第四章 除け者たちの叫び

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 久しぶりの快眠にアイヴィーは気分よく目を覚ました。腹部に満ちる満腹感も、私室で首輪をさらけ出す開放感もこの数日必死で隠していたものを我慢しなくていいのは驚くほどストレスが無い。アイヴィーはつくづく自分が潜入捜査に向いていないと思った。

 起き上がると左右に温もりを感じる。彼女の隣にはタケルと、そして女王の姿があった。

「まさか身バレしても懐かれたままだとは思わなかったわ……」

 アイヴィーは二人を起こさないようにそっとベッドから抜けてシャワーを浴び始めた。

 昨日の戦闘の後、彼女を待っていたのは人工怪人という身分を隠していたことへの糾弾では無く、結果として女王を助けた事への賞賛だった。そもそもモンストピアは怪人であれば誰でも受け入れる場所。様々な事情を抱えているのは怪人として当たり前。そんな包容力の元アイヴィーは怪人たちの輪に迎えられ、その夜は食堂で軽い宴会になった。

 彼女はそこで久しぶりに大量のジャンクフードにありつけることが出来た。怪人という正体がばれてしまったなら我慢する必要は無い。それがモンストピアの人々の総意であり変身で消耗したアイヴィーはその厚意に甘える事にした。彼女の食べっぷりは島の中でも屈指のものであり、その場面を見たコロシアムの演者たちも食堂に加わり、いつの間にか食堂は大食い大会の会場になった。

 結果は三位。一位はもちろん怪人たちのために大量のエネルギーを消費した女王であり、二位は意外な事にタケルだった。どうやら彼は昨日一日で怪人としての刺激を大きく受けたことで怪人態への覚醒が近く、大量のエネルギーを求めていたようだった。

 それからの記憶は薄い。久々の満腹感と、女王を助けた事への人々からの感謝感激雨あられを受けて頭がパンクしそうになったからだ。最初に感謝を伝えてきたチョコミント以外の言葉をアイヴィーは覚えていない。けれど、怪人態になって戦って、人からの純粋な感謝の情を受けたのは初めての経験で、彼女が一人一人を覚えていないのは初めての感情に戸惑い、頭が上気していたのもある。

 モンストピア滞在五日目の朝。アイヴィーの心はモンストピアへ大きく傾いていた。そこには女王のサンプルを回収できないという現実的な諦めと、この理想郷の居心地の良さに心がからめとられた事が混じっていた。

 怪人の姿をさらけ出しても化け物扱いされない。誰かのために働けば賞賛を得られる。彼女はベッドで眠る二人の表情を見つめる。女王は相変わらずの無表情だったが、タケルは良い夢でも見ているのか笑顔で寝息を立てている。彼がフェーズ3以降の怪人に変身できる日は近い。妹の事を決してあきらめたわけではないが、せめて表向きの任務であるタケルの介助だけはやり遂げようとアイヴィーは決意する。

「ん……お姉さん?」

 アイヴィーが作業を始めるとタケルが目を覚ました。寝ぼけ眼をこすりながら彼は彼女の下へとやって来る。

「それ……何やっているの?」

「インジェクターに装填するための変身薬の調合。私の体は部位を変異させるのに一々薬が必要なの。もう一本しか残っていないから作らないとまずいわ」

 ノヴァが彼女にあらかじめ渡したインジェクターは三本。そのうち二本は昨日変身と左手の能力を解放するので使い切ってしまった。アイヴィーが能力を十全に発揮するには十分なバックアップが必要不可欠。昨日は島の外のように消耗戦を行わず早いタイミングで変身を解いたことで首輪には変身薬がインジェクターの五割程残っている。彼女はそれを専用の器具で取り出すと空のインジェクター二本に均等に分ける。

「そこからどうするの?」

「ちょっと、危ないから離れて見なさい。私以外には結構な劇薬なんだから……。

 そうね、後はこれに一定量の怪人の遺伝子情報を注入して完成ね。私の、人工怪人の変身は細胞に特殊な刺激を与えることで行われるの。ウォリアータイプの人たちは腕にライザーを巻いているでしょ。私の場合はそれを首輪と薬品の二つでやっているの」

 遺伝子情報を意図的に書き換えている人工怪人はライザーを用いなければ変身することが出来ない。中には手術との相性が良く、機械の制御無しに変身できる者もいるが、アイヴィーの場合は複数の患部を同時に運用するため肉体のより精密な制御のために薬品まで使用しなければならない。キメラタイプのネックは運用コストが一々高いところにある。

 ただし、安全性を無視して変身するのであれば純度の高い薬品を用いる必要は無い。薬品は細胞に与えるきっかけに過ぎない。キメラタイプの細胞はあらゆる患部の能力を再現できる。変身薬が無くなった場合の緊急処置として理論上、キメラタイプは自分以外の怪人の血液等を取り込むことで無理やり変身する事も可能である。

 この特殊変身を行うとキメラタイプは元々体に内蔵している機能を発揮できないが基本形態に変身できるだけでも大分違う。直近では溶岩男、昨日は量産型人工怪人の中では最も攻撃力のあるミリタントモデルと戦闘し、回復した。再生する度に強度を増すアイヴィーの体質は現在相当な実力を溜めている。残り二日の期間であればそうそう変身する機会なんて無いだろう。しかし、念には念を入れて、せめてインジェクターを初期状態の三本にしたいのが彼女の理想だった。

「へー……じゃあさ、俺の血を使うのはアリ?」

「は?」

「だって怪人の遺伝子なら何でもいいんでしょ? 俺だって守られてばっかりは嫌だし、お姉さんの役に立ちたい!」

「……」

 アイヴィーは怪人の遺伝子を機関のバックアップから融通してもらうつもりだった。タケルの遺伝子情報は介助師としての仕事の中で把握済みだ。血液型も同じで、現在は全身が患部に変化したフェーズ3以降。能力は不明だが、決して相性が悪いわけでは無い。これもノヴァの差し金なのだろうか。

 首輪型ライザーというこの世界でアイヴィー一人しか持たない装備で彼女はこの島で浮いている。昨日の宴会でも何人かの科学者が彼女の肉体を調べたいと迫って来たがそれを丁重に断った。身バレはともかく、遺伝子情報まで細かく知られたら妹どころでは無い。情報漏えいで機関から殺されるだろう。

 そんな科学者たちの興味の的になっている彼女が、バックアップに会いに特定の研究室に入れば噂はあっという間に広がる。自分達から元機関の人間だと身も心もモンストピアに捧げたバカ二人はともかく、長い年月をかけて機関が敵組織に潜入させたバックアップたちを危険な目に遭わせるのも筋違いだ。であれば――

「はぁ……少し痛いわよ」

 アイヴィーは採血キットを取り出してタケルの血を吸い出した。赤黒いそれをインジェクターの中に移し替えると変身薬と混ざり色が新鮮なピンク色に変わる。アイヴィーはそれを慣れた手つきで行い、それを見てタケルは目を輝かせる。

「お姉さんお医者さんでもあるの? かっけえ! 介助師で、ヒーローで、医者で、なんでも出来るんだ!」

「はは……まあ、タケルも勉強すればこうなれる……かもね」

 彼女には少年の純粋な瞳がまぶしすぎた。タケルに対して彼女は今のところ介助師として嘘を貫き通せている。しかし、この島の包容力がなせる技か、この薬品を生成する作業もそうだがアイヴィーは徐々に自分の素が出ていることが心苦しかった。アイヴィーにも見栄はある。対怪人犯罪であれば冷徹な戦士に、介助師であれば頼れる人間として振舞いたかったのだが、かえって血液を提供されている。自分が役割に成り切れていないのと、ノヴァ同様、怪人を搾取する罪悪感に襲われ彼女は目をそむける。

「…………かっけえ」

 もう一つ、目を背けたいものが増えた。

「起きたのね」

「…………おはよう、アイヴィー」

「ん? アイヴィー?」

「なんでもないわ、きっと寝ぼけているのよ」

 あなたも顔を洗っていらっしゃいとアイヴィーは努めて涼しい表情でタケルを誘導したが内心ヒヤヒヤものだった。何でこんなセンシティブなタイミングで本名なんて爆弾を落としてくるのよ! 迫りくる彼女の甘い匂いに胃も頭もむせかえる。これ以上女王が余計な事をしないようにアイヴィーは無視を決め込もうと思った――

「…………ん」

 その瞬間、女王の左腕がアイヴィーへと向けられる。青々とした血液が見えやすい肘の裏、それを差し出す様子は先ほどのタケルを連想させるが……。

「ひょっとして、あなたも……くれるの?」

 アイヴィーの言葉に女王は無表情で頷く。なぜそんな事を聞くのか。欲しいのであればいくらでも上げるのに。女王の表情は血を取られる事なんて大したことじゃないと呆れているようにも見える。

 いや……これって、またとないチャンスなんじゃ……。

 アイヴィーは平静を装いながら女王の腕に採血キットをあてがう。器具は彼女の手の震えに関わらずキッチリと赤黒い血液を回収し――

「もう大丈夫よ」

 それは女王に向けたのか、妹か、それとも自分か。アイヴィーは血液をインジェクターに混ぜつつ、ノヴァが用意した保存容器にも注入し。後者は念入りに封印した。

 髪の毛や皮膚片のように血液も蒸発した苦い体験があったが、少なくとも保存容器の方は完全に密閉されている。仮に成分が気化しても中身は留まる訳だ。インジェクターの方も薬液の色が真っ黒に変化し――あまり注入したい色では無い――変身薬と順調に反応している。こちらもきちんと保存しておけば蒸発するイメージは無いし、最悪蒸発する前に体内に注入すれば成分を、その影響を記録することが出来る。生命を意のままに操る能力を加えるのに抵抗はあるが、これでアイヴィーの本来の任務は完了した。

「…………アイヴィー、遊ぶ」

「ええ、タケルのリハビリの合間で良ければ、思いっきりね」

 それだけ聞くと女王は部屋を飛び出し、どこかへ行ってしまった。振り返りざま、彼女はアイヴィーにニヤリと笑顔を見せた。そこには「まだまだあげられるから、その分遊んでね」と語りかけるような、背筋が凍るほどの重みを感じた。

 手元には三本の容器。そのどれにも命の輝きが宿っている。しかし、黒い色をした二本は心なしかずっしりと、重い。

「どこまで……知っているのよ」

 本来であれば、ターゲットから解放された瞬間というのは大きな声で「バンザイ」と言って喜ぶ所なのだろう。けれどもアイヴィーの中にあるのは保存容器の中身のような黒く澱んだ疑念だった。


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