第5話
月夜はペンを動かす。
フィルは机の上に乗って、ノートの隣に大人しく座った。
「これから、学校に行くのか?」フィルが質問する。
「うん」
「何時に帰ってくる?」
「分からない」月夜は首を振る。「今日は、家に帰ってこないかもしれない」
「いつも、夜の学校で、何をしているんだ?」
「大抵の場合は、読書」
「どうして、学校に留まる必要がある?」
「必要は、ないけど、なんとなく、その時間に、そこにいたい、と思うから」
「なるほど」
「何が、なるほどなの?」
「ただの相槌だ。気にするな」
「分かった」
「月夜は、素直だな」
「そうかな」
「俺は捻くれ者だ」フィルは話した。「まあ、それでもいいか、と思って生きてきたんだけどな」
「君は、もう、死んでいるんじゃなかったの?」
「ああ、そうさ」
「今、生きてきた、と言ったのは、死ぬまでは、そうだった、ということ?」
「そうだな」
「じゃあ、今は、捻くれ者じゃないの?」
「いや、今でも俺は捻くれ者だ」
「そっか」
「お前は、どう思う?」
「何が?」
「俺は、捻くれ者だと、思うか?」
「まだ、出会ったばかりで、君に関する統計的なデータが足りないから、なんともいえない」
「しかし、俺には、だんだんお前のことが分かってきたぞ」
「それは、ただの錯覚じゃないかな、と思う」
「たしかに、そうかもしれない」
「でも、分かろうとしてくれて、ありがとう」
「どうして、感謝する?」フィルは笑った。「面白いな、月夜は」
「それも、錯覚だと思う」
「どちらでもいいさ。俺には、そんなふうに見えるんだから」
「どう、見られても、いい」
「それが、お前のモットーか?」
「モットーなんて、ない」
二時間ほど勉強を続けて、月夜は椅子から立ち上がった。クローゼットからブレザーを取り出して、鞄と一緒に持って下に降りる。洗面所で顔を洗い、髪を梳かして、肌の手入れを軽くして、靴を履いて玄関の外に出た。
フィルも彼女のあとをついてくる。
「一緒に、学校に行くの?」歩きながら、月夜は彼に質問した。
「学校には行かないさ」フィルは話す。「俺も、一日中家の中にいたら退屈だからな。適当に、この辺りを、ぶらぶらしてくるつもりだ」
「もう、うちには、帰ってこない?」
「どうして、そんなことを訊くんだ?」
「単なる、思いつきで、質問した。気に障ったのなら、謝るよ」
「いや、別に構わない。むしろ、俺は、お前の、その、さばさばとした感じが好きだ。無駄がなくて、美しい、と思う」
「君も、無駄がないものは、美しい、と感じるの?」
「ああ、感じるね。そういうのを、綺麗、と呼ぶのかもしれない」
月夜は、自分と同じ考え方をするものに初めて出会ったから、内心、少し驚いていた。しかし、その、驚いていた、というのは、びっくり仰天、という意味ではない。言葉にすれば、なるほど、という表現になる。つまり、得心だ。自分の思考は、たしかに特殊かもしれないが、ほかに例がないわけではない、と月夜は思った。それが、安心に繋がることはないが、けれど、多少は、未来に希望が持てた気がする。希望、というのは大袈裟だが、フィルが近くにいても良いな、と思ったのは確かだった。
「俺は、暫くは、お前の傍にいる」フィルは言った。「気に入ったよ、月夜。まあ、猫を一匹飼うくらい、どうってことないだろう? それに、俺には、餌も必要ないし、これ以上ないくらいウィンウィンの関係が築ける、というものだ。こんなパートナーには、滅多にお目にかかれない」
「君を、私の傍に置くことで、私に、どんな、利益がある?」
「さあね、俺は知らないよ。お前は、それを、自覚しているんだろう?」
フィルを見たとき、彼を自分の家に連れて帰ろう、と思ったのは、どうしてだろう?
月夜は考える。
確かな動機はなかった。
ただ、可愛いから、一緒に眠ったり、話したりしたら、楽しいかな、と思っただけでしかない。
しかし、それで良かった。
それ以上は、望まない。
「俺を、お前の結婚相手に選んでくれもいいんだぜ」
「先客がいるから、無理」月夜は断った。
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