4-4

「止めてよ……」

「?」

 ノヴァはアイヴィーから声の方向へ目を上げる。同時に強烈な熱気を感じ取り瞳をしばたかせる。

「……タケル?」

 そこには全身の肌を真っ赤に変色させ熱の塊となったタケルの姿があった。少年はノヴァを見上げると普段の柔和で純粋な様子からはかけ離れた鋭い目つきで睨みつける。

「何を言っているのかさっぱり分からないけど……おじさんが悪だってことは分かる! おじさんが親玉なんでしょ⁉ 今すぐノインお姉ちゃんのいじめるのを止めてよ……島を滅茶苦茶にするのを止めてよ!」

「ふん。確かホンゴウ家の御曹司か……。ならばあまり手荒なことはしたくないな」

 ノヴァはタケルに向けて一つ咆えた。支配を強制する音波が少年を襲い、彼の狙い通り少年の肉体に跪かせる――

「そんなの……怖くない!」

 はずだった。しかし咆哮は少年の赤い皮膚に到達した瞬間弾かれ、意味の無い音へと分解される。

「目の前で好きな人たちがいなくなることの方が怖いんだあああああああ‼」

 少年は蒸気を纏い、衝撃波を放つ。同時に、丸太のような太さを誇る巨大な右ストレートがノヴァの顎を捕え白山羊の群れの中へと吹き飛ばす。

「……タケル……なの……?」

 コロシアム中を響かせる轟音。衝撃波が止むとそこには巨大な赤い影がそびえていた。頭部に備わる鋭利な二本角、全身に広がる血よりも濃い赤い肌、二メートルを超える筋骨隆々な体格はウォリアータイプに引けを取らない。そこには介助されていた少年の姿は無く、代わりに義憤によって立ち上がる泣いた赤鬼の姿があった。

「お姉ちゃんを……命がけで守ってくれた先生を……島のみんなを僕が守る番だ!」

 タケルはたくましい姿とは裏腹に目の前の惨劇に恐怖で泣きはらしていた。それでも少年にとって目の前の大切な人々が傷つくことはもっと耐え切れない。彼は不利な戦いが繰り広げられている中に飛び込むと白山羊から怪人を守り、頑丈な体躯を活かして次々と彼女たちを倒してゆく。

「なるほど、タケルのフェーズ4の能力は振動すら通さない超絶防御力。なら……」

 アイヴィーはピンク色の薬液が入ったインジェクターを取り出し、吸入孔に装填する。薬液が循環すると全身に熱が迸り左腕が真っ赤に染まる。再びの変身。縦巻角と右の籠手、両足のハイヒール、それに瞳の色を赤く染めた黒山羊が立ち上がる。

 二人が立ち上がった事で怪人たちの士気が再び上がる。せめてこれ以上は白山羊たちを島内に侵入させない。彼らは上階に繋がる通路に集結し、迫る白山羊の群れを全力で食い止めた。ウォリアータイプのスクラムに、イクスの斬撃、元機関のタッグの武術は土壇場で冴えわたり、モンストピアの意地を見せる。

 何よりもタケルと彼の特性を得たアイヴィーの活躍は目覚ましい。白山羊たちが発現させる数々の患部は赤い皮膚を通さない。それに自意識が薄いのか彼女たちの動きは単調で、場数を踏んで来たアイヴィーにとって白山羊たちはまるで手ごたえが無い。ノヴァの強制力から抜けた今、二人を阻む者はいない。怪人たちが通路を死守する中、二人は能力を存分に活かして戦っていた。

「ふむ……さすがに生後三日では精度が足りなかったか。モンストピアの患部を全て回収するつもりだったが……これ以上かわいいが負ける姿を見るのは忍びない。作戦を変更するとしよう」

 ノヴァは首輪のダイヤルを回し左腕を天井に向けて突きあげた。広げた手のひらは筒状に変形し彼の腕は大砲のような形状に纏まる。黄金の電流を身に纏うと銃口から電撃が噴き上げた。

「なっ……⁉」

 モンストピアを貫く強烈な閃光。彼の一撃は避難区画を正確に打ち抜き、空いた穴から焼け焦げた患者たちが降って来る。

「……なんてことを!」

 アイヴィー、タケルを含む誰もが反射的に彼らの下へ駆け寄る。誰一人見捨てない。まだ息があるなら激突する前に救い出す。

「当然、人道主義のモンストピアならそうするだろう。そこでだ……ブロッサム、行け」

 ロボットアームを解消した白山羊は目を覚ますと怪人たちが集まる穴へ向かって飛び出していく。

「クローンのいいところは再生産でつぶしが利く所だろうね」

 彼女一人に向けてノヴァは咆える。すると白山羊は内側から膨れ上がり爆発した。

「‼」

 ブロッサムの細胞片が怪人たちを襲う。触れた細胞に癒着し、一体化するそれは怪人たちの体内に侵入するとものすごい勢いで細胞分裂を始める。強制的にカロリーを奪われた彼らは怪人態を維持できなくなり人間態へ姿を戻してゆく。

 この外道な攻撃に対し、元々ブロッサムの細胞を持つアイヴィーに影響は無かった。彼女は爆発に巻き込まれながらも山羊の絶妙なバランス感覚で着地する。しかし、この攻撃はタケルに通じ、彼も鬼から小さな少年へと姿を戻してしまう。

「ゲームオーバーだよ」

 スクラムは砕かれ、格闘を魅せる手足を折られ、刃はゆがめられる。他の怪人たちも自慢の能力を封じられ白山羊たちの糧とされてしまう。もはやせき止められるものはいない。彼女たちはノヴァの指示通りモンストピア中に広がり始め患者たちを脅かし始める。

「まだよ……まだ、私が残っている……」

 それでもアイヴィーは再び立ち上がる。どれだけ白山羊たちが広がろうと大元であるノヴァさえ倒せば、彼に白山羊を止めるように命令させれば侵攻は止まる。ヒールを高らかに響かせ彼女は惨劇の元凶へと真紅の拳を向ける。

「はあああああああああ!」

「全く哀れだ。せっかく他者の細胞を取り込んで変身してくれたと思ったら、育ての親への反逆に使うとはね……」

 お仕置きだよ。ノヴァはそう言うと首輪のダイヤルを操作し右腕を変異させ始める。広げた手のひらが鱗に覆われると勢いよく伸びだし、ヒレを思わせる刃になる。大柄で筋肉質な肉体は飾りでは無い。彼は最小限の動きで拳を避けると逆に鋭利な一撃を彼女の胸へ突き刺した。

「カハッ……」

「強者が弱者を喰らう。それが人間社会のルールだ。モンストピアなどと言う弱者の環境は結局、進化した我々の前に滅びるだけさ。

 胸を貫かれただけで死にはしまい、そこでゆっくり見ているといい。この島が我々機関のさらなる発展のための礎となる瞬間をね」

 アイヴィーの変身が解け始める。白山羊との連戦、慣れないタケルの細胞を用いた変身、そして貫かれた胸。ノヴァからは果てが見えない。どれだけ足掻いてもノヴァはそれを常に上回る動きを見せる。意地で立ち続けていたが、彼女の気力は限界に近い。

 せっかく治してもらったのに……台無しね。刃を引き抜かれ崩折れるアイヴィー。彼女は自分が完全にノヴァの手のひらの上で踊らされている事に涙し、何もできない自分を責める。

『いつか怪人と人間が手を取り合えたらいいのにね』

「うっ……ううっ……」

「まだ立ち上がろうとするのか……諦めが悪いのは嫌われるぞ」

「おあいにくさま……しぶといのがキメラタイプ・ゴートの……私の一番の売りなのよ……あなたは……私が止める……っ」

 やれやれだ……。ノヴァにはこの絶望的な状況の中、何故アイヴィーが立ち上がろうとするのか理解できなかった。目の前の少女に多少の愛着はあるも、自分の意に沿わないのであれば仕方がない。彼女の息の根を止めるため、脚部をハンマー状に変異させ頭部を砕こうと蹴り始める――

「…………これがあなたのやりたかった事?」

「⁉」

 決して油断していたわけでは無かった。しかし、ノヴァは目の前の光景に獅子の瞳を大きく見開く。

「女王……だと」

 ノヴァとアイヴィーの間にはいつの間にか女王の姿があった。彼女は戦闘に似合わないその細身の腕で彼の足を受け止め、ゆっくりと、しかし力強い手つきで持ち上げて振り下ろす。ノヴァの肉体はあっけなく地面に叩き付けられた。

「なっ……」

 続いて彼女はアイヴィーの胸部へ手を伸ばし、黒く染めると傷口へと融合させる。そして、アイヴィーがゆっくり回復できるように、これから自分が起こす事を見せないようにホルモンバランスを調整させて眠りにつかせる。

「…………答えて、あなたが私達の下へ送り込んだ白山羊あの子達はあれで全部? 他に危ないものは持ち込んでいない?」

 ノヴァには答える気が無かった。倒れた姿勢のまま左腕の生体電撃砲を構えると回答の代わりに一発お見舞いする。建造物を一瞬で灰塵と化す一撃が彼女の上半身を吹き飛ばし、それに満足すると彼はゆっくりと立ち上がった。

「…………答えて、何でこんな酷い事をするの? 私達はなのに、何でこんな無意味な事をするの?」

「⁉」

 下半身から真っ黒な細胞が分裂を始め、女王の体躯が吹きあがる。ロリータファッションまで再生するのはどのような道理か、そこにはノヴァの一撃など無意味だと真顔で彼を追い詰めようとする白い少女の姿があった。

「…………答えて、くれないなら、自分で聴く」

 女王の動きには気配と言うものが一切感じられない。彼女の無表情がなせる技なのか、それとも何か別の要因があるのか。ともかくこのまま自分に接近させるのは危険だ。ノヴァはそう判断するや咆哮で白山羊を呼びつけ自分と女王の間の盾とした。

 女王の腕が白山羊の中へと溶けてゆく。

「…………アイヴィーと同じだけど、この子達はお人形、私と同じ、心が無い」

 白山羊の中で女王は手を握りしめた。すると彼女の肉体は真っ黒な液体となって溶け出し、女王の肉体へと回収された。

「……は?」

 ノヴァは何が起きたのか理解できなかった。こんな事データには無い。女王の能力は無尽蔵に近い生命力とそれを背景にした万能細胞では無かったか。一つ言えるのはこのまま彼女の好き放題にさせていると危険だという事だ。

「……っ来い!」

 モンストピアの蹂躙を中断して大量の白山羊たちが女王へと降りかかる。彼女たちは奪った部位を発現させ、レオの命令通りにターゲットを仕留めようと襲い掛かる。

 しかし、彼女たちは女王の肉体に触れた瞬間黒く染まり、溶け出し、あの小さな体躯に取り込まれてゆく。何体も、何体も、際限なく、白山羊たちの姿はドロドロの液体となって消えてゆく。女王の足取りは一ミリも阻まれない。黒い液体を纏いながら小さな一歩で着実にノヴァの下へ近づいてゆく。

 取り込んだのであれば……これで! ノヴァは首輪のダイヤルを回し、すべての能力を喉へ回した。命令を込めた強烈な咆哮。モンストピア中の悲鳴をかき消す程のそれを白い少女へ解き放つ。

「…………うるさいよ」

 女王はけだるそうに瞼をこする。次の瞬間彼女の頭部はノヴァ同様、いや、彼と寸分たがわない獅子の姿に変わり咆哮を発する。

 一瞬音が消えた。逆位相の音同士の衝突。それを理解した瞬間ノヴァの腹部に女王の手が溶け込んだ。

「バカな……この肉体はブロッサムの細胞……お前との相性が悪い、抑制剤さえ効果を示さない特殊な調整が施されているんだぞ……。人間に従わない野良の細胞が何故、何故私に干渉出来るッ!」

 虫の翅、蔦の拘束、鉱物の刃に溶岩弾、ノヴァは体内に仕込んだ持てる手段の全てで彼女に抵抗する。しかしあらゆる攻撃は全て触れた瞬間に溶けだし、女王は微動だにしない。

「…………あなたの計画はあの子が島にやって来た。どんなに知らない子も、一度触れば理解できる。私を倒したかったら私が知らない力で不意打ちしかない」

 そして女王は「もう知らないものは無い」と呟く。ノヴァの肉体を内側からこねると獅子の肉体は人型を維持できなくなり様々な患部が一度に噴出する。変化に伴う痛みは無かった。しかし自身が想定外の異形の姿になり、体の自由が失われたことに彼は恐怖する。

「…………みんなが今までに受けてきた『怖い』はこんなものじゃないよ」

「バ……モ……」

 もはや人語すら発せられない怪物になり果ててもなお、ノヴァは抵抗を止めない。目の前の未知の存在から逃れようと必死で肉体を動かす。しかし女王が彼を離すことは無い。むしろ腕を肘から二の腕までズブズブと侵入させ、二人の間の距離は限りなく近づいてゆく。

「モ……ッ! ギョ……!」

 接近する中女王の姿は黒く染まり、頭身を上げる。そして再び色を取り戻すと――

「『強者が弱者を喰らう。それが人間社会のルールだ』」

「バ……メ……ッ!」

 最後に彼が目にしたのは己自身の人間態だった。虚ろな表情で、自身が弱者だと思い込んでいた存在を追い詰める。かつて自分に満ち溢れていた自信は消滅した。醜く歪んでしまった肉体とその顔の対比にノヴァは復讐される。腹部に握りしめられる感覚を味わうと、全身が発狂したかのように激しく痛み、彼の肉体はドロドロに溶け落ちた。

「…………」

 女王は元の少女の姿に戻るとハッチの割れ目へ手を伸ばし周囲の音にジッと耳を澄ます。白山羊たちはいまだ、その多くがモンストピアに広がり、ノヴァの命令に忠実に従っている。

「…………」

 患者たちはそれに対し必死で抵抗する。

「…………」

 島中に狂喜と悲鳴が蔓延している。白山羊たちは弱者を虐げる事に味をしめ、怪人たちの勇ましい声は次第に怨嗟へと変わる。もはやモンストピアは怪人たちのための理想郷などでは無い。ひたすらに殺戮と憎しみが広がる地獄と化している。

「…………分かった。みんながそれを望むなら、私はそれを、叶えるよ」

 女王はハッチの奥にある何かを引き寄せるように手に意識を集中する。するとコロシアム、病院施設、農場、いや島全体が揺れ出し誰もがその異変に動きを止めた。

「…………これで終わらそう」

 彼女は最後にコロシアムの周囲を見渡した。そこには虫の息、もしくは息の根が止まってしまった多くの患者たちで溢れている。そんな彼ら一人一人の姿を焼き付けるように、女王の目は平等に向けられる。

「…………アイヴィー、ごめん。私は、妹に成れそうに、無い」

 ハッチの奥、島の底から黒い液体が彼女に注がれる。大量の質量を受けて少女の白く、小さな肉体も溶けだす。そして、彼女は弾けた。液体は地の底から怪人一人一人を包み込むように噴き上がり、モンストピアの姿は一瞬にして黒く染まった。


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