第19話

 万年筆を持って、分厚い洋紙に文字を連ねていたら、月夜は魔女みたいに見えるかもしれない。黒猫も傍にいるし、そんなふうに見える可能性は高いだろう。しかし、制服を着ている魔女、というのが、世間的にどんな評価を受けるのか、今のところは不明だ。現代人として生きている魔女、というのなら通じるかもしれないが、まあ、あまり流行らないだろう。そもそも、流行る必要はない。


 フィルに日記の内容を見られても、月夜は特に気にならなかった。というよりも、彼は彼女とほとんど行動をともにしていたのだから、そこに書かれる内容を見ても、別に何も新しい発見はない。月夜の場合、日記に書くのはほとんどが客観的な事実で、自分がどう思ったのか、ということについては、十分の一も書かなかった。しかし、記録とはそういうものだろう。彼女の場合、自分のためではなく、他人のために書いているのだから、個人的な感想を書く必要はない。個人的な感想は、客観的な視点を機能不全に陥れる。そういう事態は、できるだけ避けなくてはならない。


 十五分ほどペンを走らせて、ノートの一ページが埋まった。月夜は書いた内容に軽く目を通し、シャープペンシルとノートをリュックに仕舞う。明日も使うから、保管場所はそこで良かった。


 時計を見ると、午後七時だった。


 月夜は夕飯は食べない。食べるとしたら、昼だけだ。これから眠るのだから、余計なエネルギーを取り込む必要はない。といっても、彼女の睡眠時間は平均以上に短いから、今エネルギーを取り込んでも、余計、ではないかもしれない。けれど、彼女は、基本的に、食事という行為が嫌いだった。嫌いだから、食べない。理由はそれだけだ。


 特に何もしたいことがなかったから、月夜は少し早めにフィルと風呂に入った。


 湯船に浸かりながら、フィルが言った。


「今日は、不思議な一日だったな」


「不思議?」


「いや、不思議、というのは少し違うかもしれないが、ほかに適切な表現が思いつかなかったんだ」


「何が、不思議なの?」


「紗矢と、お前が、出会った、ということが」


「フィルが、そう仕向けたんじゃないの?」


 月夜がそう言うと、フィルは黄色い瞳で彼女を見つめる。見つめられたから、月夜も彼を見つめ返した。これが、俗に言うアイコンタクトというものだ。目を合わせると、口で言うより感情が伝わるらしい。では、論理的な思考は伝わらないのか。


「まあ、そうだな」


「それの、何が、不思議なの?」


「自分で仕向けても、不思議だ、と感じることがあるんだ」


「そうなの?」


「まあ、そうじゃないやつはそれでいい。別に、それを非難しようとか、そんなふうに思っているんじゃない」


「それは、当たり前だと思う」


「容赦がないな、月夜」


「容赦?」


「とにかく、これからも、紗矢と仲良くしてやってくれ。あいつ、明るく振る舞っているが、実は寂しがりやだからな」


「フィルが、傍にいてあげれば、いいんじゃないの?」


「まあ、そうだが……」フィルは言葉を濁す。


「何か、一緒にいられない理由があるの?」


「理由はない。ただ、そうしたいだけだ」


 ああ、なるほど、自分と同じだな、と月夜は思った。


 天井に向かって湯気が上っていく。湯気は、目に見えるから、液体らしい。目に見えるか、見えないか、で種類が変わるのなら、生き物と、物の怪では、いったい何が違うのだろう、と月夜は考える。物の怪は、生きていないのに、目には見える。それなら、彼らは生き物と同じではないのか? 世界というこの空間に、認識できる形で存在することに変わりはない。けれど、おそらく、物の怪は物質ではできていない。生き物は物質でできているが、目に見えない生き物というのも存在する。


 おかしな定義だ、と月夜は思う。


 目に見えるか、見えないかなんて、大した差ではないではないか。


 どうして、そんな曖昧な部分に線を引いて、グループ分けをしようと思うのだろう?


 月夜には、分からなかった。

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