第48話
九時になるまでそこに座り続け、月夜はフィルと一緒に家を出た。紗矢が住む山へと向かう。坂道を下って草原に入り、石造りの階段を上って山に続く道を進む。懐中電灯で足もとを照らして歩いた。
暫く歩き続けると、間もなく前方に明かりが見えた。
なんだろう、と月夜は思う。
その先には、いつも紗矢がいる神社がある。
視界が開放的になって、神社があるエリアに到着した。
石段の両端で炎が揺らめいている。長い支柱の上に皿のようなものが載せられていて、その中で大きな篝火がぱちぱちと音を立てて燃えていた。周囲がぼんやりと照らし出されている。紗矢は、いつも通り、石段の中央に腰をかけて目を閉じていた。
二人の気配を察知して、紗矢がゆっくりと顔を上げる。篝火に照らされて、彼女の表情はいつもより大人びて見えた。
「あけましておめでとう」立ち上がって、紗矢が言った。
「まだ、年は明けていないよ」月夜は紗矢がいる方に近づき、彼女の隣に座る。フィルは月夜の膝の上に飛び乗った。
「いや、もう言えなくなるから、先に言っておこうと思って」
「なるほど」
「なるほどって?」
「相槌」
「それは知っているよ」
「うん、知っているとは思った」
沈黙。
月夜は後ろを振り返り、建物の内部に視線を向ける。誰か、この神社を管理している人がいるのかもしれない。
「どうして、明かりを灯しているの?」気になったから、月夜は紗矢に尋ねた。
「これね、魔除けなんだ」紗矢は説明する。「私がここを去るとき、ほかの物の怪に侵略されないように、炎を掲げて守っているの」
「紗矢は、ほかにも物の怪に会ったことがあるの?」ほかにも、というのは、フィルを意識した発言だ。
「うーん、私は会ったことはないんだけど、なんか、存在するらしいから……」
「フィルは?」
「そうらしい、という話は聞いたことがある。詳しくは知らない」
「そっか」
「私がいなくなったら、月夜はすぐに帰ってね」紗矢は言った。「じゃないと、また面倒なことになるかもしれないから……。いい?」
「うん、いいよ」
「何かあったら、フィルに頼めばいいよ」
「何を?」
「色々と、月夜のためにしてくれると思うから」
月夜はフィルの頭を撫でる。彼は鼻を鳴らして、そっぽを向いて黙ってしまった。
炎が燃える小さな音が聞こえる。何が燃えているのだろう、と月夜は考える。燃えるのは、有機物だから、炭素が含まれた何かが燃料になっているはずだ。「魂が燃えている」というような表現をすることがあるが、それでは魂は有機物なのかな、と月夜は少し不思議に思う。
「この神社には、誰かいるの?」フィルの頭を撫で続けながら、月夜は尋ねた。
「うん、管理人さんがね。私のことも知っているよ。その人には、物の怪の姿が見えるみたい。私と、フィルの、数少ない知り合いだよ。月夜にも私たちの姿が見えるから、もしかすると気が合うかもしれないね」
「紗矢は、どこに行くの?」
紗矢は月夜を見る。
「あの世、かな」
「あの世? それは、どこにあるの? どうやって行くの?」
「月夜も一緒に行きたいの?」
「もう少し時間が経っていたら、一緒に行ってもよかったかもしれない」
「あの世はね、いい所なんだよ」紗矢は話す。「楽園、と表現されることもあるけど、そういう感じではないかな。何も感じなくなるんだよ。無になる、と言えばいいかな……。でも、暫くしたら、死んだものはまた形を変えてこの世に戻ってくる。だから、もしかたしたら、また月夜にも会えるかもしれないね」
「そうやって会ったとき、私は、それが紗矢だと分かるの?」
「それは、月夜次第だよ」
「どういう意味?」
「意味なんてないよ。分かるかもしれないし、分からないかもしれない。それは、どんなものだってそうでしょう? 月夜の身体を形作る蛋白質は、もとはほかの動物の身体を形作る蛋白質だったけど、今は、それが、どんな動物の蛋白質だったのかは分からない。でも、ある程度は突き止めることができる。それと同じ」
ああ、なるほど、と月夜は思った。
「紗矢は、私にもう一度会いたいと思うかな?」
「さあ、どうだろう……。そのときの私がどう思うのかは、そのときの私じゃないと分からないよ。でも、今は、また会いたいな、とは思っている」
「フィルには?」
「もちろん、会いたい」
フィルが若干身体を動かす。月夜には、彼が喜んでいるのが分かった。
「それにしても、死んでから随分と長かったな……」紗矢は言った。「もう少し、早い内に向こうに行けると思っていたんだけど……。人生、何が起こるのか分からないね」
「紗矢は、自分で、この世界に残ることを選んだんじゃないの?」
「まあ、半分はそうかな」
「左腕が我儘を言ったから?」
「そう……。あれは、酷かったね。でも、そのおかげで、今、私は月夜と話しているんだから、なんだか複雑な気持ちかも」
月夜は前を向く。
気持ちは、常に複雑だ、と思った。
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