだ。

 今のようにネットもスマホもなくWiFiも整備されていない時代――といってもほんの十数年前の話だが――、情報は口コミが全てであった。


 宿のオーナーに、どこどこへ行きたいんだがなどという話をすると隣の代理店がバスを出しているとか教えてくれる。カオサンという小さな通りの周辺には無数の小さな代理店がひしめき合い、物理的に腕を引っ掴んで文字通りの客引きや価格合戦で商売をしている。

 時間はあるがお金は節約したいというバックパッカーは、何軒ものそういった店を周り最も安い便を探してさらに交渉する。あっちの店では食事と水がついていくらだったぞ、などとハッタリをかましてみたりもする。元々外国人向けに数倍は値段がふっかけられているのだ。交渉次第で半額くらいにはしてもらえることもある。面倒ではあるが、そういった交渉も長い旅行のうちに慣れて楽しめてきたりもする。


 アンコールワットへは飛行機で行くのが一番便利だが、価格は高く往復の便も決められている。もう少し長く滞在したいなんていう時には追加料金を払って帰りの便を変更することになるので不便である。

 逆に最も安くバックパッカーに人気があるのは夜行バスである。片道250バーツ(約8ドル)という価格でタイのバンコクからカンボジアのシェムリアップまで運んでくれ、ビザ代も含まれている。二十人くらいの中型バスに旅行者だけを詰め込んで行く。そんなバスが毎日何便も出ている。

 普通に自分で地元の交通機関を使ってカンボジアまで行こうとすると、電車やローカルバスを乗り継ぎ、国境まではトゥクトゥクに乗り自分で入国手続をしてそこからまたタクシーを探すことになるのでかえって割高で時間もかかる。それも旅行の醍醐味ということもできるのだが…。


 中には、薬や女の誘惑にハマってしまいタイに住み着いてしまっている輩も多くいる。物価や宿代が安い分だけ治安は悪くなりセキュリティはいい加減だ。夜に薄暗い路地で銃やナイフで脅されカツアゲされたなどという話は日常茶飯事である。それでも南国特有の熱気と人々の活気で多くの旅行者が毎年そこを訪れている。


 サッタニーは同じ年頃の子と比べて体が一回り小さかった。病気がちで力仕事も苦手。すぐに田舎を出て都会で仕事を探したが路上で物乞いをするか外国人の荷物持ちをするくらいが関の山。毎日腹を減らしながら生きているのがやっとだった。

 そこをボスに拾われた。十五歳になったが100センチにも満たない身長の彼をボストンバッグに詰めて、アンコールワット行きのバスの横腹に押し込んだ。暗く狭い空間の中で舗装されていない道を轣轣れきれきと走るのですぐに気分が悪くなった。人身売買で売られるのかと覚悟を決めたが、手渡された懐中電灯とナイフが不思議だった。


 サッタニーはボストンバッグのジッパーを開け外を覗いてみた。そこはさながら屋根裏部屋の秘密基地のようでワクワクした。外国人旅行者のバックパックが山のように積まれていたのであまり動けるスペースはない。多くの旅行者はパスポートと財布だけ持ち、上の座席で寝ているのだろう。大きい荷物は全てバスの腹に預けるのだ。


 なんとか動こうとするが、暗くて狭く右手のナイフで左手を切り出血してしまった。

 この時彼は、ボスが自分を載せた理由を理解した。カンボジアに付くまでの間にこの大荷物のなかから金目のものを「盗み出せ」というのだ!


 もちろん外国人旅行者もバカじゃない。バックパックには何重もの南京錠や鍵をかけ開けられないようにはなっているし、貴重なものは入れていない。しかしゼロではない。この夜から朝までの数時間、与えられた時間でお宝を探すのが彼の役目だ。

 バレてはいけない。

 見つかったら袋叩きで留置所行きだ。

 ビビりながらもサッタニーは、人生で初めて生きがいとやりがいを感じていた。


 バスが値段が安いのにはそういう理由があった。

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