第49話
「月夜は、これからどうするの?」紗矢が尋ねる。
「どうするというのは、どういう意味?」
「どうやって生きていくの?」紗矢は笑った。「なんか、抽象的な質問だけど」
「普通に生きていくと思う」
「普通って? 一般的な人生を送る、という意味?」
「その日やることを淡々とこなしていく、という感じかな」
「たしかに、月夜らしいなあ」
「私らしいって言われることがあるけど、その意味が、私には、よく分からない」
「うーん、深い意味はないと思うよ、きっと……。そんな感じがするだけで」
「フィルらしさとは?」
「フィル?」紗矢は月夜の膝の上に目を向ける。「うーん、彼はね……。……まあ、味噌汁と豚カツのセット、みたいな感じかな」
「……えっと、どういう意味?」
フィルはさらに顔を向こうに向ける。
「え? いや、そのままの意味だけど……」紗矢は言った。「伝わらない?」
月夜は必死になって考える。
「伝わった、かもしれない」
「そっか、それならよかったよ」
フィルは百八十度回転した。
「あのさ、月夜」
「うん?」
「……月夜は、誰かを失ったんじゃないの?」
「誰かって?」
「いや、分からないけど……。……そうなんでしょう?」
「失ってはいないよ」
「そうかもしれないけど、でも……。寂しくない?」
「寂しくはない、と自分では思っている」月夜は説明する。「でも、フィルから、それは違うんじゃないか、と指摘されたことがある」
「うん……。私も、フィルと同じように感じるよ」
「……そうなのかな」
「月夜は、もう少し人を頼った方がいいね」
「どういいの?」
「その方が得するってことだよ」
月夜は、以前、フィルに同じことを言われたのを思い出す。たしかにその通りだった。人の意見を聞けば、それだけ選択肢が増える。つまり、可能性が広がるということだ。フィルや紗矢が言うように、それは得と呼んでも差し支えない。少なくとも、損ではないだろう。
「分かった。じゃあ、もう少し人に頼るようにする」
「そうそう。いいね、素直で。そういう対応の素早さが、月夜らしいと思うんだよ」
「うーん、自分では分からない」
「まあ、いいよ。自分では気づいていない方が、綺麗だから」
綺麗?
そうか……。
紗矢は綺麗だ、と月夜は思う。
その言葉を忘れていた。
言葉だから、それほど重要ではないが、それでも、それを口にしてみようか、と月夜は考える。
「紗矢」
月夜の呼びかけに反応して、紗矢は彼女の方を向く。
「何?」
月夜は言った。
「紗矢は、綺麗だよ」
紗矢は動かない。
一度瞬きをする。
それから、朝顔が咲くみたいに、彼女はゆっくりと明るい表情になった。
「うん、どうもありがとう」紗矢は話した。「月夜も、綺麗だよ」
この場合の綺麗とは、いったいどういう意味だろう?
エネルギーの消費が抑えられている、という意味なのか、それとも、何らかの法則が存在している、という意味なのか……。しかし、後者は前者の部分集合だともいえる。そう……。月夜には、綺麗という言葉は、常にそうした意味で解釈される。
紗矢は、どんな意味でその言葉を使ったのだろう?
月夜はそれが気になった。
でも、彼女に訊くことはしなかった。
それは……。
訊かない方が、綺麗だと判断したからだ。
この場合は、間違いなく、エネルギーの消費が抑えられている、という意味ではない。
月夜はそれに気づいた。
いや、気づいていた、といった方が正しい。
「ねえ、フィル」紗矢は今度は彼に声をかける。
「……なんだ?」フィルは面倒臭そうな声を出して、彼女の方を振り返った。
「月夜を、よろしくね」
「ああ、そうだな」
「……本当に分かっている?」
「少なくとも、お前以上にはな」
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味だ」フィルは不敵に笑った。「さっき、自分でそう言っていたじゃないか」
「あそう」
「そうだ」
月夜は、隕石が落ちてこないか心配になった。
「紗矢は、何時に行くの?」月夜は質問する。
「え? ああ、そうだね……。うーん、年を越す前には行こうかな」
「どうして?」
「うーん、なんとなく……」彼女は話す。「新しい年が始まったら、もう一年ここにいなくちゃいけないような気がするから」
「いたら?」
紗矢は笑う。
「もう、決めたんだよ」
「うん」
「決定は覆せない」紗矢は胸を張る。「決行しなくてはならないこともあるのです」
「そうだね」
「月夜、楽しそうだね。何かいいことでもあった?」
「いいことは、なかった」
「じゃあ、ほかに何かあったの?」
「ないよ」
「ただ、楽しいだけ?」
「うん」
「そう……。それは、よかったね。おめでとう」
「ありがとう」
「フィルは楽しそうじゃないね」
「そうかな?」
月夜は彼を見る。
「もう少しで、尻尾が動きそうな気がするけど」
「動かない」フィルが丸まったまま呟く。
「大晦日って、いいなあ……」紗矢が言った。
「蜜柑食べたい?」月夜は尋ねる。
「持っているの?」
「お皿の上に?」
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