ご乱心

▼▼▼




 アルハが荒れている。



 メデュハンの冒険者ギルドで俺が借りている部屋に、突如アルハが現れた。

 突然のことに驚いたが、アルハとヴェイグならいつ来ても構わないと常日頃から言っている。

 しかし本当に前触れ無くやってきたことはなかった。


 顔は無表情、手には酒瓶とジョッキが五つ。

「どうした」

「愚痴らせて、ハイン」


 アルハは俺に一言だけ告げると、テーブルの上に酒瓶とジョッキを置き、スキルでどこかにしまっていた酒の肴を大量に並べだした。酒瓶も増えている。

「呑めないだろうに」

「お詫びの品の先渡し。僕はこっち」

 更に取り出したのは、一抱えもある樽だ。中には『酒もどき』という、アルハが調合した飲み物が入っていた。


 ジョッキの一つに果実酒をなみなみと注ぎ、別のジョッキにはアルハ用の飲み物が注がれた。

 アルハの勢いに気圧されて、促されるままテーブルにつく。


 お互いにジョッキを軽く掲げ、一口。かなりの上物だ。酒はあまり好きではないが、これは美味い。ジョッキではなくゴブレットで少しずつ飲みたい。

 それをアルハは、俺が飲んだ一口分より多く更に注ごうとしてくる。

「こんな良い酒がもったいない」

「お酒選んだのはヴェイグだから僕にはわからない」

「わからなくてもいいが、飲むから待て、落ち着け」

「落ち着いていられるかー!」


 ひとつめのジョッキが割れた。




 確かに新婚休暇の最終日、リオハイルに出現した高難易度の魔物の対処をしたと聞いている。

 アルハは休暇を潰されたことに腹を立てているわけではない。そんなことで怒る男ではない。

 しかし、その時のことがきっかけで、アルハに関する噂の軌道修正が行われ、それが巡り巡ってアルハの矜持を傷つけているというのだ。


「女性と! 結婚してるのに! 僕の奥さんめっちゃかわいいのに! どうして夫の僕が女性だなんて話になるかなぁ!?」


 アルハが声を荒げるのは数えるほどしか見たことがないと、後にヴェイグから聞いた。

 ヴェイグですら遭遇率の稀な、荒ぶるアルハだ。

「同性でも結婚はできるぞ」

 女同士であれば同じ意匠のピアスをふたりとも右耳に付ける。大きな町へならば数組はいる。敢えて違う耳に付ける場合もあるそうだが。

「そういう話じゃないっ!」

 アルハがジョッキをテーブルに叩きつける。またひとつジョッキが逝った。

 ジョッキで済んでいるだけ、まだ理性が残っていると安心して良いのだろうか。


「だいたいさぁ、こんなでかい女性そんなにいないでしょ!?」

「冒険者ならば時折見かけるが」

「……胸っ!」

「……」

「顔だって絶対女顔じゃないし! 違うよね!? 自覚無いってそういう意味!?」

「そういう意味ではない。アルハは十分男らしい」

「だったらどうして!?」

 テーブルの上のジョッキで無事なのは俺が持っているものだけになったが、アルハが再びどこかからいくつも取り出した。この事態を見越して持たせたのはヴェイグだろう。


「いつもなら、くだらない噂など気にしないだろう。何かあったのか」

「あった」


 奇跡的に無事なジョッキから、一口飲み、壊さずテーブルの上に戻した。少し冷静になったのだろうか。

「何があった?」

「痴漢」

「アルハが?」

「僕が」


 単語しか発さなくなったアルハの話をまとめると、こうだ。


 アルハはここに来る直前、メデュハンの冒険者ギルドに呼ばれてクエストを請けた。問題なく終わらせ、事務処理をしている最中だったという。

 嫌な気配がして椅子から立ちあがると、背後に立っていた男の手が、アルハの尻があった辺りの近くで怪しい動きを見せていたという。

 男を睨むと、男は悪びれもせず悍ましいことを言い放った。

「男にしちゃ細い腰だから、本当に女かもしれないと思って」




「随分な思いをしたものだな……」

 思い出してしまったのだろう。アルハは言い尽くすとテーブルに突っ伏して動かなくなった。

「そいつはどうした? 名前は? 人相は覚えて……いや、思い出したくないよな」

 思わず言い募ってから、ギルドに問い合わせれば済むことに気づいた。

 アルハのことだから、本人に自ら罰を与えるような真似はしなかっただろう。

 ならば俺が報復してやろうと考えた。


「……思わず」

「え?」

 アルハがゆっくりと頭を上げる。

 まさか、思わず手が出たのだろうか。


「気持ち悪くて、思わず……この周囲半径二十キロくらいの……」

「一体何をしたんだ!?」

「魔物全部消した」

「……そうか……」


 魔物で済んで良かった。




◆◆◆




「良くないのだ」


 アルハは散々荒れ、ハインに吐き出すだけ吐き出した後、気を失うように眠ってしまった。

 広範囲の魔物を全滅させた疲労と、精神的な疲労だろう。

「ヴェイグは大丈夫か」

「俺は気にしておらん。アルハはまだ心配だがな」

 侍従たちに湯浴みや着替えを手伝わせ、裸を見られることは王族時代の日常だった。

 故に俺は羞恥というものに鈍い。

 だが今日のは確かに気分が悪かった。

 アルハが魔物相手に暴れてくれたおかげで冷静になれたが。


「良くないとは何だ?」

「二十キロ、つまり冒険者がどうにか日帰りできる距離だな」

「! なるほど」


 魔物は常にどこかで発生しているが、冒険者が毎日全てを討伐できるわけではない。

 人里に近づいたものを優先的に討伐する。


 今、メデュハン周辺に魔物は全くいない。魔物は全くの無から発生もするが、有からの増殖より遥かに少ない。

 一晩で新たに発生するとしても数匹から数十匹だろう。


「クエストが失くなったな」

「ああ」


 アルハが全力を出せば、世界中の魔物を一日で討伐することも可能だ。

 人々が魔物の脅威に晒されないという点においては、素晴らしい話だ。

 しかし、冒険者は魔物を討伐し、その仕事報酬と魔物のドロップアイテムで生計を立てる。魔物から出る物品は、人の世に欠かせないものとなっている。

 魔物を一定数が狩り、その恩恵を全体であずかるという図式が、人の世に組み込まれているのだ。


「しばらくの間、討伐以外のクエスト報酬を上げるよう進言しておく」

「いつもすまん」

「気にするな」

 アルハも同じようなことをギルドに伝えてある。ハインが同じことを言えば信憑性が増し、ギルド側も対処してくれるだろう。

 いつものようにドロップアイテムの殆どをギルドに寄付していたから、資財は潤沢のはずだ。

「不届者のほうはどうした?」

「ギルド側で預かると言っていた」

「ふむ。噂に流されて不埒な真似をしたというなら、そいつにも噂に流される気持ちを味わってもらうというのはどうだ」

「いいな。頼めるか」

「任せろ」


 英雄ヒーロー英雄ヒーローらしからぬ黒い笑みを浮かべ、俺に「飲み直さないか」と持ちかけてきた。

 俺は『酒もどき』で付き合った。

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