4-5
「……ここは……」
目が覚めるとそこは黒一色の空間だった。周囲には自分以外何も存在しない。全身に浮遊感が広がっているという事はここは死後の世界なのだろうか。なるほど自分の肉体は度重なる戦いで元々疲弊していた。あの戦いで死んでいてもおかしくない。アイヴィーはそう納得して流れに身を任せた。
体はどうやら一定方向に緩やかに流されているらしい。どのような原理か分からないが空間は水中のようにかくことが出来る。他にやる事も無い。彼女はどうせ地獄に来たのならその主に挨拶でもしようかと流れの奥へ行こうとした。
「……?」
流れの奥へ進むにつれ空間は様々な物がちらほらと飛び交うようになってゆく。キャスター付きの椅子。試験管、デスクトップPC。中には大木やコンクリート片などとにかく雑多に物がある。死後の世界は案外即物的なのだろうか。アイヴィーは空間にハンバーガーの包みを見つけると大木を蹴って確保した。ちょうどそこに椅子もある。しばらくはボーっとしながら漂おうと彼女は涎を垂らしながらかぶりついた。
「地獄でもお腹は空くのね。当然か、あれだけカロリーを消費したし、体に穴も空いたし――なんか塞がっているけど――とにかく、ジャンクフードさえあればここが地獄だろうと天国ね」
「おいおい……素のアイヴィーちゃんはそんなに呑気なのか……この空間を見て何とも思わぬのか」
「なんともって……理不尽な目なら死ぬほど遭って来たわよ。死ぬ直前なんて任地でひたすら驚かされたし何を今さら……、驚く暇があったらお腹を満たす方が先。月どれくらい食費がかかっていると思っているのよ」
「まあ、アイヴィーちゃんのペースだとウチの食堂も若干悲鳴気味だったりして」
そう言えば今自分は誰としゃべっているんだ? アイヴィーは椅子を回して様子をうかがうもそこには誰もいない。
「上じゃよ」
「うわ……」
驚いた、といたずらっぽく声の主が言う。アイヴィーの頭上、そこには制服の有り余る生地を折り込んだわんぱく少年、クロウの姿があった。
「隣いいかの?」
クロウは両手にハンバーガーの包みを見せる。アイヴィーはそれを認めると嫌々ながらも手近な座布団を引っ張り隣に座るように促した。
「よっこいしょっと。愛想が良くて礼儀正しいノインちゃんもいいが、ワシとしては欲望に忠実でダウナーなアイヴィーちゃんの方が好みかな」
「言ってなさい。どうせ私は死んだんだし、いまさら人から何言われてもなんとも思わないわ。というか、あなたも死んだの? あなたも女王みたいな不死身な能力かと思ったのに」
「正確には半不死身、かの。ワシの場合体の破損がひどすぎると時間を巻き戻せなくなるからな。ノヴァがワシの能力を徹底的に無視してくれたおかげで命拾いしたよ。戦闘に巻き込まれないようにひたすら逃げていた。
というか何か勘違いしているみたいじゃがワシらは死んでおらんよ」
「じゃあこの真っ黒な空間は何なのよ? 体も宙を浮いているし、死後の世界って言われた方が納得できるわ」
「ふーむ……百聞は一見に如かずじゃな」
クロウはアイヴィーの手を引くと慣れた手つきで流れに乗って行く。やがて彼女の方も泳ぎ方を身につけると二人は並走して奥へ奥へと進んで行った。
「ここのへんがワシらの体だとたどり着ける終着点かの」
「……‼」
アイヴィーは目の前の光景に目を疑った。何度も目をこすり、手近な物に触れてはその感触を確かめる。ついでにクロウを蹴り――
「痛(いだ)っ!」
体の感覚は本物だ。ジャンクフードを消化する時の胃袋の調子も普段と全く変わらない。であればここは間違いなく現実。
「……こんなの、でも……ありえない」
アイヴィーは手につかんだ物をもう一度確認する。それはタケルが島に持ち込んだDVD。怪人病時代で放送自粛されているはずの変身ヒーロージャンルのDVDだった。
他にもアイヴィーは見覚えのある物を見出し、そのどれもがモンストピアに存在していた物だと気づく。カプセル型車両、女王の部屋、コロシアムの座席。あらゆるものがごちゃごちゃと吹き溜まりのように二人がいる場所へと集まっている。
そしてその中には妹のブロッサムの姿をした白山羊たちの寝姿が散らばっている。
「モンストピアだっていうの……」
「正確にはモンストピアを、あの島を取り込んだ姫さんの中、かの。いや元々モンストピアの島の部分自体が姫さんの細胞で構成されておる。その意味ではまあ、ここはモンストピアの本来の内側と言っていいかもな」
「……何を言っているのかさっぱり分からない……」
「百聞は一見に如かずじゃ。少し頭をいじるぞ」
え、と抵抗する間もなくクロウの両手がアイヴィーの頭に伸ばされる。彼の指がツボを刺激すると彼女は頭部に大量の情報が流れてくる感覚を味わった。
「!?#@!」
自身の視界が徐々に別の誰かの物へシフトし、感覚全体が巨大に拡張してゆく。気づいたらアイヴィーは自分が海の中を泳ぐ巨大な怪獣になっている感覚を覚えた。
「ほんと何なのこれ……」
「モンストピアとそこに住む怪人病患者全員を取り込んで姫さんが変身した姿じゃよ。これがあの人の本来のフェーズ4と言っても過言では無いな」
「これが……フェーズ4ですって⁉ ありえない! こんなの……怪人病の範囲を超えている!」
「だが現実じゃよ。おぬしも本当は理解出来ておるのじゃろう。姫さんの力の底の無さを」
理屈は分からないが、感覚を共有しているためにアイヴィーはクロウの言わんとすることが理解出来てしまっている。自分の言葉を咀嚼し、注意深く周囲を観察し始める彼女を見てクロウはさらに言葉を続ける。
「ノヴァのような急進派は怪人病の事を『人類の進化の証』とうたっておるが、能力ゆえにやはり社会に適合できなかったり、己自身の毒になったりしてしまうと言うのであれば病気と変わらない。
例えばワシは時間操作の能力でその場に応じて生まれた0歳から能力が発症した七十歳までの年齢の姿に強制的に変身する。はじめの頃は不老不死の能力で仙人になれたのかとはしゃいだものじゃが……よくよく考えればたかが農村の出のジジイがそんな高尚な物にはなれんわい。まだ能力をコントロール出来ない頃、寝て起きて子供の姿になった時は自分が妖怪になった事を知って慌てて故郷を逃げ出した。そこから人生三百年、ワシは今まで各地を放浪してきた」
「……」
「ワシなんて良い方じゃったと思う。日本の江戸時代は何だかんだ雑な町で妖怪だの仙人だの浮浪者だのを受け入れる余裕があったからな。ワシはおこぼれにあずかるように各地を転々と過ごしていた。
そんなときじゃった。ちょうど姫さんと出会ったのは。外国の船に密航してきたのか、とにかく一目見た時に直感したよ。ああ、この人もワシと同じ化け物なんだとな。ワシらはお互いが出会えたことが嬉しくてな……まだおしゃべりだった頃の姫さんと自己紹介を兼ねて色々しゃべったよ。その中で、ワシは彼女が特殊な能力を持つ古くからの一族である事。並みはずれた力を持つ自分はとりわけ能力に秀でていて数百年生きてきたこと。そして、長生きしすぎて自分以外仲間がもういない事を……。
アイヴィーちゃんも機関の一員なら知っていると思うが怪人病は社会的に認知される前にもその症例が存在していた。おそらく、昔から妖怪とか化け物とか呼ばれていた存在は患者や怪人だったのかもしれんな……」
「早すぎた覚醒者……」
「そう。ワシらはお互いを見つけたことが嬉しくてな。それからは他にも仲間がいるんじゃないかって世界各地を旅したよ。アリのように甘い匂いに誘われて……そこには確かに仲間がいた。怪人たちは存在した。ワシらは二人ボッチの存在でもなく、社会の中の別な大勢だと分かった時の安心感は格別じゃった……。
だが、当時の環境では怪人病患者は長生きできない。膨大なカロリーを要求する患部に、強烈なエネルギーを発揮する代わりに急激に細胞分裂を行う怪人。出会っても十年にも満たないうちに彼らは逝ってしまう。結局ワシらみたいに長命の能力を持つ怪人は後先にもワシと姫さんだけじゃった……。
ワシらはその場に応じて姿を変身させて、すがるように、仲間探しを止めなかった。ワシは案外長生きが平気だったのかもな。何度かの戦争が終わって平和になった頃には潜在的な患者の数も増えてワシらは一つの集団、モンストピアと機関の前進となる『組織』として行動をとることが出来た。怪人と人間との間の橋渡し役は面白い。自分がもう一度仙人になった気分で人と接することが出来るのはとても楽しい!
……だが、人間の規格から外れたワシらを受け入れる場所は無く、仲間は見つかってもあっけなく死ぬ。それを約千年近く繰り返して来た姫さんはとうとう壊れた。あの日、何度か目の迫害から仲間を庇い、大けがを負った姫さんは数百年分ため込んだストレスを発散させるように巨大化し、ワシらを飲み込んだ。ちょうど、今のような空間の中にな」
会話の中でタケルの姿は徐々に年を重ねていった。少年から青年、青年から壮年。そして老人の、彼本来の姿になるとこの暗黒の空間を懐かしむようにしみじみと見つめる。その場に蓄積された女王との月日。それらをいとおしむように数度深呼吸をし、全身を伸ばす。その姿は大自然と一体化せんとする仙人にも見える。
「戦闘が終わってワシらを吐き出すと姫さんは巨大怪獣の姿から島の、大地の姿に変身して引きこもってしまった……。通信役の
ワシは傲慢かもしれんが昔みたいに姫さんを笑顔にしたかった。じゃから彼女に約束した。怪人たちの楽園を作るとな。人工島とはよく言ったものじゃよ。なんせ彼女個人が島なのだからな。ワシらは姫さんと島の外側を自然の要塞にしたり、敵の侵入ルートを地下に限定出来るようにしたり、食料攻めにあった時のためにあらゆる作物が育てられるように土壌を開発した。ワシは元農民だったから現代農業は楽しかったよ。
そして、二十年前。怪人病が一部の業界人に認知され始めたころにモンストピアとして活動を始めた。資金集めや外部との牽制の都合上、今はまだ各界のVIPしかサービスを提供できないが、昔みたいに徐々に仲間を集められるようにもなっていた。あと数十年もすれば、怪人国家として独立するのも夢じゃないな……なんてドヤっていたのじゃが……」
感覚を共有する二人は女王の本体が動きの勢いを加速させている事に気がついた。狙いが分かっているかの如く、その動きに乱れはない。時に岩礁、時にどこかの軍の潜水艦などを破壊しつつ全く無視して直進する。
「ねえ……この子一体どこに向かっているのかしら。もし私の頭に流れ込んでくるイメージが合っているとしたら……」
「イメージ通り、おそらく機関の本部があるアイヴィーちゃんの国に向かっておるのだろうな。西海岸まであと一日といったところかのう。まあ本部は東側なのじゃが。だとすると、人間を皆殺しにしつつ陸路に入るのかな」
「皆殺しですって⁉」
次の瞬間アイヴィーの頭に大量のイメージが流れ込んできた。「怖い」「助けて」「患者は生きてちゃいけないの?」「いや、やり返せ! 奪われた分奪い返すんだ!」。中にはタケルの「島のみんなを僕が守る」という言葉も繰り返し再生される。
「そりゃ確かにモンストピアはいくつかの襲撃に遭ってきたが、基本的に医療施設で貴重な特許技術がある手前どの国や組織も工作員を送る程度で――ワシらとしては横流しでもいいから多くの怪人の助けになるなら多少のオイタは見逃して来たし、戦闘になればその備えもしてきたつもりじゃ。
しかし、ノヴァみたいに殺戮を主目的にして来たのはモンストピア至上初で、姫さんとしてはトラウマをほじくり返された気分なのじゃろう。それと取り込んで再生中の怪人たちの恐怖のイメージが合わさって……この暴走怪獣は動いておる」
巨大怪獣の嗅覚が海の中からかすかに香る患部の匂いを嗅ぎ取る。匂いの質は白山羊と同じブロッサムがベースのキメラ細胞のもの。なるほど、これを目印にすれば彼女たちが造られたと思しき西海岸の機関支部に上陸出来る。そして匂いはますます濃くなり、上陸までのリミットがわずかしかない事をアイヴィーは直感した。
「ちょっと、これ、止められないの? いくら何でも人間を皆殺しにって……駄目だ、話のスケールが大きすぎてついていけない……」
「別に止める義理も無いじゃろう。もうアイヴィーちゃんは機関から解雇されたわけで、ゴートとして市民を守る義務はない。残酷じゃが妹さんが亡くなったならますます人間の手足になる理由も無い。
それに止めようにも止められんぞ。ワシは時間操作、アイヴィーちゃんたちはキメラ細胞のせいで姫さんが異物と判断してこの隔離空間に囚われておる。まずは姫さんの中に溶けないと本体にアクセスできないし、よしんば溶けることが出来ても怪人たちの多くは人間にマイナスイメージを持っておる。多数決では圧倒的に負け。逆に取り込まれるじゃろう」
「……」
アイヴィーは流れてきたハンバーガーを掴みかぶりつく。
確かに、アイヴィーには今何かをする理由と言うものが無い。妹のためにと必死に機関の手足として働いてきたが上司直々に免職を突きつけられ、殺されかけた。妹が生きていると騙されたこと、彼女の尊厳をクローンと言う形で貶めた事に対しても怒りをぶつけたいとは思う。しかし、自分たちと同じ細胞を持つはずの彼の姿は何故か無い。
「……」
人間に対しても怪人に対しても彼女は特に深い愛着は無い。日々の生活では多くの時間を機関に拘束され、近所付き合いだって無い。加えて、怪人からはむしろ恨まれているのではないだろうか。人間側の大義名分の下、ただ生きたいと主張する怪人たちを倒して来た。自分は不殺を徹底してきたが、そんなの彼らから見れば関係ない。自分たちに不当な権利行使をする偽物の怪人。黒山羊の自分にはピッタリなフレーズだと彼女は自嘲し、最後の一口を飲み込む。
タケルの介助師「ノイン」としての仕事はどうだろうか。アイヴィーの目の前に女王の細胞を保存した試験管サイズの保存容器が流れてくる。あれだけ密閉していたはずなのに内部の血液は蒸発しかかっている。もう契約期間は過ぎているだろう。それにタケルは自力で変身できる力を身につけてしまった。彼が元の生活に戻ればきっと裕福な両親のもと、一生怪人にならない生活が待っている。そんな少年のこれからに対しアイヴィーは自分が出来ることは無いなと判断する。
あらゆるしがらみから解放されたせいか、極限状況であるにも関わらずアイヴィーは生まれて初めて心の底から余裕を感じていた。モンストピアで生活していた時も穏やかで、ともすれば呑気な気分になれたがこの暗黒空間はその比では無い。ここには自分を縛る目も、ルールも、重力も無い。クロウの体験通りなら女王がしばらく暴れれば自分は無傷で解放される。彼女の感覚を共有したまま、体内の豊富なジャンクフードを片手に自国の人類の終わりを見るのも映画を観るようで悪くない娯楽だと思う。
「……ふう。止める義理、ね。確かにな――」
『いつか怪人と人間が手を取り合えたらいいのにね』
「――はぁ……私って相当重症なシスコンだったのね」
アイヴィーはジャケットを脱ぎ去り首元の真っ赤なライザーを露わにする。堂々と変身するのは一体どのような気分なのだろうか。タケルから借りたヒーローではないが、彼女は柄にもなくポーズを決めたい気分に襲われる。
「おい! 一体何をするつもりじゃ! 変身した所でアイヴィーちゃんはこの空間を漂うだけじゃぞ」
「ただ変身すればね。でも、私にはこれがある」
「なっ……」
アイヴィーの右手にはインジェクターが一本握られていた。あの日女王の血液を採取した時に作った最後の一本。中身は保存容器同様薄くなっているが首輪にはまだ薬液の残量が残っている。最悪空間を食えば変身できるだろう。ともかく手段はそれ一つしかない。アイヴィーはインジェクターを勢いよく吸入孔に突き刺し、薬液を流し込む。
「危険じゃ! そんな姫さんの細胞を取り込むなんて……一体どんな影響が出るのか全く分からないんじゃぞ!」
「私の体なんてもうとっくに人間でも怪人でもない滅茶苦茶な物になっている! 今さら患部の一つや二つ追加したって怖くない!」
アイヴィーの肉体が薬液の循環が始まった部位から徐々に黒く染まって行く。首元から頭部、胸部から末端へ、順に黒く溶け出してゆく。
肉体の輪郭を失う中でアイヴィーは自分の左腕が真っ白に染まるのをみた。最初に自分を繋ぎ止めた妹の部位。一年間一緒だったそれも付きそうようにワンテンポ遅れて黒く染まり、溶け出してゆく。
「これが女王の……あの子の中……」
全ての輪郭が溶けると同時にアイヴィーの意識は暗黒空間の流れとは比べ物にならない勢いで引きずり込まれてゆく。気を抜けば自我が吹き飛びそうな消失感。しかし彼女は自分を見失わない。妹の言葉と左腕を必死に掴み、逆に流れの中心を目指して深く深く飛び込んでゆく。
べえええ、と自分の喉が鳴る感覚を覚えアイヴィーは確信する。自分は飲み込まれない。目的のために自分を維持できると。
西海岸到達まで残り二十時間。全てはアイヴィーに託された。
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