3-2
フェーズアップ方の最終検査のためアイヴィーは一度タケルと別れる事になった。タケルは「また検査なんてつまらない」と駄々をこねたが、アイヴィーはこの瞬間を長く望んでいた。彼女には一刻も早くやらなければならないことがあったのだ。
頭の中に暗記した地図と機関が渡した情報を総合し、新たなロードマップを構築する。アイヴィーは機関が自分のために用意したバックアップの下へ急いだ。
モンストピアの施設の中には下っ端の関係者としてすでに何人か機関の息がかかった職員が働いている。彼らは定期的にモンストピアの情報を機関に流しているらしく、またある程度この場所の設備を機関のために利用することが出来る。
アイヴィーはぜひともモンストピアの設備を利用しなければならなかった。女王に接触し、体内をいじくられ、手術痕を消されたのである。ノヴァの方針で潔癖なまでに肉体を調整された彼女にとって機関以外の組織に肉体をいじくられるのは生理的嫌悪が走るものである。彼女はバックアップの部屋に入るや、タケルや医者の前で堪えていたそれをはきだし、左腕を掻きむしる。バックアップとして働く職員は彼女の事を知っていたものの、その激しい剣幕に気おされたが、仕事はキッチリとこなした。両者はお互いにアイヴィーと女王の接触で何が起きたのか知りたくて仕方が無かったのである。
「簡易検査の結果なのですが……」
「……はい」
職員のカルテを持つ手が震える。その様子にアイヴィーは思わず左腕を掴んだ。診察室は重病の告知前のような重苦しい雰囲気に包まれている。どんな結果だろうとそれは冗談では済まされない。アイヴィーの肉体は彼女の、機関の計画の要なのだ。そんな彼女に何かあれば、ブロッサムの解放を含め様々なことが頓挫してしまう。
「……落ち着いて聞いて下さい」
アイヴィーはゴクリと唾を飲む。興奮のあまり、喉から山羊の鳴き声が漏れそうになったがこれを堪える。今までだって人間の基準で言えば腕がもげたり、腹に穴が空いたりとヤバい目に遭ってきた。体を掻きまわされることだってこの後だってあるかもしれない。だから落ち着けと彼女はうっ血するまで左腕を握る。
「検査結果は……」
「……(ゴクリ)」
「何もありませんでした」
アイヴィーは椅子から転げ落ちそうになった。
「は?」
「いや、これを見て下さい。本当に何も変わっていないんです」
彼女は職員から検査結果の書類を受け取る。バイタルデータも、各種薬品の反応も、すべてが正常値。体内に異物の存在は何も示されていない。なるほどこれは何も起きていないと判断せざるを得ない。
「これ以上の検査になると本格的な設備で行う必要がありますが……どうします?」
職員は彼女の納得がいくように選択肢を提示したが、その顔はこれ以上の検査は意味がない、そもそもそんな接触が本当にあったのかとアイヴィーの事を疑う目だった。
「いえ、これ以上の検査はクライアントと合流するのに間に合わなくなるのでいいです。でも……何も反応が無いのだとしたら、胸部の手術痕が消えたのはなぜ……」
「気にしすぎなんじゃないですか? ノイン捜査員はキメラタイプとしてもう一年戦われて来たのでしょう。度重なる変異の影響で体表なんて気づかぬうちに変質してもおかしくは無いですよ。現に、手術直後のデータと比べると人間態はかなり回復しているように見えますが」
よく言えばおおらか、悪く言えば雑と言うべきか。そんなんだから下っ端なんだよ、とアイヴィーは毒づきたかったがそれを喉元ギリギリで堪える。確かに職員のいう事も一理ある。モンストピアまでの移動時間は久々に変身せず、体をかなり休ませることが出来ている。それによって超回復がなされたと言われても納得できる。
しかし、自分の裸を真っ先に見ているのは自分である。モンストピアに到着し、女王に遭うまでは確かに、手術痕が存在していたはずだ。この眼で見ている。間違いない。
だがそれを証明する方法は無い。検査結果が「何も無い」と語る以上どうする事も出来ないのだ。この分だと精密検査を受けるだけ恥をかくだろう。怪人態の変異に影響がないのであれば任務は十全に続行することが出来る。
もやもやした気持ちを抱えながらアイヴィーは部屋を出た。納得は出来ないが、結果は受け入れるしかない。十歩も歩けば切り替えることが出来る。彼女は検査結果を頭の隅へ追いやり、すぐさま介助師ノインとしての表情を作り直した。
「あ、お姉さんいたいた!」
タケルが大急ぎでアイヴィーに駆け寄る。子供一人が駆けまわっても何の邪魔にもならない相変わらずバカでかい通路だなと思いつつ、彼女は少年を迎えた。
「どうして廊下に? 部屋で待っているんじゃなかったの?」
検査終了予定時間までまだ十分ある。タケルと合流できたのは悪くないと思ったが……。
「検査ならすぐに終わっちゃったよ。なんか俺のカラダ手術と相性がいいらしくってお医者さんの予想以上に簡単に検査が終わったみたい。待っているのも飽きちゃったから出てきちゃった」
「駄目じゃない。一人で勝手に動いたら……ここがどれだけ広いのか分かる? 下手したら大捜索レベルの迷子よ。捜せないわ」
アイヴィーは諭すように言ったがこれは嘘だ。タケルの角から発せられる青い果物のようなほのかに甘い匂いを彼女はきちんと識別している。施設の位置情報を把握しているアイヴィーであれば一時間の内にタケルを回収できる自信が合った。
「俺だって一人じゃ動かないよ。部屋でお医者さんの話を聞いているのが嫌で、廊下でお姉さんを待っているつもりだったんだ。そしたら……ホラ! あの人達!」
あの人たちが案内してくれたんだ。タケルは目を輝かせながら彼らを指差す。まるで自慢の友達を紹介するように鼻を鳴らす様子は平時であればほほえましいものだったが――
「よう!」
「…………よっ」
「え……」
彼女の前に現れたのは施設の制服を颯爽と着こなす東洋系の青年と彼の手に引かれてゆっくり佇む白いロリータファッションの少女、女王だった。
「ノインちゃん、ようやく会えた。全くこの施設は広くてかなわん。人ひとり探すのにどんだけ時間がかかるのか。姫さんが匂いを辿るなんて言った時はビビったけど、まさか本当に遭えるとは……」
「…………ふんす!」
女王はアイヴィーに向かって真顔で鼻を示す。それが彼女なりのどや顔なのだろうか。アイヴィーは理解に苦しんだ。加えて、もう一つ信じられないことがある。
「あなた……まさか、クロウ?」
「お。初見でワシの事が分かるのは凄いな。何人もいないぞ」
青年からは昨日クロウ少年から嗅ぎ取ったのと同じ匂いがした。加えて、口調に制服、顔だちには少しずつ彼を連想させるものが備わっている。
「これがワシの怪人病。まあ能力が暴走してコントロールしにくいんじゃがどうやら外見年齢をいじくれるらしくってな。また明日には年寄りになったり若くなったり忙しい。いやー、他の患者が羨ましいの」
ガハハと磊落に笑う。このしぐさでアイヴィーは目の前の青年がクロウだと確信した。自分よりも背が低かった彼がいつの間にか見下ろしてくるのは何とも奇妙な感覚だった。怪人態に変身すれば、中には大きく背丈が変わる者もいるが、人間の姿のままタケノコのように成長されればアイヴィーとて驚く。タケルの担当医といい、モンストピアの怪人病は驚きにキリが無いと意識を改めざるを得ない。
「ところで……なんであなた達二人が……」
アイヴィーは努めて平静に言う。ターゲットが自ら自分の前に姿を現す。その理由とは何だろうか。思いつく限り最悪の答えは二人がアイヴィーの正体に気付き、引導を渡しに来たというもの。衆人環視の状況で追及されれば逃げ場は無い。彼女の脳はこの先どうするべきかフル回転で思考を始める。
「それはな……姫さんがノインちゃんを気に入ったらしくってな。滞在期間の間だけでいいから少しの間面倒を見ていてくれないか?」
「…………ないか?」
「はい?」
アイヴィーの声が素で裏返る。クロウの言葉、そしてワンテンポ遅れて届く女王の声に思考回路がショートする。ターゲットの世話を私が? そりゃ相手を常時監視できる、最接近出来る状況は美味しいけど……なぜ?
「いや、別に構わないですけど……でもいいんですか。私達この島は初めてだし、あと数日で帰りますよ」
「いいのいいの。姫さんの面倒は島の誰かが見る事になっているからのう。本当はこの可愛らしい女王陛下をワシの手で独占したいのじゃが……ワシには仕事があるからのう……」
クロウの女王を思う時の鼻の下の伸び具合と、独占欲が仕事に奪われると語った時の青い顔は彼がいかに彼女の事を思っているのかをよく物語っている。しかし最重要機密を島にいるその辺の誰かに任せるとは一体どのような要件なのか。アイヴィーの疑問に答えるようにクロウは制服のポケットから名刺を一枚渡して来た。
「これはご丁寧にどうも」
アイヴィーも反射的に東洋で行われる名刺交換をするべく機関から渡された偽造名刺をクロウに渡した。
「……これは‼」
そこには「モンストピア特別顧問 クロウ・ウラシマ」と書かれており、名刺の下には「モンストピアと外界の折衝なんでも承ります」と宣伝文句が付け加えられている。どうやらクロウはモンストピアと島外における外交官のような存在らしい。
「まあワシはそんなVIPなわけで普段はめちゃんこ忙しいんじゃ。今も時間ギリギリ……どころじゃないわ。完全に遅刻じゃん! ノインちゃん、それに小僧! あとは頼んだぞ!」
腕時計をチラ見するやいなやこちらを一切振り返らずにクロウは猛ダッシュを始める。周囲は彼の行動に慣れているのか、それとも廊下に十分な幅があるせいなのかその奇行を気にしない。むしろ彼に向かって手を振る者が何人かいて――
「…………いってらー……」
女王もまた周囲に合わせるように小さく手を振っている。
「……呑気ね。あなた状況が分かっているの?」
「…………?」
女王は軽く首を傾げる。そのしぐさは愛らしく、無垢な表情も相まって見た者をときめかせるものだったが、アイヴィーに言わせれば緊張感と自覚症状に欠けるカモの顔だった。
「はーっ……運がいいんだか悪いんだか」
ともかく、島を出るまでターゲットと共に行動するお墨付きを得られたようなものである。これからはコソコソと人目を忍んで行動する必要は無い。今日含め、残り六日間でサンプルを回収する、そのハードルはかなり低くなったと見るべきだろう。
「ねえお姉さん。結局その子一緒に付いてくるの?」
「まあ、成り行き上そうなるわね……」
「じゃあさ、一緒にお昼ご飯にしようよ。おれ、先生から色々難しい話を聞かされてわけが分からなくてお腹空いちゃった。一緒に行動するならさ、同じ釜の飯ってやつだよ」
言葉の使い方は間違えているものの、アイヴィーはタケルの提案を悪くないと思った。女王のお世話状況といい、彼女はモンストピアについて全然素人だという事を身に染みて理解している。この手の情報収集は滞在期間の前半に行い、万全の状態でターゲットに接触したかったのだが――手順が若干逆になっただけだ。女王の事はポテトでもつまみながらゆっくり探ればいい。そうと決まれば善は急げ。アイヴィーはタケルの手を取り、食堂へ向かおうとした。
「…………‼」
「え? 何よ」
女王は無言でアイヴィーのジャケットの裾を引く。空いた手にはくしゃくしゃに丸められた紙があり、それもまた彼女の手へ押し付ける。
「え、何よ、これを読めって事?」
「いや、お姉さん、ゴミは捨てよう――」
タケルの言葉が終わらないうちにアイヴィーは器用に片手で紙を広げる。
「何々……赤線だ……施術に当たって患者であるタケル・ホンゴウは十二時間絶食の必要あり。保護者の方においては注意して下さい……ちょっとコレ、どういうことよ!」
ヤベ、と呟き逃げ出そうとするも彼の手は既にアイヴィーに掴まれている。人工怪人として何人もの怪人を粉砕してきた彼女の右手、その握力から逃れられるはずも無く。少年の逃走劇は五十センチのところで止まる。
「先生の話を聞かないと体は治らないわよ!」
「嫌だ嫌だ! 俺のからだ父さんよりも母さんよりもお腹すくし食べるんだもん。ノインお姉さんは人間だから俺の腹ペコが分からないんだ!」
分かるわよ! アイヴィーは出来ることならこのフロア中に響く声で叫びたかった。
キメラタイプとして全身にあらゆる患部を備えるアイヴィーの空腹感は患者のそれよりもはるかに酷いものだ。飛行機のファーストクラスの食事サービス。豪華客船のビュッフェスタイルで選び放題の高級料理、モンストピアの食堂のジャンキーな見た目に反し完璧な栄養バランスで成立した料理。食の誘惑は任務が始まってから幾度となく受けている。
しかし、ノイン・アイゼンバーグとして行動している以上患者と同じ量の食事を摂る訳にはいかない。彼女は今までタケルが満腹になる食事を摂る傍ら陰で栄養剤を注入して空腹をごまかしていた。しかし、液体で腹が膨れる訳は無く、アイヴィーの口はジャンクフードに飢えているのだ。
「ああ……分かったわよ。私も絶食に付き合うから……。だから逃げるのは止しなさい。今飛び出していったらあなた食堂に行きかねないでしょ。こういうのはね、お水だけは無限に飲めるの。上手く空腹をごまかして明日を迎えましょう」
「え⁉ でも……お姉さん大丈夫なの……? お腹がすくとめちゃくちゃ苦しいよ! そんな、いいよ、俺逃げないし、だからお姉さんだけでも食べてよ」
どうやらタケルはアイヴィーの事を人間として心配しているようだ。なんだかんだで根が素直な少年の気遣いに彼女の表情に思わず笑みがこぼれる。
どうせ満足に食事が摂れないのであればいっそ食べない方が良い。むしろ、タケルと違って自分はいつでも栄養剤を打てるのだ。大丈夫、自分が倒れることは無い。だったら、介助師としては彼に付き合うのもアリだろう。
「そうと決まればどうしようかしらね……。体を動かしたら余計にお腹がすくし……食べ物の匂いがするフロアも、外の空気も毒かもしれない」
三人は窓の外に広がる景色を見下ろす。病院施設の周辺には温暖な気候を生かした野菜畑や果樹園が広がっている。情報によると一部の果樹は患者にも開放されていて好きなだけ食べる事も出来るとか。平時では無視できるレジャー施設の情報も現在のアイヴィーとタケルにとっては魅力的過ぎるものだ。
「お姉さん……DVDを見よう。食べるなって言われると食べたくなっちゃうもん。とにかく食べ物を見ると駄目だよ。俺、持ってきたDVDの食べ物が出ない回を覚えている。ギリギリまでDVDを観て、目がチカチカしてきた頃に寝れば明日になっているかもしれない」
正直同じ内容のDVDを何度も見たくは無かったが、タケルの提案は悪くないものだった。確かに、彼と一緒に空腹をしのぐと言うのであれば落ち着いてジッとしているのが一番いい。子供をテレビ漬けにするのは教育上どうなのだろうと疑問が浮かんだが、付き合うと言った手前アイヴィーはとことんやるつもりだ。彼女は肯定の意を彼の手を優しく握り返すことで示した。
「……あなたもそれでいい?」
「…………」
女王は無言でアイヴィーの手を握った。彼女は言葉で意思を表明するのを好まないのか、いまいち判断に困ったが、面倒を見るように頼まれたのだから仕方がない。アイヴィーは二人の手を引いて部屋に戻る事にした。
これじゃあ介助師じゃ無くて家政婦かなにかじゃない……。任務中だと言うのにあまりに緊張感の無い現状に、アイヴィーは嘆くしか無かった。
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