32 ハーブティーにはシロップ多めで

 真夜中に目が覚めてしまった。こっちの世界の夜空にも満ち欠けする月と瞬く星があって、今日は月が明るい。

 ヴェイグは眠っている。昼間に異界で具合を悪くしたから、疲れてるんだろう。

 起こさないよう、五感を遮断してヴェイグに伝わらないようにする。この前、味覚と嗅覚の遮断に成功して、他の感覚でも出来ることに気づいた。


 それはともかく、ばっちり目が冴えている。

 ふと、ツェラントのお茶専門店で、リラックスできるハーブティーを買ってあったのを思い出した。


 リビングにはメルノがいた。テーブルに肘を付き、組んだ両手の上に顎を乗せて、ぼんやりしている。

 僕に気づいて、手をテーブルの上に置いた。

「どうしたんですか?」

「メルノこそ、こんな夜中に」

 小さな明かりを灯す魔道具が、メルノの顔を照らしている。

「昼にうたた寝したせいか、眠れなくて」

「よく寝てたもんね。ハーブティー淹れるけど、飲む?」

「あ、私が」

「僕がやるよ。座ってて」


 ハーブティを淹れて、メルノの前にカップを置いた。

「ありがとうございます」

「メルノはいつも敬語だよね。ツェラントで会った冒険者に、『冒険者同士に敬語はいらない』って言われたよ」

「これは癖というか……。何度か注意もされましたけど、直らなくて」

「そっか。別に直さなくていいと思うけどね。メルノらしくて」

「そ、そうですか」


 お茶を飲みながら、しばらく他愛のない話をしていた。カップが空になる頃には、程よく眠気が出てきた。

「眠れそうだ。メルノは?」

「はい、私も。……あの、ヴェイグさんは」

「僕が起きても眠ってたから、起こさないように感覚を共有しないようにしてる」

「そんなこともできるのですか……」

 カップを片付けようと立ち上がったら、今度はメルノに制されてしまった。

「お茶を淹れてもらったので、洗い物は私が」


 台所に向かうメルノに、なんとなくついていってしまった。

「アルハさん?」

「いや、なんとなく……。気にしないで」

 本当に、無意識の行動だった。ぼんやり突っ立ってるのも手持ち無沙汰なので、メルノが洗ったカップを乾いた布で拭いて棚に仕舞う。その作業もあっと言う間に終わってしまった。

 振り返ると、メルノが僕を見上げていた。

 マリノを除けば、他の冒険者の誰よりも小柄だ。顔も小さい。

 つい、手の甲で頬に触れてみた。


「ひゃっ!?」

「え、あっ!? ごめんっ」

 メルノの声で我に返った。何やってんだ僕は。


「ね、寝ぅ、寝よっか」

 噛んだし。

「はょ、はい」

 メルノも噛んだ。



 部屋に戻ってベッドにうつ伏せになって……。



 眠れるわけないでしょ!?



 何やってんの、マジで何やってんの僕は! メルノの頬に触るとか! なにそれ! すべすべしてたなー……って感触を思い出したりしてどうしたの!? つい数秒前まで普通に会話してたのに! 家族! メルノは家族だから! 妹みたいなもんだから! 僕の好みは年上だから! そういう感情はないから! そういう感情って何!? え、まって。

 僕メルノが好きなの? 


 ……ヴェイグがあんなことしたのはそういうことか……。

 ある意味僕より僕のこと分かってるなぁ。


 いや、でも果たしてメルノは僕をどう見てるのか。家族って言ってくれたのはメルノの方だし。向こうは兄としか思ってないでしょう、きっと。ヴェイグが手招きしたのに乗ってくれたのも、久しぶりに会う兄に対する妹の態度として当たり前の行為だったんだ。僕一人っ子だから知らないけど。


 そもそも今の状態で恋愛とか無理だし。マリノもいるし。

 そう、無理。メルノは家族。大事な妹。




 ●●●




 どうしたのアルハさん、アルハさんの手が頬にひんやりゴツゴツしてて男らしかったって私ったら何で感触を反芻してるの!? つい数秒前まで普通に会話してたのに! 家族! アルハさんは家族ですから! 兄ですから! 初めて会ったときから素敵な方だとは思ってましたがそういう感情とは違……違う? どういう感情のこと? え、まって。

 私アルハさんが好きなの? 


 ……ヴェイグさんがあんなことしたのはそういうことだったの……。

 あの方とはあまりお話ししたことないのに、何でもお見通しなのでしょうか……。


 いえ、でもアルハさんは私をどう思ってるんでしょう。家族と言ってしまった手前、私のことは妹としか思ってないのでしょう、きっと。抱きしめてくれたのも、久しぶりに会う妹に対する兄の態度として普通の行為なんです。兄がいたことはないので知りませんが。


 ダメですよ、アルハさんに、私なんかが釣り合うはずないです。

 家族でいられるだけで、幸せなんです。




 ◆◆◆




 結局眠れたのは明け方近くだった。それでもちゃんと朝は同じ時間に起きる。日本にいたときから生活のリズムは一定を保ってたから、こっちの世界でも崩さないように気をつけてる。


“随分眠そうだな。眠れなかったのか?”

 ヴェイグにはバレバレだった。

「大丈夫。クエストはやれる」

“そこは心配しておらん”

 信頼度は最大値のようだ。よかった。


 メルノも眠そうだ。

「体調悪い?」

 敢えて眠気には触れずに、今日は休んだほうがいいのでは、っていう提案をしてみる。

「へいきです。いきます」

 返答がひらがなだけど本当にいいんだろうか。

 一緒にクエストに行くときは、なるべくメルノとマリノを主軸に戦う。今日は僕が積極的に前に出よう。そう決意して、家を出た。




 晴れているのに、妙に暗い。町全体に影が落ちている。上を見上げると、大きな船が浮いていた。

「なんだ、あれ」

「なんでしょうか……」

「見たことないの?」

「はい。空に浮く船なんて、見たことも聞いたことも……」

「ヴェイグは?」

“俺も知らん。だが、あの紋章はディセルブのものだな”

 船の帆には、山羊の角とコウモリの翼が生えた半身半獣の魔物をモチーフにした絵が描かれている。所謂悪魔っぽい。

「どういうこと?」

“さっぱり分からん。あそこへ行けないか?”

「やってみる。メルノ、マリノ。危ないかもしれないから、今日は家にいて」

「は、はい。……って、もしかしてあんな高いところへ行こうとしてます!?」

「うん」

「危ないですよ!」

「なんとかなるって。試したかったこともあるし」


 魔力で創った武器は浮かせたり飛ばしたりすることができる。

 それに、乗ったり捕まったりすれば、飛べるんじゃないかなって。


 よく創る刀は握る部分が少ないので、槍を創った。全体的にシンプルで、長さは僕の身長の1.5倍くらいにしておいた。

 それを掴んだまま、飛ばすイメージを頭に浮かべると、槍は僕をぶら下げたまま勢いよく上空へ向かった。


「思ったより速い!」

“ふむ、普段の移動と速度は変わらぬが、小さくなる景色を下に見るというのは新鮮な感覚だ”

 出たよ移動方法ソムリエ・スカイエディション。

 何度か方向を修正したり、速度の調節をしてみたりと、少々もたもたしたけど無事甲板へ辿り着いた。

 槍から手を放して降りると、鎧に身を包んだ兵士たちに剣を向けられた。


「飛んできた!?」

「で、であえ! 曲者!」

「曲者? どうやって……誰だ!?」

 曲者って……。僕らからしたら町の上に陣取るこの船が曲者ですけど。


「まさか下から飛んでくるものがこんな僻地にいるとはね……。君は何者? いや、そんなことはどうでもいいか」

 僕を囲む兵士がザッと割れて、出来た道を尊大そうに歩いてきたのは、高校生くらいの少年だった。

 アッシュブロンドに薄い紫色の瞳。どこかで見たことのある特徴だ。


「なにせ君は……世界で唯一のスキル使いであるこの僕、イーシオンに敵わないのだから」



 ナ、ナンダッテー。

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