4-3

 改めて、アイヴィーは目の前の白い少女を見る。両親譲りの碧眼に姉妹共通の凛々しいツリ目。闘病生活で患部が全身に広がってからは柔和になった目元は間違いなくあの日のブロッサムそのものだった。自身のアパートに飾ってある唯一の写真から抜け出したと言われてもおかしくない位だ。

 しかし、服装は任務の際にアイヴィーが着込む黒い制服を白く染め直したモデルで、装備も色が反転しただけで彼女と全く同じものを備えている。何よりも金髪だった妹の髪の色は患部の肌同様暗めの白に染まっている。アイヴィーはこの髪色が引き起こす現象の意味を知っている。

「キメラタイプ……どうして……」

「もう腹部が治っている。おいおいアイヴィー、もしかしてこの島で十分な食事を経口摂取しているんじゃないかね。君の食欲では正体がばれてしまうだろう。その分だと潜入は失敗しているのではないか」

「ノヴァ! 答えて! 妹の顔をしたキメラタイプが大量に増えて、何の罪もない患者を攻撃している! 任務に失敗した私を機関が処分に来たのなら分かる。でも、この悪夢は一体何なのよ!」

 アイヴィーはノヴァにつかみかかろうと前へ出る。

「お姉ちゃん、上官に向かって失礼、だよ」

 それを見た白い少女は一瞬で彼女の後ろへ回り込み地面へ抑え込む。あまりに滑らかな動きに抵抗する隙も無い。完璧な動作にアイヴィーは驚愕し、ノヴァは自慢げに微笑む。

「この子達は……一体誰なのよ! 妹の顔を持つこの子達は一体誰なのよ!」

「誰って酷いな。アイヴィー、君の唯一の肉親を他人呼ばわりするのは家族として冷たいんじゃないか。まあ、我々も一年間遭わせなかったのは悪いとは思っているが」

「この子達が全員……まさか……!」

 アイヴィーは最悪の可能性を思い浮かべる。いや、いくら機関が「人類の進化」を名目に命を弄んでいると言ってもそこまでするはずは無い。

 ――しかし、目の前の男だけはそれを実行しようとする。

「キメラタイプ計画はあらゆる形状に変異する、あらゆる患部を再現する女王の細胞を人為的に再現しようと始まったものだった。彼女の万能細胞が持つ生命力は人類の発展に必要不可欠だからね。しかし、この細胞には一つ欠点がある。細胞が本体から分離するとものすごい速さで劣化してしまう。どれだけ保存を効かせても二十四時間で使い物にならない。実験に利用するなんてもってのほかだ。この原理を応用してなんとか抑制剤を開発出来たのは僥倖だったが……我々が欲しいのは本体の意向関係なしに利用できる万能細胞。全く、女王が持つ特定の電気信号が無ければ使えない細胞など非科学的だよ」

 ノヴァは女王を睨みつけた。白山羊たちの蹂躙の中、彼女はすべてを見透かすようにコロシアムの、ノヴァの事を見下ろしている。例えどれだけ傷つけても私がいればこの場は収まる。彼女の無表情は冷たく彼へと注がれる。

「陛下は諦めていない! 凛とこの場に立っている! 怪人部隊、出動だ!」

「抑制剤を持て! 人工怪人だって怪人だ! ブチ当てれば抑えられる!」

「今こそウォリアータイプの連携を見せるとき!」

 島の各地から衝撃波が発生する。匂いの洪水が地下のコロシアムにまで流れてゆきアイヴィーは島が活性化しているように感じた。そう、この島には命の証である女王がいる。彼女という希望がある限り島の人々は人間なんかに一方的に負ける事を選ばない。戦士たちは磨き抜いた戦法で白山羊たちを次々と拘束し、傷ついた患者たちを安全な場所へと避難させてゆく。

「だからといって一から万能細胞を構築するのは難問だった。女王の細胞を参考に、複数の患部を混ぜれば何かが生まれるとは確信していたのだが……研究の最先端を進んでいるとは言え科学は万能では無い。その過程でライザーやウォリアータイプを開発出来たのは良いが、あれではまだ失敗作だ。真に進化した人類の姿とは程遠い。

 そんな中、我々はとある少女たちと出会った。爆発事故の後処理なんて雑用放っておいても良いと思ったが……気まぐれに現場に足を運んだら思っても見ない拾い物だったよ。そこにいたのは真っ白な患部だけが生きている少女と、彼女の患部を喰らって虫の息をしている少女二人だった。いや、患部と一人と表現するべきか。ともかく、二人と出会ったことはキメラタイプ計画の、人類の進化に繋がる大きな発見だったよ!」

 ブロッサムはアイヴィーから飛びのきノヴァの下へ戻る。ジャケットをはだき、首元を露出させるとそこにはアイヴィーと同じ、武骨で真っ赤なカラーリングの首輪型ライザーが存在する。

「変異」

 首輪のスイッチを押し込み、衝撃波を放つ。体に染みつく甘い香りを吹き飛ばすように大量の熱を放出するとそこには白山羊の怪人の姿が直立していた。

「なっ……」

「ブロッサムの患部は一種類の遺伝子情報だけではひたすら意味の無いガンのような細胞分割を繰り返す特性でね。結論から言えばオリジナルの彼女を救う方法は無かった。おそらくどれだけ処置を施しても脳まで意味の無い患部になってしまうからね。

 ところが、彼女の細胞は他の遺伝子を取り込むことで接着剤のように組織を接合できる稀な性質も持ち合わせていた。姉である君の体は家屋の破片で傷ついた部分は普通に怪我をしていた。しかし、しかしだよ君! 妹の部位を喰らった体組織は壊れていると同時に、姉妹同士の細胞が融合し、再生を始めていた!

 あらゆる細胞を取り込み、その性質を再現し汎用化させることが出来る。キメラタイプ構想は、人類の進化の道のりは君たち姉妹の発見によって飛躍的に進むことが出来た!」

 白山羊怪人はアイヴィーの背後、闘技場の中に取り残されたタケルの下へ真っ直ぐ近寄る。

「……⁉ 止めろ!」

 彼女の動きからタケルを庇うように医者が覆いかぶさる。担当医として、大人としてその瞳は守る覚悟に燃えていた。

「べえええぇ」

 そんな彼をあざ笑うように彼女は強化された右腕で医者のマジックハンドの左腕を掴み。ハイヒールで背中を踏みつけると――

「ああああああああ‼」

 バキンと金属が割れる音が響く。彼のマジックハンドは無残に引きちぎられ割れ目からは機械油のように粘性の血液が零れ落ちていた。

 そして白山羊は大きく口を開けるとバリバリと腕を咀嚼し始めた。彼女だけじゃない。まるで空腹を満たすかのように他の白山羊たちも奪った患者の患部を咀嚼している。どんなに硬く見える患部も臼のような山羊の歯の前では形無しなのか、彼女たちは口元からゴリゴリと歪な音を立て始める。

「見たまえ……これがキメラタイプの真髄だよ」

 タケルの前に立つ白山羊の左腕が蒸気に包まれる。皮膚がチープなおもちゃのようなプラスチック状に硬質化し、五指の形が輪っかの形状に変形、それは先ほどまで医者が保有していたマジックハンドの形状。

「彼女たちはプロトタイプである君と異なりベースが患部だ。わざわざ人間の部位を守るために変身薬を使う必要は無い! 経口摂取はもちろん。あらゆる方法で患部を取り込み、その性質を己の力に変える再現性。これが人類の進化、あらゆる能力を発現出来る人類の可能性、君の妹達、ブロッサムのキメラタイプだ!」

 ノヴァの歓喜の笑いがコロシアム中に広がる。昨日あれだけ観客や患者たちを笑顔にしていたコロシアムはこの一人の男しか笑顔にしていない。アイヴィーはその様子を放心した顔で見渡す。どこもかしこも妹の面影を残す白山羊の顔、顔、顔。彼女たちの肉体はかつて自分が外の世界でやって来たように怪人たちの襲い掛かり、未知の部位を発現させて破壊を繰り返す。

 止めて! 止めて! そんな、そんな酷い事をしないで! 誰かのために動こうとしていたあなたはどこに行ったの……こんな無表情で人を傷つけるなんて……ブロッサムは……妹はそんなことしない……!

「……あなたがブロッサムの細胞をベースにクローンを作った事は分かったわ。ええ確かにそれならこの子達は私達の妹になるわね……。でも……今施設にいるはずの、オリジナルのブロッサムはどうなっているの! こんなの、妹の命を弄ぶなんて! 妹を、ブロッサムを返してよ! あの子は、本当のあの子はどこなの!

 ……女王のサンプルなら回収したわ。今私の部屋のカバンの中に保管してある。任務は成功したの、これ以上この島に用は無いはずでしょ! 妹と同じ顔をしたこの子達にこんな事をさせないでよ! 機関とモンストピアの存在は平行線なんでしょ……こんなの……無意味じゃない!」

「君の知能レベルなら今までの会話の中で事実に気がついていると思うのだが……まあ、真実を知るのはいつも残酷だ。

 結論から言えばブロッサム・スイフトは発見時にすでに脳死状態だったよ。それを告げなかった事を本当に済まないと思っている。目覚めた君は相当にショックを受けていたからね。実験体である君に死なれても困る。落ち込む君を励ますために軽い嘘をついていたことは認めよう。しかし、彼女たちは遺伝情報的に百パーセントブロッサムだ。その意味で、君が任務を達成してくれたのと同じ、我々は約束通り君を一年ぶりに妹に会わせることができた。

 それと君の任務は二日目にバックアップと接近した時点で終了している。女王は肉体の一部を融合させることで怪人を従わせる性質を持っている。今までの失敗から女王は必ず新入りに近づき、何かしらのスキンシップで工作員の精神を操作してきた。だが君の、キメラタイプの意識は常に女王から独立していた。バックアップは本当に良い仕事をしてくれた、工作員はやはり人間に限るね。

 彼らの観察の結果、愛着は感じても、君はいつも任務優先だっただろう。まさか本当にサンプルを回収できるとは思わなかったが、本来は任務の成否なんてどうでもいい。この島でキメラタイプの実証実験が出来ればそれでよかったのだよ。

 アイヴィー、ご苦労だった。プロトタイプである君はもう用済みだ。あとは大好きな妹とじゃれ合うがいい。好きな人に処分されるなら、本望だろう」

 ガチガチとマジックハンドが開閉する。医者の優しい手つきと異なり、強烈な破壊力を秘めたそれをアイヴィーへ向け、白山羊の少女は駆け出す。そこに表情は無い。任務をこなすための怪人の仮面。これもまた自分のデータを反映させたものなのか、それとも妹の表情なのか。

「ふざけるなあああああああああああ‼」

 襟を引きちぎり、インジェクターを首輪の吸入孔に装着する。薬液が全身に循環し、アイヴィーの碧眼が黄色く染まる。興奮と共に瞳孔が水平に広がり、衝撃波を纏いながら右腕を振り抜く。籠手はマジックハンドを砕き、勢いのままに白山羊の頭蓋にひびを入れる。そこに妹を慈しむ姉の姿は無かった。怒りのまま、体内に備わる数々の暴力を発散させる狂った黒山羊は傲慢な男の下へと蹄を大きく鳴らしながら走り出す。

「まったく。女王が怪人たちの遺伝子情報を元に死体を生きた状態に回復させるのと、死体のクローンを作成して生前の人間を蘇られる事、そのどちらも命を弄ぶ行為に変わりは無い。それを人間の主観で尊い行為だの残酷だの感想を重ねるのは理解に苦しむね」

 己に脅威が迫っていると言うのにノヴァの表情は余裕そのものだった。破壊の中心にいながら汗一つかかず、スーツに付いた埃を払うなどアイヴィーのことを眼中に入れていない。その事が彼女の神経をさらに逆なでする。黒山羊の体毛は逆立ち、インジェクターを用いないのに縦巻角に秘められた電撃を発生する能力を解放していた。神経系が活性し、ギアを上げるようにアイヴィーの動きがさらに加速する。必殺の右腕はとうとう彼の顔面の正面を捕えた。

「あああああああああああ‼」

「まったく、養子(娘)が元気なのはいいが、少々お転婆が過ぎる」

 ノヴァは人差し指で数度喉を撫でると彼女に向かって口を開き、「ゴウ!」と一言

「⁉ ギイイイイ……イヤアアアアァッ‼」

 アイヴィーの左腕に再び不自然な激痛を伴う痒みが発生する。神経系を活性させていたのがあだとなった――左手はまたも別の生き物の如く彼女の肉体を素早く下方へ引き、右腕の一撃をハッチへと逸らす。

「土壇場で患部を覚醒させる辺り君とキメラタイプ施術は、妹の患部は相性がよかったのだな。本当に君のような優秀な素材を失うのは心苦しいよ。だが、そんな君たちがもし反逆した場合に私が備えないと思っていたか?

 もう一つ君に良い事を教えよう。君は妹に会えない事をずっと残念に思っていたようだが、体内の細胞片以外にも実は君は多くの時間を妹と過ごしている。君の左腕が白いのはその部位に様々な患部を搭載している事もあるが……それが君と妹の細胞接合で最初に行った部位だからだよ。

 君の欠損と妹の左腕の患部を試しに接合させてみたのだがこれが元々の腕のように一体化してね。君はいつも左腕を中心に回復していただろう。その度に君の全身に広がっていったはずだ。君たち二人は私がクローンを作らなくても常に一緒だったのだよ」

「外道……」

「科学の使徒と言って欲しいね」

 そう言ってノヴァはおもむろにネクタイを解き、首元を露出させる。スーツのポケットから真っ黒な武骨な首輪を取り出すと自らの首元に巻き付け、指をスイッチへと伸ばす。

「変異」

 ノヴァの全身から強烈な衝撃波が放たれる。獣の咆哮のような断続的に広がる複数の衝撃波。その波の中でノヴァの肉体が黄金に輝き始める。肉体の各部は筋肉が発達し大きく盛り上がり、顎は先ほどの咆哮に似合うように大きく発達、犬歯も鋭く伸びる。トレードマークのオールバックはたてがみとして広がり、そこからは彼のプライドの如く黄金のオーラを纏わせている。自身に満ちた肉食獣の大きな瞳が開眼するとそこには獅子を思わせる黄金の怪人の姿があった。

「キメラタイプ・レオ。これが私の進化した人類としての姿だ」

 ノヴァは怪人の姿で大きく吠える。先ほどの歓喜の笑い声とは比べ物にならない、コロシアムを超える音の波。彼の咆哮は地下を超え、地上の病院施設や畑にまで大きく広がる。

 そして誰もが彼の声をきいて動きを止めた。いや、止めさせられたと言っていい。その声には聞いたものを従わせる強制力があった。激しい戦闘を繰り広げていた白山羊と怪人たち、上階で避難区域に急ぐ患者と職員たち、畑から海路へと島民の避難準備を整える住民たち、誰もが「動くな」と従わされた。あれだけ騒がしかったモンストピアが静寂を強制される。誰もが自分に従っている、そんな状況を見て獅子の頭部は満足げに笑みを浮かべた。

「進化の最先端にいるべき存在は、他者を従わせる能力を持つ必要がある。例えば、このようにね」

 ノヴァは再び「ゴウ」と咆える。

「⁉」

 次の瞬間アイヴィーの体は縮みだし、彼女の姿は人間態へ戻って行く。

 いや、彼女だけでは無い。周囲の白山羊たちもまたブロッサムの姿に戻って行った。

「キメラタイプの頂点である私は女王の能力のように肉体への強制権を持つ。とりわけ君を含め、白山羊クローンは私に忠実に従う」

 咆哮と共にハッチが再び割れる。中から現れたのは白い群れ。その場に釘付けになった怪人たちを無視し、彼女たちはより多くの患部を求めて上階の医療施設を目指す。

「止めなさい! っつ‼」

 左腕がアイヴィーの喉へ延びる。気道を抑え込まれ、悶えるアイヴィー。そんな彼女をノヴァは満足げに見下し、彼女の腹部を踏みつける。

「手足である山羊ゴートが頭である獅子レオに反逆するなんておこがましい。君たちは私の兵士として必死に働くのが一番いいのだ」

 さらなる咆哮と共に再び状況が動き出した。未だしびれるモンストピアの怪人相手に白山羊たちは肉体を自由に動かし蹂躙を始める。中にはノヴァの呪縛から解放された強者もいるが、圧倒的に数が足りない。羊の群れ相手に精鋭の怪人ですら押し切られてしまう。

 理想郷が終わる。外部の、人間の脅威にモンストピアの誰もが心が折れた。


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