4-2

「もうちょっと気合いを入れて怒ってみようか。とにかく気合いを入れて興奮するのが重要だよ」

「えー、いきなりそんなこと言われても、俺そんなに怒れないよ……。というか何で怒るの?」

「怪人態への変身は感情の起伏が重要だからね。別に怒らなくてもいいけど、例えば激しく落ち込むとか、思いっきり笑うとか、とにかくそういった極端な感情を出せることが重要なんだよ」

「うーん。あんまり分かんないよ」

「昨日の襲撃事件の事を思い出してみるのは? ほら、あそこ! 丁度僕たちがいた場所だ。あの時は怖かっただろう。それを思い出してみるのは?」

「あの時は先生が俺の事守ってくれたじゃん。それに島のみんなもお姉さんも変身して守ってくれたから全然怖く無かったよ」

「ああ……子供の純真が憎い……」

 それにはアイヴィーも同意だった。長い患者生活がそうさせたのか、余裕のある環境で育ったからか、根がそうなのか、とにかくタケルは極端な感情を示すことが無い。特撮ヒーローに関してはこだわりがあるようだが、それ以外は非常に素直で可愛らしい。

 そう言えばこの頃のブロッサムは対照的に感情をむき出しにしていたな、と彼女は思い出した。自分の体が自由な内は積極的にボランティア活動に参加したり、車いすになったら自力で動かす事にこだわったり、そう言えば動画で怪人病について発信するのは妹の案だったなとアイヴィーはタケルを通して過去を見出していた。

 そしてもう一つ、彼女が妹を思い出す要素が近くに存在している。

「……こんなので楽しいの?」

「…………楽しい」

 現在アイヴィーはコロシアムの観客席に腰をおろして、自身の膝の上に女王を乗せながら医者とタケルのリハビリの様子を監視している。

 コロシアムは興行が行われる午後以外は運動施設として開放されていた。タケルと医者以外にも内周をランニングしたり、ボール遊びを楽しむ患者たちで溢れ運動公園のような様相を示している。しかしその本質はやはり医療施設なのか、タケルたちのように患部のリハビリに来ている患者たちが大半でそれぞれのやり方で体を思いっきり動かしていた。

「ほら、ヒーローだって怒りで能力を暴走させる回があるだろう。あのイメージだよ」

「でもヒーローはすぐに力を自分のものにしちゃうじゃん。あんまりよく分からないよ!」

 そんな患者たちの中で禅問答のようなやり取りをしている二人はかなり浮いて見えるが、怪人病を齧ったアイヴィーにはこれが正式なリハビリである事を理解している。原理は解明されていないが、患部を自身の意思で操れるフェーズ3以降の患者は自分の意思と怪人態を結びつけるために特定の感情を引き金にすることが多い。それに怒りの感情を勧められるのは、主に外の世界で多くの怪人が怒りをきっかけに変身しているからだ。精神的なストレスが肉体を変化させると言ってもいい。

 医者の声掛けで頭がパンクしてきたのか、彼の理不尽にも思える呼びかけにタケルの皮膚は次第に赤色に染まり、蒸気を発している。しかしまだまだくすぶっている程度だ。それを爆発させるにはまだ一押し足りない。最も感情と切り離したところで変身している人工怪人のアイヴィーにはその感覚がいまいち分からないのだが。

「慈愛や献身の感情でも変身って出来るものなのかしら……」

「…………?」

「ごめん、なんでもないわ、忘れて」

 膝の上に乗る女王の体重は見た目通り軽い。こんなに小さい体があれだけの人々を救ったのだと思うとアイヴィーは目の前の存在が現実なのか、その温もりを感じても疑わざるを得ない。

 思えばあの透明な筒の中から彼女が胸に手を突っ込んできて以来この島で驚かない日は無かった。誰かに怯えずに道を歩く患者の姿、それぞれの体に合った工夫を凝らして健常者よりもはるかに効率的に農作業をする島の住人達、島外の人間に臆することなく遊び、笑顔で一緒に食事を摂る子供たち、その身に余る力を芸の力で制御し、非常事態ではその身をもって弱者を守る怪人たち。外の世界には存在しない理想の数々は女王を通して見てきた物で、きらびやかすぎる景色にアイヴィーは一度否定したくなったが、今はそんな場所があってもいいと思い始めていた。

 己の名前を看破し、おそらく妹を救いたいという自分の目的すらも見透かしているであろう少女。彼女が発する強烈な匂いは今でも生き物として勝てないという本能を刺激するが、今は嫌に感じない。アイヴィーは力の脅威の中に女王の優しさを嗅ぎ取っていた。きっと彼女は誰かに求められれば自分のすべてを持って捧げられる世にもまれなお人よしなのだろう。それこそ他人に命を分け与えられる程。少女のどこに力の源があるのか分からない。しかし、彼女はそれを行動で示している。だからこそ少女は女王と、この島の大切な存在として人々から慕われているのだ。

「……今は全部を言えないけど、すべてが終わったら必ずこの島に戻って来るわ。その時は私の妹を紹介してあげる。見たら驚くわよ。私の妹、ブロッサムはあなたの顔とソックリなんだから」

「…………うん」

 女王から発せられる匂いが生クリームに練乳を足したようにさらに甘く変化する。アイヴィーはそれにむせそうになるも、これが女王なりの感情表現である事を理解している。あちらを向いている彼女の表情は相変わらず能面なのだろうが、そこに少しばかり笑みが差しているに違いない。

 アイヴィーは久しぶりに穏やかな温もりを感じていた。仕事としてタケルのリハビリはチェックしているものの、自分が座る座席とそれ以外の空間が緩やかに離れて浮遊しているかのような自分が空気に溶けだして陽だまりになった感覚。緊張の糸が緩み、目的無く佇む感覚を味わったのはいつの頃か。少なくともこの一年間その感覚を味わうことは無かった。外の世界では戦わなくては生きていけない。それが兵隊であるアイヴィーのアイデンティティだ。

 あと二日。この穏やかな日々がもう残っていない事をアイヴィーは名残惜しく感じている。タケルと医者と、クロウと、チョコミントや子供たち、そして女王と過ごせる日々の終わりはあっという間に近づいている。あれだけ妹のために必死で、妹しか無かった自分にこれだけの人間関係が結べた事に彼女は驚いた。これで自分が機関の産業スパイだと公表したら、彼らはどうするのだろうか。きっと彼らは敵の存在に戸惑うだろう。けれど、最初に女王が手を取るに違いない。それだけでこの島の人間は行き場の無い怪人を受け入れてしまう。

「仲良くやっているようじゃな」

 しわがれた声の方へ向くとそこには老人の姿をしたクロウが近づいて来た。彼は二人の隣医座ると同じように闘技場の方へ視線を向ける。

「あの坊ちゃんはうまくやっているようじゃな。施術の拒絶反応とか無さそうだし。若いっていいのう。生きているだけで希望に溢れておる」

 クロウは外見に似合う羨望のまなざしを送っている。それに合わせるように女王の手が彼へと延び、しっかりと握る。そこから流されないように、腕に刻まれた皺は一層深く広がって行く。

「体の時間を自由に操作できるんだったら別に若さをうらやむ必要は無いんじゃないですか? 人間、こんな穏やかな環境にいたらなんでも出来る気がしますよ」

「島の中だとそうかもしれんが、外の交渉となるとハードじゃぞ。島で開発した医療特許の申請に、生活インフラの整備、島の収支や資金のチェック、新規リハビリ道具の開発やその認可、この理想郷を維持するのは並大抵の事ではないよ。

 いやはや歳をとるものじゃない。理想の向こう側見たくないものまでついつい見えてしまってよろしくない。この役をやっていると人間が抱える多くの問題はお金と、人間同士の衝突にある事を痛感する。そうじゃろ――キメラタイプ・ゴート、機関の潜入工作員アイヴィー・スイフトさんや」

「……」

 アイヴィーは動揺しなかった。そもそも女王を助けるのに怪人態を見せてしまった時点で正体がばれるのは時間の問題だったのだ。むしろ、潜入に関しては素人の彼女がこの五日間正体を指摘されなかっただけ僥倖と言えなくもない。

 そして、彼女の任務はまだ失敗していない――

「いつから気づいていましたか。もしかして……最初から? 女王を私にあてがったのも、理由を付けて行動を監視するためですか」

を見た瞬間きな臭いとは思ったんじゃが――この島にやって来るのは腹に一物も二物も抱えた奴らばっかりじゃからな――きちんと正体をさぐれたのはやっぱり昨日じゃな。噂には聞いておったが……まさか人体に極限まで負担をかけるキメラタイプ施術が完成しておったとは……。

 戦闘記録を観たぞ。まるでわざと死にに行くような戦いをしおってからに……いくら怪人を生け捕りにしたいからってあそこまで自分の体を犠牲にするものじゃない。『どれだけダメージを負っても立ち上がる不死身の兵士』だなんて機関のプロパガンダなのかもしれんがそれに全部乗る必要は無いだろう……」

「ふふっ……べええっはははは」

「なんだよ、気持ち悪い笑い声出して、ワシは本当に心配して――」

から笑っているんですよ。私は兵器です。パフォーマンスを最大限に発揮させるために身体上の不備を隅々まで点検されることはあったし、精神面が落ち込まないようにケアを受けた事もあります。そして私はあなた達の理想郷の秘密を盗み出しに来たスパイです。そんな……人工怪人なんてこんな理想郷にふさわしくない招かれざる客を本気で心配するなんて……べええっははは……お人よし過ぎる……」

 アイヴィーは温もりを胸の前まで引き寄せた。すると女王もまたそれを受け入れるように背中を預けてくる。自分が声を上げて笑うのはいつぶりだろうか。肉体改造を受けて喉が異様に震えるが久々に心から笑えている。その感覚が彼女にも不思議で仕方がない。

「別にワシ一人がお人よしって訳じゃないさ……ワシだって人間と怪人の間の断絶には気をもんでおる。というかワシ一人なら間違いなく人間からも怪人からも逃げて仙人みたいに暮らしたかった……。

 じゃが、ワシらは姫さんに出会ってしまった。この人には人に笑顔を分け与える力がある。力はとてもこの世の物とは思えないが、それだけの力を虐げる人間には向けずに常に人助けのために使っている。そんな姫さんを見たらだれもがこの人の力になりたい、貰った優しさを返したいって思ってしまう。ワシらは姫さんに変えられてしまったのじゃよ」

「それで、この島ではどんな事情があれ島に直接的な被害を与えなければどんな人々も見逃されるんですね。例え敵対組織の人間でも」

「敵といっても機関は元々モンストピアと同じ組織じゃったからな。むかし抑制剤を開発した時に研究の方向性で喧嘩別れになっただけじゃよ。ライザーの開発だなんてバカバカしい。どうせ今もノインちゃんみたいな被害者を産んでいるだけだと言うのに……。

 それに産業スパイをしようにもあんまり意味が無いと思うんじゃよなぁ……怪人病を持っていても健常者と変わらない生活を送れるようにするワシらモンストピアと、怪人病の兵器利用を理念にしている機関では研究の方向性がもはや平行線をたどっている。ノヴァのやつ、いまさら何を考えておるのやら」

「そこまで知っていて、なおさら不思議です。私の体機関の機密情報だらけですよ。普通拘束して実験材料としてバラバラにしません?」

「敵対組織のトップ同士は案外仲良しなものなのじゃよ。お互いの手口くらい読める程にな。なに、ノインちゃんはそうされたいのか?」

「いや、いまはまだ。妹のために私はまだ死ねませんから」

 アイヴィーは温もりを抱きしめた。全身に広がる温かな感触。今はまだ代わりなのかもしれないが、この任務さえ終われば求めてやまなかった温もりが戻って来る。

 クロウも手を握る力を強める。三人は何も言わない。ただひたすらタケルのリハビリの様子を見つめている。それはまるで凪のような穏やかな時間だった。この空間は女王を中心に成り立っている。どれだけ対立しても、どれだけ違うもの同士でも、彼女の存在の前では誰もが彼女の望むように傅いてしまう。そんな心地のいい甘さに誰もが酔っている。

「……」

 アイヴィーは久々に自分の心を解放出来た事に深い安心を覚えていた。人と腹を割って話せたのはいつ以来だろうか。もちろんまだすべてを話した訳ではないが、一人の少女として素の自分でいられる時間はここに来て得られた感覚の中で至上の物だった。

「……っ!」

 しかし、秘密を抱えるゆえに、アイヴィーは自分がこの島では別の生き物である事を悟る。

 左腕に走る強烈な痒み。そのあまりの激しさに腕が暴れないように押さえつける。

「‼ おいどうした! 何があった」

 女王は飛びのき、クロウはアイヴィーが休めるように彼女の体を横にさせる。作業の間にクロウは青年の姿に変身しなければいけなかった。アイヴィーの左腕はまるでそこが別の生き物にでもなったかのように激しく動き回る。アイヴィー、クロウの鍛えられた腕力でもそれを抑え込むのは難しく、左腕は何かに引き寄せられるように彼女の体を闘技場の方へ引っ張って行く。

「……仕方ない。姫さん、ノインちゃんの、アイヴィーの左腕に干渉するんじゃ! 体の方はこの施設で治せる。設計図が無いのは不安じゃが……今はそれしかない」

 クロウは女王の方を見た。

「…………来る」

 しかし彼女が動く気配は無い。むしろアイヴィーと、闘技場を避けるように距離を取って行く。クロウは初めて女王が我先にと人助けに乗り出さないのと、「来る」の一言にえもいわれぬ恐怖を感じた。

「来るって……また異国の兵士か⁉ だがその程度なら別にワシらで倒せるだろう! いまはこの子の治療が――」

「うっ……ああっ‼ ああああああああああああ‼」

 女王が離れるごとに左腕にかかる引力が増してゆく。ジャケットの中からは接合部の筋繊維がブチブチと千切れる音まで聞こえ始めた。もはや二人の力では腕を抑えることが出来ない。アイヴィーの体は闘技場の中へと大きく飛び出していく。

「お姉さん!」

 誰もが独立して動く左腕を奇妙に思い、離れる。どれだけ異形な患部を持つ患者も、患部が自分の意思を超えて動く経験をしたものはいない。彼女の左腕はこの島で初めてもたらされた人の形をとどめた異形だった。

「ふーっ……はあっ……」

 強烈な痛みにアイヴィーはもはや抵抗できず、腕がなすままにぐったりと伏せている。そんな本体の事を気にせず、左腕は五指を節足のように動かして、闘技場の中心に到達してようやく動きを止めた。

「うっ……何なの、一体、これは……」

 痺れが治まり、感覚が戻ったところで闘技場のハッチが開き始める。午後のショーの時間でもなく、また警告なしに内部が変わる様子に患者たちはざわめきだし、危険を避けるためにも観客席へと走り出す。その場にの残ったのは中心にいるアイヴィーと彼女を心配するタケルと付き添う医者だけだった。

 そしてハッチは半端な隙間を生み出してはガコンと大きな音を立てていきなり停止する。大きな衝撃にコロシアムが、このフロア全体が揺れ誰もが膝を崩す。

「…………」

 そんな中、女王だけはしっかりと地を踏みしめて隙間を見つめ続ける。彼女だけはそのから何がやって来るのかを理解しているように、ひたすら真っ直ぐな瞳がその場を見据える。

「……ちゃん……」

 くぐもった声が隙間からこだまする。地の底から響くそれはアイヴィーの頭に稲妻のように流れた。

「⁉……そんな、ありえない!」

 再びの衝撃。人々が何かにしがみつく中彼女は起き上がった。転がっている暇は無い。この声の正体が自分の予想通りであれば――そんなはずは無い。でも機関ならやりかねない――寝ている暇なんて無い。

「……おね……ん……」

「あなたなの! あなたなの! 答えて、!」

 彼女の声に応えるように、隙間から白い人型が飛び出して来た。それは怪人演者のように宙を一回転するとマントを揺らしてゆっくりとアイヴィーの下へ舞い降りてくる。

「お姉ちゃん」

「……ブロッサム……」

 目の前には全身白づくめの少女。彼女の顔は、アイヴィーの予想通り妹のブロッサムの顔をしている。彼女の体からは患部特有のあの甘い香りが漂っている。間違いない、この匂いは妹の匂いだ!

「会いたかった……あなたに会うのに私、頑張ったのよ。任務も、訓練もこなしていって、つらかった……でも、こうして元気に歩けるあなたに会えて……本当に、良かった……」

 アイヴィーは目の前の妹を抱き寄せる。理屈はどうだか分からない。しかし、目の前にいるのは間違いなく、この一年間求めてやまなかった唯一の肉親の姿。モンストピアで緩んでいた感情がここで一気に爆発する。アイヴィーはそのまま妹に縋り、体を預けると大きな声で泣き始めた。彼女もまたアイヴィーを抱き返す。アイヴィーは妹が自分に応えてくれた事に喜び、さらに涙の量を増していく。

「お姉ちゃん……」

 妹もアイヴィーに触れようと手を動かし始め――

「‼ アイヴィー‼ そいつから離れろ‼」

「え?……うっ……」

 腹部に激痛が広がる。そんなはずは無い。そんなことはしない。否定しつつも、腹部に広がる感覚は現実だ。アイヴィーは恐る恐る下を向く。

 そこには透明な青い水晶に変異した妹の左手のひらがあった。アイヴィーの真っ赤な血に染められたそれは五指を腹部にめり込ませている。中からは五枚の刃物が蹂躙する感覚。それは昨日アイヴィーがミリタントモデルを撃破する際に使用したのと同じ、クリスタルクローの患部だ。

「これが……思ったよりも脆い……」

 妹の顔をした少女が口を開く。冷徹な目に、他人を小ばかにしたプライドの高い口調。それらの要素はアイヴィーにとある人物を連想させる。

「あなた……まさか……」

 もはや興味は無いと少女は指を引き抜き、アイヴィーを突き飛ばす。同時に、コロシアム全体が再び揺れはじめ舞台装置を切り替える中央ハッチが噴火のようにめくり上がる。

「なんだ……ああっつ⁉」

「止めて! 襲わないで! ギャアアアアアアァ!」

「来るな、来るな!」

 広がった隙間からは大量の白い少女がとめどなく飛び出し、彼女たちは近くに患者を認めると手足を部分的に変異させて相手の患部を切除し、強奪してゆく。そこに感情は一切無い。妹の顔をした何かは機械のように淡々と作業をする。そして一人が片付くとまた別の一人へ、患部の匂いを嗅ぎ取って彼女たちはコロシアムを抜け、モンストピアの中へどんどん広がって行く。

「ノイン・アイゼンバーグ、いやもうその名前は必要ないだろう。改めてアイヴィー・スイフト、ご苦労だったね。君の任務は終わったよ」

 同じ口調で男性の声。今まで出会った中でおそらく一番濃密に言葉を交わした存在。混乱と狂騒の中、見栄えの良くないハッチから威圧的に決めたオールバックと豪奢なオーダーメイドのスーツ姿の男性が優雅な歩調で現れ、二人の前へと進んでゆく。肉食獣のような野心と自信に満ち溢れた瞳はこの状況に満足しているのか興奮で瞳孔が開いている。それがまたこの男性の威圧感を強めていた。

「なんで……なんでノヴァ局長が……」

 腹部を押さえながらアイヴィーは立ち上がる。そこには機関で自分を待っているはずのノヴァ・アイゼンバーグの姿があった。

「なんでとは、直属の上司が直接任務の終わりを告げに来たのがそんなに不満かね。まあいいさ。どうせ今日ですべてが終わる。最後くらい君の悪態に付き合うのも大人のたしなみと行こうじゃないか」

「最後……? 任務はまだ二日残っている。私は失敗もしていない……」

「いや、任務の成否は問わない。これは私が直々に下す終わりなのだよ」

 ノヴァの背景、ハッチの下から複数の衝撃が断続的に発生する。それと同時に飛び出す少女の姿が徐々に白い怪人へと変化してゆく。

「どういうこと……」

 黄金の縦巻角に右腕を覆う籠手、蹄が発達した両足のハイヒール、左腕だけがプレーンな手。それはアイヴィーの黒を白に脱色したような白山羊の群れだった。


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