第6章 朗々

第26話

 午前六時に目を覚まし、いつも通り一時間ほど勉強した。それから、フィルと一緒に家を出て、月夜は買い物に出かけた。買い物といっても、それほど遠出をするわけではない。家のすぐ傍にあるスーパーマーケットで、企業としての規模はかなり大きいが、建物自体はそれほど大きくなかった。おそらく、この辺りに空いている土地がないからだ。玄関を出て、坂道を下ると、すぐにそのスーパーマーケットに到着した。


 動物、しかも猫をスーパーマーケットの中に入れるのは、規則違反ではないか、と思ったから、月夜はフィルを自分のウエストポーチに仕舞った。仕舞った、といっても、完全に密閉したわけではない。まあ、密閉したところで、彼は全然困らないだろう、と思ったが、一応、万が一に備えて、そうしておくことにした(万が一、の意味は不明)。


 入り口で籠を手に取って、月夜は前に進む。今日は、紗矢とやることになったクリスマスパーティーのために、買い出しに来た。お菓子と飲み物くらいあれば良い。日常品に関しては、今は充分足りていたから、今日は買う必要はなかった。


 月夜は、普段から食事をしないから、生物はできる限り買わないようにしている。保存食となれば、乾燥したものが大半だが、現代では、冷凍食品、といった大変便利なものが出回っている。だから、彼女はそのお世話になることが多かった。あるいは、そもそも、保存という行為をしない、といった選択をすることも可能だ。つまり、食べるときに買う。こうすることで、何かを食べたくなったときに限って、それが家にない、といった事態を避けることができる。もっとも、月夜が、積極的に、何かを食べたい、などと考えることは皆無といって良いが……。


 お菓子コーナーでクッキーを手に取ったとき、フィルが言った。


「それを買っても、食べるのはお前だけだ、月夜」


 月夜は手元のパッケージを見ながら、彼の呟きに応える。


「うん、分かっている」


「クッキーが好きなのか?」


「動物性のものが、使われていないものがいい、と思ったから、確認している」


「なんだ、月夜。お前は、ベジタリアンだったのか?」


「ベジタリアン、とは?」


「野菜しか食べない人、のことじゃないかな、おそらく」


「おそらく、ということは、自信がないの?」


「きちんとした定義とは、ずれている可能性がある、ということさ」


「ベジタリアンと、ビーガンの違いは?」


「調べてみたらどうだ?」


「どうやって?」


「図書館に行くなりして」


「今は冬休みだから、図書館は閉まっている」


「それなら、ネットで調べればいいのさ、ちゃちゃっとな」


「ネットは、あまり、使いたくない」


「どうしてだ?」


「理由はない」月夜は話す。「直感的に、そう感じる」


「感じるものは、すべて直感的さ」


「フィルは、クッキーは食べる?」


「俺は、もう、食べ物なんて必要ないんだよ」フィルは言った。「食べられないこともないだろうが、まあ、食べないね、意味がないから」


「意味って?」


「深い意味はない」


「どういう意味?」


「意味が好きなのか?」


「特に、好きではない」


「さっさと買おう」


「うん……」


 月夜は移動する。歩きながら、彼女はフィルに話しかけた。


「ねえ、フィル。紗矢は、どうして、死のうと思ったのかな?」


「また、同じことを考えているのか?」フィルが呆れたような声を出す。「だから、あいつが自分で言っていただろう? 彼氏の身代わりになろうと思ったんだ。本当に、素晴らしいことだな。俺には、到底、そんなことはできない。他人のために、自分を殺すなんてな」


「じゃあ、その反対はできるの?」


「反対?」


「自分のために、自分を殺す」


「さあ、どうかな……」フィルは尋ねる。「どうして、そんなことを訊くんだ?」


「なんとなく」


「紗矢のことなら、心配しなくていい」


「心配は、していない。気になる、といった方が正しい」


「どちらでも同じだろう。両者とも、紗矢に関する事柄を、頭で考えている、という意味を示している。つまり、あいつのことを意識しているんだ」


「それは、その通り」


「どうして、お前がそんなことを考える必要があるんだ?」


「必要は、ない。でも、考えてしまう」


「まあ、そういうときもあるさ」


「紗矢は、屋上から飛び降りた」月夜は話す。「何十年も、前のこと……。暑い夏だった。彼氏を庇うために、自分が死ぬところを見せた。……どうして、突発的に、そんなことを思いついたんだろう?」


「さあね、知らないよ。彼女に訊いてみたらどうだ?」


「訊いたけど、分からない、と言っていた」


「じゃあ、分からないんだよ」


「そうかな……」


 店内は空いている。平日だったが、今は冬休みだから、そうした雰囲気がどこからともなく伝わってくるような気がする。


「私にも、そんなことができるかな?」


「さあ、どうだろうな。できると思っても、実際に行動するのとは、また別の話だ」


「うん、そう」


「月夜は、紗矢が好きなんだな」


「どうして?」


「どうしてかは伝えられない。しかし、そういうのを、好き、と呼ぶのさ」


「私は、紗矢が、好きだよ」


「なんだ、自覚しているんじゃないか」


「自覚は、するものではない」

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