第27話

 飲み物のコーナーに辿り着いて、月夜は適当に飲料を選ぶ。炭酸は極力飲みたくなかった。栄養がないのに、お腹が膨れる、というのが、はっきりいって意味が分からない。というわけで、健康的に麦茶を選んでおく。クッキーを食べながら、麦茶を飲むのか、と一瞬考えたが、まあ、良いだろう、と思って、何も躊躇せずに籠に入れた。


「クッキーを食べながら、麦茶を飲むのか?」


 たった今考えたことを、フィルに指摘される。


「うん、そうだよ」


「変わっているな」


「何が?」


「いや、何も……」


 クッキーと麦茶が入った籠を持って、レジへと向かう。これだけなら、籠に入れる必要はなかったな、と月夜は思った。


 何かほかに買うものがないか、と思って、少し遠回りをしてレジに向かうことにする。魚介類や、肉類が、冷蔵棚にいくつも陳列されていたが、月夜はそれを見たくなかった。こういった症状は、ときどき何の前兆もなく訪れる。どうしてか、そうした断面を見ると、気持ち悪い、と感じてしまうのだ。人間は、陳列された魚の死体や、肉の断片を、その通り「死体」や「断片」として認識しないらしい。それは、どうしてだろう? 仮に、そこに兎の死体や、カンガルーの断片が並べられていたら、どう思うのだろう? こんなふうに、人間は、普通、自分の思考に何らかのバイアスをかけている。かかっている、のではない。意識的にかけているのだ。だから、ときどき、それが外れる。月夜の頭脳は、合理的に思考しようとする癖があるから、そういったバイアスの影響を受けにくい。けれど、そうは言っても、やはり多少の偏見は持つものだ。自分では偏見だと思っていないものが、実はとてつもない偏見だった、ということもある。


 最後に、野菜のコーナーを見て、レジに向かおうとした。


 しかし、そのとき、月夜の身体は止まった。


 籠を持っていない方の腕を見る。


 誰かに掴まれた、と感じたからだ。


 しかし、周囲を見渡してみても、彼女の傍には誰もいない。


 おかしい……。


 その感覚は、生々しくて、冷たくて、確かなものだった。


 確かなもの?


 確かなものとはなんだろう?


 生きていれば、確かなのか?


 死んでいれば、確かではないのか?


「どうした、月夜」


 ウエストポーチから顔を出したフィルに声をかけられて、月夜は我に返る。


「いや、何も」


「早く行こう。ここは寒い」


 フィルに促されて、月夜はレジに向かった。


 買い物を済ませたら、もう、ほかに寄るべき場所はない。横断歩道を渡って、坂道を上った。自分の家は、それなりに高い所にあるのだな、と月夜はぼんやりと考える。人、人、人。自分は、人だろうか、と唐突に思う。


 どれほど風が冷たくても、人は毎日仕事に向かい、どれほど空気が乾燥していても、人は毎日学校に通う。どうして、そんなことをするのか。どうして、そんなことをする必要があるのか。誰かに操られているのではないか、と思えることが、月夜にはしばしばあった。まるで、みんな、仕事をするために、あるいは、学校に通うために、生まれてきたように見える。現に、そう考えている人もいるだろう。それは、とても素晴らしいことだが、同時にとても悲しいことでもある。しかし、人間は、もともと悲しい生き物だ。だから、悲しくて当然だ、と主張することもできる。けれど、そんな主張をしても、きっと誰も聞いてくれない。心の中では、みんな気づいているはずなのに……。


 月夜は、それが、悲しい、とは思わなかった。


 つまり、自分は人、人間、では、ないのか?


 どっちでも良かった。


 そんなことを考えている内に、いつか自分も死ぬだろう、と純粋に思う。


「今日は、紗矢の所に行かないのか?」フィルが訊いた。彼は、今はウエストポーチから出て、アスファルトの上を歩いている。


「行った方が、いいかな?」


「さあね。お前が来れば、あいつは喜ぶだろうが、あいつを喜ばせるために、お前が行動する必要はないからな」


「必要って、なんだろう?」


「義務、と似ているものだな」


「義務って、なんだろう?」


「堂々巡りになる。やめよう、そういう会話は」


「フィル、好きだよ」


「それは、どうもありがとう。嬉しいよ、月夜」


「紗矢の左腕は、どこに行ったの?」


 フィルは月夜の顔を見上げる。


「……急に、どうしたんだ?」


「死んだときに、左腕を、なくした、と言っていた」


「そうらしいな」


「その、左腕は、どうなったの?」


「俺は知らない。どうして、そんなことが気になるんだ?」


「どうしてかは、分からない」


「月夜、合理的に考えるんだ。それが、お前という人間だろう?」


「私には、自分が、人間かなんて、分からない」


「それなら、お前は月夜だ。月夜は、いつも合理的に考える。それでいい」


「うん……」


「眠いのか?」


「一緒に寝る?」


「遠慮しておくよ。猫は夜行性なのさ」


「じゃあ、なおさら、今の内に眠っておいた方がいい」


「夜行性なら、眠るのも、夜にすべきだ」


「どうして?」


「素晴らしい理屈だろう?」


「理屈?」


「論理的じゃないか?」


「論理的?」


 沈思。


 論理とは何か? 人間は、論理的にしか考えられないのか?

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