第50話
月夜は腕時計を見る。もう、時間の感覚は戻っていた。あの物の怪が消えたのだから当たり前だ。
誰も何も話さないまま、静かな時間がゆっくりと流れた。
地球は回転している。宇宙の中を彷徨っている。
地球が回っていなければ、時間という概念は生まれなかったのか? もしそうだとしたら、生命は生まれなかったのか? 生命という形ではなかったのか? どのようなものを生命と呼ぶのだろう? どうして、生命はいずれ死ななくてはならないのだろう? 同じ個体が生き続けては駄目なのか? ほかの個体が死んだから、自分という個体が生まれたのか? では、自分はほかの個体が生まれるために死ぬのか? 結局のところ、紗矢が死を選んだのは、生き物として当然の帰結ではないか? 自分の死がきっかけとなって、存在の有無が決まる個体を、自分で選ぶか、自然に選ばせるか、の違いでしかないのではないか? 自分はどうして生きているのだろう? ほかの個体を生み出すためか? それでは、その個体はどうして生まれてくるのだろう? また別の個体を生み出すためか?
すべては循環している。
万物は流転する。
永遠に繰り返す。
何のために?
人間が作った、目的というものは、この世界に存在する摂理なのか?
それとも、単なる人工物、つまりは、ただの幻想にすぎないのか?
どうだろう?
紗矢が石段から立ち上がり、月夜を見下ろした。
「じゃあ、そろそろ行くね」紗矢は話す。「月夜、本当にありがとう。君には感謝しているよ。……それから、フィルも」
フィルは顔を上げる。
紗矢は彼に笑いかけた。
フィルも、笑った。
「ああ、先に行っていてくれ」
「私、待たないからね」
「分かっている」
支柱の上で燃え盛る篝火が、勢い良く宙に舞い上がった。渦を形成してこの空間を取り囲み、紗矢の身体に絡みつくように踊る。
揺らめく炎が月夜の瞳に映り込んだ。
しかし、彼女の冷徹な瞳は、そんな灼熱の温度すら許さない。
フィルの瞳は何も映していなかった。
「月夜、楽しかったよ」
「うん」
「ありがとう」
「さようなら」月夜は笑った。「会えて嬉しかったよ、小夜」
炎の渦が勢いを増す。
少女は、笑顔のまま、炎に飲み込まれる。
頭の上を覆う木々が焼き尽くされ、空へと繋がる道が開けた。
炎は、空に向かって伸び、一人の少女をここではないどこかへと連れていく。
花火のように、炎は上っていき、やがて祭りの残滓のように消えた。
月夜は空を見上げたまま動かない。
フィルも一緒だった。
「お前とは、少し違ったな」彼が呟く。
「うん」月夜は応えた。
「どうしてだと思う?」
「さあ、どうしてだろう……」
静寂。
きっと、そうあることを彼女が望んだからだ、と月夜は考える。
悲しくはなかった。
むしろ嬉しかった。
自分の中には、まだ自分でも知らない自分が潜んでいる。
それを見つけるために、もう少し生きていよう、と月夜は思った。
*
神社があるエリアをあとにして、月夜は夜の山道を下った。木の根が張っているから、懐中電灯で足もとを照らして、慎重に進む必要がある。行きは上りだが、帰りは下りだから、暗い中を歩くのは多少大変だった。
注意して歩いていた月夜だったが、石造りの階段を下りるとき、足を踏み外して、もう少しで転落しそうになった。
「おいおい、気をつけてくれよ」彼女の肩に載ったフィルが、心底驚いたような声で言った。「お前が落ちたら、俺まで巻き添えを食らうじゃないか」
「ごめん」月夜は謝る。
「……しかし、あと少しのところで踏ん張るのは、たしかに、あいつとは違ったな」
「うん……」
けれど、そんなふうに考える自分も、自分の中には存在するのだ、と月夜は思う。
もし、どうしようもなくなったら、フィルに助けを求めよう。
そうするように、彼女に教えてもらった。
「ねえ、フィル」
「なんだ?」
「私を、支えてほしい」
フィルは、黄色い瞳で月夜を見つめる。
「お前が、俺を支えてくれるのなら、な」
月夜は彼を抱き締める。
転ばないように注意して、最後まで階段を下りきった。
誰もいない草原。
吹きつける風。
コートを着ていなくても寒くない。
月夜は、フィルに軽くキスをする。
物の怪の頬は、まるで生きているみたいに温かった。
篝火導師 羽上帆樽 @hotaruhanoue0908
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