25 笑顔と狂気は紙一重

▼▼▼




 ツェラントで一番高い場所の一つ、西の物見櫓で、赤い髪の中年男性が手にした双眼鏡を覗き込んでいた。

 普段は警備兵が数人で詰めている場所だが、今はこの男1人である。


 男――フィオナの叔父のダルクは先日アルハの威圧攻撃をまともに食らい、這々の体で逃げ出した。

 その後は自分の屋敷に帰るなり自室に引きこもり、毛布をかぶったままブルブルと震え続けていた。


 目を閉じれば、あの男の双眸が恐ろしい光を灯して睨んでくる。

 目を開けていると、あの男に見つかってしまうのではという恐怖がこみ上げてくる。

 こうなってしまうと、視界を別のもので閉ざすしか選択肢はなかった。


 始めのうちは、主の身を案じていた屋敷の使用人たちも、原因を伝え聞くにつれて、呆れ果て、皆それぞれの職務へ戻っていった。


 夜が明け、陽の光が部屋に入ってくると、ダルクは漸く毛布を取り払った。

 その胸に有るのは、アルハへの憎悪と復讐心だった。


 屋敷を独りで出て、フィオナの屋敷へ向かおうとして……ふと、呼ばれた気がして、普段は見向きもしない路地裏へ向かう。

 そこに待ち構えていたのは、暗い色のフードを被った人物だった。


 ダルクは魔物の喚び方を教わり、必要な道具を手にして、指定の場所へ向かおうとした。

 足を止めて、フードの人物に向き直る。


「何故、私にこんなことをさせる?」


 ダルクは既にフードの人物の術中に嵌っていた。それなのに、自我を持って問い掛けた。

 これで一応、町の名士として名高い家の主であり、そこそこの人物ではあるのだ。


 フードから覗く口は無表情だったが、ダルクが意味ある言葉を発したことに興味を覚え、口を笑みの形に歪めた。


「我が王のために」




◆◆◆




「―――っ! ―! ――!!」


“何か聞こえない?”

「どんな音だ?」

“音っていうか、人の声。町の上の方から”


 眼前に迫っていたウェアタイガーの群れは、跡形もなく消滅していた。

 ヴェイグが消滅魔法の魔力の塊を数百も出現させて……一瞬の出来事だった。

 僕らが来るより先に倒されていた分の死体も、きれいに無くなっている。


「あっと言う間に……」

「どんな魔法使ってたの? 火だった? 雷だった?」

「黒髪で長身痩躯……もしや」

「素敵……」


 他の冒険者達がザワザワしている。

 それより遠くから聞こえる声が、なぜかすごく気になる。


“替わってもいい?”

「ああ」

 自分で身体を動かして、声のする方へ向かう。

 物見櫓っていうのかな、町の東西南北に1つずつ、高い木組みの建物がある。一番近くのそれ近くへ行って、ジャンプで上まで登った。


“高く飛ぶのも悪くないな”

「何を堪能してるの……って、貴方は」

「きっ、貴様!? ど、どうやって、あ、ま、魔物、魔物をおお!?」

 口角から泡を飛ばしながら叫んでるのはダルク氏だ。手に双眼鏡を持ってるってことは、ここから僕たちが魔物とやりあってるのを見てたのか。


 ダルク氏の周辺には篝火が3つある。照明のためにしてはまだ日は高いし、焚き火代わりにしても、今日も晴れていて温かい。近くには青い葉がついたままの枝が多く積んである。これはどちらかと言うと……。


“狼煙……”

「何のために?」

“いや、まさか”

「どうしたの?」

“アルハ、周囲におかしな気配は無いか”

「おかしな気配?」

“何でもいい。違和感があればそこへ行ってくれ、頼む”


 僕の[気配察知]のスキルは使っていくうちに便利にアップグレードされていて、察知範囲の調節なんてこともできる。

 魔物の気配に集中させていたそれを、範囲を街中に広げた。

 人、動物、遠くの魔物……。フィオナさんとヘラルド君、屋敷にいるディーナさんたちの気配にも触れた。

 僕も普通の人間なので、一度に多くの情報は処理しきれない。問題ないと見做した気配を弾いていって、頭の中を整理していく。

 この間、2秒程。

 見つけた、と思う。


“落下するのもいいな”

「さっきから暢気過ぎない!?」

 ヴェイグが行ってくれっていうから、物見櫓から飛び降りたというのに。どんどん僕の移動方法ソムリエと化してない? ……移動方法ソムリエってなんだよ。


 すぐに町の細い路地を縫うように進む気配の前へ出ることが出来た。

 暗い色のフードを被った人だ。全身をゆったりしたローブで覆っているから、年齢も性別も分からない。


 この人だけ、他と違ったんだ。何が、っていうところは上手く言語化出来ない。敢えて言うなら、他の人がこの人に全く注意してなかった。普通に大通りも歩いていたのに、周りはそこに誰も居ないかのように、かといってぶつからないように動いてた。


「こんなに早く見つかってしまうなんて……」

 フードから覗く口がぼそりとつぶやく。声は女性のようだ。


“アルハ、替わってくれ。俺が話す”


 一瞬迷ったけど、ヴェイグに身体を渡した。


「呪術師だな。何のつもりだ」

 ヴェイグがいつもの口調で話す。普段、他の人がいるときは僕の口調を真似しようとしてくれるのに。

「ああ、そのような窮屈な場所で、おいたわしや……。もう暫しの辛抱にございますれば、今はご猶予を下さいませ……」

 どうもこの女性は表に出てるのがヴェイグだってことを分かってるみたいだ。

「何のつもりだ、と訊いている。答えろ」

 いつものように堂々としてるけど、全身から魔力が溢れ出てる。相当苛立ってるみたいだ。


 フードから覗く口元がにい、と気持ち悪い笑みの形を作った。

「その器を完成へ導き、邪魔な魂を厄介払いしてご覧にいれます」


 地を蹴ったヴェイグがフードの人の首を掴み、握りつぶす寸前で交代した。


“止めるなアルハ! こいつは……!”

「僕だって頭にきてるよ。でも、だめだ。何も聞けなくなる」

“……”


 ヴェイグは僕が強いって言うけど、ヴェイグだって相当強い。

 ステータスの値だけでも、一般人からしたらチートそのものだ。

 そんなヴェイグが人の首を本気で握りしめたら。


「ふ、フフ……。消える運命さだめの魂が、お優しいこと……」

 この状況で、フードの人は煽るようなことばっかり言ってくる。

 ヴェイグが先にキレてくれたから、僕は冷静だ。


「どういう方法で、僕の魂を消すつもりなんだ?」

「教えるわけには、いかないわ……それより、いいの? 優しい魂」

「何が……!?」


 西の方で、魔物の気配が突然現れた。数は少ないけど、ウェアタイガーの数倍強そうだ。

「死体を消すだけじゃダメだったのか」

“アルハ、そやつは俺がやる。替わってくれ”

 やる、ってのはKILLの意味だ。

「ダメだってば。大丈夫、ここで逃したりしない」


 空いてる方の手をなにもない空間に向ける。そこに、黒い扉を出して開けた。

「え?」

「自空間。生き物を入れたことはないけど、大丈夫でしょ」

 そこへフードの人を放り込んだ。

「後でじっくり話そうね」


 閉じていく扉の向こうで口を開けているフードの人に向かって、僕は笑顔でそう伝えた。

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