3-6

「緊急事態発生! 緊急事態発生!」

 会場にアナウンスが響き渡る。舞台と客席の間に隔壁が展開し、すべての非常口が解放される。豪奢な身なりをした観客たちは我先にと目の前の人間を押しのけるように安全を求めて駆け出した。誰も目の前の光景を舞台演出だと思っていない。そこには血が、兵器が、明確な殺意が表明されていた。

「我々の要求は女王ただ一人。この島の金持ちに興味は無い! とっとと失せやがれ!」

 軍人たちは隔壁越しに響く声で自分たちの意思を表明する。なるほど、彼らはいわゆる金持ちに興味が無いらしい。最初の銃声は威嚇のためのもので客席には向けられていない。

 代わりに、彼らは甘い匂いを香らせるフェーズ2の患者たちに銃を突き付けていた。おそらくこの島で働く彼らを人質に取ったのだろう。その中にはアイヴィーたちを島に案内したチョコミントの姿もあった。それぞれの柔らかい部位に凶器を押し付けられ患者たちは恐怖に悲鳴を押し殺している。

「おとなしく女王を引き渡せばコイツらのクズどもを解放してやる。俺達には隔壁なんて意味がねえ。今すぐにでもぶっ壊して島の上客たちを無差別に殺して島の評判を落とす事も出来るし、何だったら上階に乗り込んで片っ端から患者をぶち殺してもいい。こんな風にな――」

 軍人の一人がギャルソン風のフェーズ2の頭部を撃ち抜く。予備動作無し、そこに一切の感情は無い。あっという間の出来事に会場からはさらに悲鳴が巻きあがる。

「とっとと女王を引き渡せ! 島そのものを台無しにされたくなかったら必要なのは命乞いじゃない、女王の身柄だ! 分かったか!」

 再びの銃声。今度はチョコミントの胸に赤い染みが広がり始めた。彼らに良心なんてものは存在しない。怪人も、患者も、自分たちの邪魔だと分かれば誰だって排除する。その明確な意思を行動で示している。

「………………」

 避難は大方進んでいるが、突然の出来事に足がすくみ逃げ遅れた人々もいる。中にはリハビリ中なのか足などが不自由な患者もいてそう言った人たちもその場に取り残されていた。硝煙の香りと共に不気味な静寂が広がる。きらびやかなショーは一瞬にして血みどろな戦場へと変貌してしまった。

「そっちがその気なら……強硬手段を取る用意がある」

 軍人たちは軍服の袖をまくると左腕に腕時計型ライザーを露わにした。

「変異!」

 彼らは一斉に衝撃波を放ち、それは隔壁を大きく震わせた。続いてそれらは内側からの殴打と共に押し広げられ、変貌した彼らの姿を露わにする。

「ウォリアータイプ改、ミリタントモデル!」

 アイヴィーの記憶が正しければそれは機関が開発し、軍事用にとスポンサーに提供していた人工怪人だった。

 怪人犯罪から市民を守るため、主に防御と抑え込みに特化した大柄なウォリアータイプと異なりミリタントモデルは各地への潜入や人間が仕様する武器をそのまま扱えるように体表が迷彩柄に、頭部が甲冑型に変異するにとどまる。本家と比べると小柄な印象を与えるが、基礎的な身体能力は本家を上回っている。隔壁は次々と破壊され、殺戮の化身たちは人質を引きずりながら客席へと侵攻してゆく。

 無差別に発砲し、観客たちを脅かす様子から彼らはおそらく女王が誰なのか理解していないのだろう。

 一方でアイヴィーはモンストピア側の人間がそれ程動じていないのに気がついた。よく見ると悲鳴を上げて避難順路に駆け込んでいるのは裕福そうな人々で、この島に馴染んでいるであろう面々は訓練通りに客席の席の下で落ち着いて頭を抱えている。人質の面々も仲間が殺された瞬間は恐怖していたが、今は引きずられても毅然とした表情で状況を見据えている。

 軍人の中でも聡い者は彼女と同じ違和感を覚えた。コロシアムの中は悲鳴から、次第に静寂へと塗り替えられる。威嚇の発砲音が虚しく空気へ飲まれてゆくとその違和感は次第に軍隊全体に広がっていった。

「お前たち。ご苦労じゃったがそんな姫さんの事も知らない三下相手にこの島を好きにさせることは出来んな」

 クロウは余裕の笑みを浮かべながら彼らの前に立ちふさがった。彼にも軍隊に怯える様子は一切無い。まるで眼中にないと言わんばかりに高らかに宣言する。

「ハッ! 情報が無くともこの島の奴らを脅していけばそんなもんすぐに手に入るだろう! こういうふうにな!」

 軍人が彼に向けて発砲する。対怪人用の特殊弾なのか、それは彼の肩を抉ると弾けて左腕を吹き飛ばした。

「おっと、ついきつい奴を打っちまった。仕事柄怪人を相手にするからいけねえや。これじゃ尋問の前に死んじまうな」

 クロウは大量の血液を噴き出しながらその場に倒れる。その様子を見て軍人はニヤリと下卑た笑みを浮かべた。「丸腰で調子に乗るんじゃねえ!」と踏みつけ、頭を掴むと顔面を思い切り殴りつける。隔壁を破壊する程の威力が襲うたびに、彼の肉体は生々しい音を立てて粉砕される。割れたザクロのような姿に変貌するクロウを見て、アイヴィーにタケル、島外の人間は顔をそむけた。

「………‥……」

 だが……島の代表の一人である彼がやられたと言うのにモンストピア側の人々は悲鳴を上げない。軍人たちがいくら行動を起こしても一切リアクションを取らない。ジッと、何かを期待するようにクロウの事を見つめて、むしろ彼と同じ余裕の表情で軍隊を視界にとらえる。

 流石に居心地が悪くなってきたのか、普段とは勝手の違う状況に彼らはざわつき始める。持っている力は自分達の方が強い。しかも相手はフェーズ2の患者ばかり。自分たちの優位性は装備も合わせて余りあるほど。それなのに、仲間が数人死んだというのになんで落ち着いていられるんだ? 今度は島の人々の冷静な態度が場を支配し始める。静寂の中、取り残されるように彼らの足は止まった。

「その程度で足が止まるから三下だって言っておる」

「‼」

 軍人は目を疑った。ありえない、コイツの顔はさっき血みどろに壊したはずでは? しかし、そこには涼しい表情のクロウの顔があった。

 軍人は反射的に特殊弾でクロウの腹部を打ち抜いた。ボウリングの球が貫通したような大きな穴が開き、彼はよろめく――

「……ッ⁉ お前は、なんなんだ……!」

 クロウの腹部は再生を始めていた。いや、厳密に表現するならか。飛び散った肉片や血液が元の場所へ集合してゆき、彼の肉体へと再構成される。制服にはぽっかり穴が空いているが、そこには健康な傷一つない彼の腹がある。

「何って、ここはモンストピア、怪人たちの理想郷じゃぞ。怪人に決まっている」

 彼の下へ左腕が飛び込み肩口に癒着する。まるで映像を巻き戻すような彼の異様な回復を見て軍隊は度肝を抜かれた。

「おいおい……お前らどの田舎国家の工作員じゃよ。ワシ程度に驚いているから状況は詰んだぞ」

 ひい、と短い悲鳴を上げて彼らの一人が倒れる。そこには剣人イクスの怪人態があった。彼は刃と化した右腕で軍人の腕を切り裂き人質を一人解放したのだ。

「ふんっ!」

 続いて斬撃を飛ばす能力を使い次々と人質の拘束を解いてゆく。曲芸さながらの精密な動きは当然軍隊にも向き、見えない刃が彼らを襲う。

「落ち着け! 人質は後でいくらでも手に入る! 怪人本体の斬撃以外は俺たちの体を通さない! 奴に構わず突入を続行するんだ!」

 イクスの刃から逃れるように一団はコロシアムの出口に向かって進み始める。軍靴の音は勇ましく会場を唯らしてゆくが――

「させるか!」

「お前たちはここで通行止めだ!」

「スクラムを組め!」

 彼らの前に先ほどラグビーを見せたウォリアータイプの面々が立ちふさがる。いや、彼らだけでは無い。椅子の下、先ほどまで状況を冷静に見て雌伏の時を過ごしていた人々の中からも起き上がってウォリアータイプに変身する。軍隊はいつの間にか取り囲まれ、次々に関節を抑えられては自慢の怪力を封じられる。

「地下通路だなんて分かりやすい侵入口に乗った時点で実力なんてたかが知れている。お前たちがいくら戦争のプロだろうとな、怪人を相手にするなら気をつけろよ。ここは怪人国家、怪人に関わる事であればワシらが何枚も上手じゃ!」

 機敏にスクラムから逃れた軍人たちの前にも続々とコロシアムの演者たちが立ちふさがる。とりわけ元機関の工作員である怪人闘士の二人の活躍は凄まじい。一人で複数に相手に圧倒し、次々と地に伏せてゆく。

 もはや軍隊を怖れる者はいない。コロシアムの中から、安全地帯の向こう側からも怪人たちを応援する声で溢れている。アイヴィーはその中にタケルの顔を見た。少年もまた本当の英雄たちに向けて声援を送っている。なるほど、彼らが落ち着いている理由が分かる。モンストピアは何が起きても怪人の事を最優先に作られている。その用意が真に備えられているのだ。必ず助けが来ると分かれば怯える必要も無い、戦闘でも興業の時と同じように全力で同胞を応援できる。ここの環境は怪人のためのあらゆるものを提供する。

「ふ……ふざけるなぁぁぁぁあああああああ‼」

 指揮官と思しき軍人が雄叫びを上げる。ライザーのダイヤルを捻るとウォリアータイプ同様に体躯を膨張させスクラムを振り払う。作戦を任された者としてのプライドが彼を機関車のように突き動かし、モンストピアの怪人たちを次々に薙ぎ払う。ミリタントモデルに本来備わっていない膨張機能。知識を持つがゆえにモンストピアの怪人たちはたじろぎ、対応が遅れる。暴力の直線は偶然にも彼らのターゲットである女王へ向けて突入を始めて――

「………………‼」

「姫さん!」

「お姫様!」

 彼女の頭部の何倍もの大きさの拳が振り下ろされる。これにはさすがのモンストピアの怪人たちも悲鳴を上げた。そしてその声を聴いて指揮官は満足げな笑みを浮かべる。この一撃でターゲットが手に入る! 左腕の拳圧が彼女の髪を揺らし、次に衝撃が走る。

「……ふざけるな、は、こっちのセリフよ……」

「……お前は、一体⁉」

 指揮官の拳は少女の頭部では無く、硬質な物体を叩いていた。それは――変異を初めたアイヴィーの右腕である。

「変異」

 衝撃波と共に彼女の姿が黒く染まる。黄金の巻角に黄色の虹彩、水平に拡張した瞳に黒い体躯、左腕だけ白く染まったキメラタイプ・ゴートの体躯。赤い首輪からインジェクターを取り外すと彼女は相手の股間に向けて強烈な回し蹴りを叩き込んだ。

「⁉」

「この子は……私の獲物だ!」

 どれだけ肉体を変異させても原始的な弱点は共通している。指揮官は内股になりつつ体を後ろへ揺らした。

 その隙をアイヴィーは逃さない。二本目のインジェクターを取り出すと投薬し、さらなる機能を引き出す。左手が泡立ち次の瞬間透明なクリスタル状に変異する。爪がナイフの如く鋭く伸び、結晶の一撃がライザーごと相手の左腕を切り落とす。

「バカなっ……⁉」

 怪人としての機関部を失い、人間の姿に戻りながら彼は叫ぶ。体は萎み、彼の驚愕も薄くなる甘い香り同様に掻き消えて行く。そんな彼の反応に対してもアイヴィーは「自分のセリフだ」と思った。

 女王が倒れてくれれば今度こそどさくさに紛れて彼女のサンプルを手に入れられる。漁夫の利を得るつもりだったのに……しかも変異まで……。彼女は気づいたら駆け出していた自分に猛烈に腹を立てていた。

「……」

 彼女は振り向くと、水平の瞳で女王を見つめる。妹の顔を持つ少女は一点の曇りも無く無傷だった。当然だ、自分が全てのダメージを受け止めたのだから。アイヴィーはヒビの入った籠手を見つめる。右手を動かすたびに走る痛み、それは彼女の後悔の証であり――

「…………ありがとう」

 女王は優しくアイヴィーの右手をさすった。そこから感じるのは女王の感謝と優しさと、アイヴィー自身の安堵だった。

 機関の一構成員として、ターゲットに非情になれないのは失格だ。しかし、アイヴィーは他人の空似であれ妹のような存在が傷つけられる事に耐えられなかった。

 女王はその小さな手でアイヴィーの異形の右手を何度も、丁寧にさする。アイヴィーはかすかに走る痛みのため振りほどこうと思った。この程度のダメージ、インジェクターを使えばすぐに再生する。こそばゆい愛情はありがたいが、今は自分がしでかした後悔を整理するために一刻も早く無傷になりたかったのだ。

「…………!」

 籠手越しに女王はアイヴィーの打手をグイと押した。その瞬間彼女は女王とのファーストコンタクトを思い出した。

「⁉」

 女王の小さな両手はアイヴィー同様に黒く染まり、彼女の手の中へ溶け込んでいる。そして慈愛の表情と共に引き抜かれると籠手は無傷の状態に回復していた。

「…………みんな」

 女王は傷ついた怪人一人一人の下へ歩んでゆき、両手を差し出してゆく。彼女の両手は傷口に溶けると黒く染まりその肉体を回復させていった。会場は滅茶苦茶に壊されてしまったが、誰もが激しい戦闘のあとだと言うのに無傷で立ち上がる。彼そして彼らは一様に女王に感謝した。この場を支配しているのは武力でも恐怖でもない。彼女の献身と慈愛のあたたかな感情だった。

 そして――

「なっ……⁉」

 女王の手がチョコミントの胸部に入り込む。すでに大量出血し、取り返しのつかない死の匂いを放っていた彼の血色はみるみる回復し、何事も無かったように目を覚ます。

 彼だけでは無い。頭部を撃ち抜かれた患者も、初めに晒しあげられた怪人の全身の穴も、間違いない――女王は相手が怪人病を患っている存在であれば死んだはずの人間すら蘇生させている。

 アイヴィーは自分の胸に手を当てる。自身の検査結果が何も無いのはおそらく、女王が自分の体の傷跡を全くの善意で治したからだ。そしてあれだけの能力を惜しみなく他人に振るうのであれば彼女が女王と慕われるのも理解できる。怪人病は人間の肉体に由来する能力だ。アイヴィーとてインジェクターを用いれば擬似的に肉体を超再生できるが、それは人間の一生に限りある細胞分裂の回数を前借りしているようなもの。無茶に戦えば寿命が縮まる。

 死すら引き戻せるほどのエネルギーを相手に分け与える。一体それはどれほどの行為であろうか。アイヴィーは変身を解いて、改めて周囲を見渡した。そこにあるのは安堵。島の外では見ることの出来なかった、怪人が心から誰かを慕い、尊敬し、安心できる穏やかな空間。右手の甲に残る熱、そこには裂傷と細かな手術痕が取り払われた白魚のような自分の手がある。

 これは……勝てないわ……。アイヴィーは妹のためなら女王と刺し違えてもサンプルを手に入れるつもりだった。しかし、女王と彼女の側近であるクロウの能力は命の概念を超越しているし、何よりも自分が女王の献身に対し尊敬の感情を抱いてしまった時点で敗北したと感じた。

 圧倒的な理想と、それを達成するだけの力。『いつか怪人と人間が手を取り合えたらいいのにね』。人工怪人として引き返せない程人を傷つけてきた自分と怪人のために自分の命を分け与えられる女王とではスケールが違う。次々と芽吹く甘い香りの中でアイヴィーはジッと女王を見つめていた。多くの同胞に囲まれ、愛情と献身、尊敬の中、妹の顔を持つ小さな君主の表情は今までに見たことが無いほどの満開の笑みだった。


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