第7話

「散歩は、どうだった?」特に気になったわけではないが、月夜は尋ねた。


「ああ、相変わらず、楽しかったね」フィルは話す。「散歩は、いつでも楽しい。馴染みのある土地でも、自分の知らない場所は沢山あるから、楽しみはなくならない。今度、お前の肩に載って、散歩をさせてくれないかな?」


「それは、私が散歩をする、という意味?」


「そうだ」


「いいよ」


「目の高さが違うと、世界も違って見えるからな」


「世界、とは?」


「厳密な定義がある言葉ではないさ」


「うん……」


「どうした? 眠いのか?」


「今日は、もう寝ない」


「ほう。どうして?」


「君と、話していたい、と思ったから」


「眠るのは、時間の無駄だから、ではないのか?」


「それも、ある」


「お前は不思議な生き物だな」


「どうして?」


「まるで、生きることを嫌っているのに、それでも生きているみたいだ」フィルは説明した。「食事や、睡眠といった、生きるうえで必ずしなくてはならないことを、欠いているのにも関わらず、平均以上に活動している。俺は、昼は寝ていることが多いから、夜に活動するのは当たり前だが、お前は、昼も、夜も、活動している。ああ、たしかに、そう考えると、反対に、生きることがとてつもなく好きなのかもしれないな。どちらか分からない。まあ、お前は、きっと長生きするだろう、とだけ言っておくよ」


「どうして、そんなことが言えるの?」


「ただの思いつきさ。気にする必要はない」


「私は、これ以上、成長しない、かもしれない」


「成長、というのは、身体的な成長、という意味か?」


「そう」


「食べないで、寝ないなら、そうかもな」


「精神的な成長も、これ以上する気がしない」


「しようと思って、するものじゃないだろう。外部の環境に晒されて、したくなくても、そうなっていくものさ。それに、お前は、もう、充分成長している、と思うぞ」


「何のために、成長するのか?」


「さあね。ゴールは、死だから、死のために成長するみたいなものだな」


「君は、一度死んで、それから、どうなった?」


「うん? どうなった、というのは、どういう意味だ?」


「死んでも、まだ、成長する?」


「もともと、成長しないんだよ、俺は……」


「そうなの?」


「そうさ。そんなこと、考えたこともないね。一日、ゆったりと生きて、それで、その結果として、死んでしまうなら、それでいいんだ」


「猫に、命が九つある、というのは、本当?」


「そもそも、命なんてものがあるのか?」


「私には、ない、ような、気がする」


「俺にもないね、そんなものは」


「君は、私の身体と、私の精神の、どちらが好き?」


「俺が、お前が好きだ、なんて言ったか?」フィルは軽く笑う。


「言わなかったかもしれないけど、そういうニュアンスを、感じ取った」


「素晴らしいセンサーだな」


「それで、どっち?」


「どっちもだよ、月夜」


「私が、違う見た目だったら、好きにならなかった?」


「さあ……。実際にそういう状況じゃないと、分からないな。それに、考えても、仕方がないさ、そんなことは……」


「考えると、分からなくなる」


「ああ、その通りだ。考えるんじゃない。感じるんだ」


「考えると、感じるの違いは、何?」


「意識的か、無意識か、ではないか?」


「意識、とは?」


「お前の、その台詞には、思考を感じるよ」


「考えて、話している」


「けれど、話すというのは、どちらかというと、感覚的な行いだろう? お前は、それに気づいているはずだ。だから、余計、分からなくなる。そういうことだろう?」


「うん、そう」


「今、お前は、どこにいるんだ?」


「ここにいる」


「どうして、そう言える? 考えたからか? それとも、感じたからか?」


「感じたからの方が、近い気がする」


「それでいいんだよ。考えるのは、感じてからでいい。そして、考えない、というのが、最も簡単な選択さ。そんなふうに思うのは、本当は、考えたくないからじゃないか? 考えると、莫大なエネルギーを消費する。お前は、そういうのが嫌いなんだろう?」


「それが、無駄なら、嫌い」


「まだ、考えて、答えているだろう?」


「うん……。そうかもしれない」


「勉強不足だな」


「勉強は、考える行為?」


「少なくとも、感じるだけでは、テストでいい点はとれないな」


 猫は、人間界のテストを知っているのだろうか、と月夜は不思議に思った。

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