第三章 当たり前の日常

3-1

 二日目の朝。アイヴィーとタケルは担当医と共にこれからの治療計画について施設の一角で話し合っていた。

「昨日の検査からタケル君の身体状況はフェーズ3になりかけているフェーズ2であると判断しました。タケル君の細胞と怪人病の患部は相性がいいので、この分ならフェーズアップ法を用いれば患部は自然とタケル君に適合して外見を健常な人間と同じように調整出来ますよ」

「ねえ先生。それって結局俺治るの? お母さんは俺の角を折っちゃうとか、せーけーって言っていたけどそれをやるって事?」

「いや、怪人病を整形手術で治療するなんて前時代的で乱暴なことはしないよ。

 そうだね……簡単に言えばタケル君の怪人病は病院の力でヒーローの力に進化させることが出来るんだ。その赤い角はタケル君の力になることが出来る。君が病気と一緒に助け合えれば角は消せるし、また出せるようにもなれるんだ」

「すっごい! 俺、ヒーローになれるんだ! じゃあさじゃあさ、ウォリアータイプみたいに手術を受ければみんなを守れるヒーローになれる?」

「今回は投薬治療だけど、そうだね。タケル君が大人になってヒーローになりたいって思い続ければ、その時改めてウォリアータイプ手術を受ければその仕事に就けられるだろうし、もしかしたらもっと凄い力を手に入れられるかも」

 すっげー! とタケルは無邪気に興奮する。どうやら治療に対しての恐怖や反抗はなさそうだった。彼が素直に治療を受けると言うのであればアイヴィーが手を焼くことは無い。介助師としての仕事よりも本業に比重を置けそうなのは喜ばしいことだ。しかし――

「あの……フェーズアップ法って一体何ですか? 介助師の勉強では聞かなかった単語なんですけど」

 もしかしたらノヴァなら知っているかもしれないが、それは怪人病に関してはその辺の医師以上に知識を叩きこまれたアイヴィーですら知らない治療法だった。モンストピアの底力は昨日身をもって知ったものの、タケルの保護者としては得体のしれない治療法を受けさせるわけにはいかない。紅白にダブる、二つの幼い影のためにも彼女は担当医に説明を求めた。

「そうですね……単純に言ってしまえば投薬などによって怪人病の進行を早める方法です。

 ご存知の通り患部を隠す際は特徴的な部位を切除するのが一般的な手術ですが、例えば角を切除する場合血管や神経系が発達してしまって、部位を取り除いたことで視覚や触覚に異常が発生するケースがあります。

 患部の外見が昆虫や無機物の場合は人間と異なる独特の内部構造を持つ例は枚挙に暇がありません。御覧の通り、ほら」

 医師は左手を高く掲げる。白衣の袖から覗くのは人間の手のひらでは無く、レトロなロボットのおもちゃのようなマジックハンドになっていた。袖を引き、全貌を露わにする。手のつけ根と肘以外にも二つ関節が存在し、四つの関節をフル稼働させるとあらゆる方向に動かせる独特の動きを見せる。タケルはその様子を目を輝かせながら見て「すげえ!」と喜んだ。対するアイヴィーはそこからラムネ菓子の薄甘い匂いを嗅ぎ取り、患者が攻撃以外で患部をさらけ出し、しかも人間の部位以上に巧みに使う様子に呆気に取られていた。

「表面は金属反応がしますし、レントゲン撮影すれば腕中に細かな回路が走っていてどうしようもありません。フェーズ2の部分的な患部でさえ研究するだけで大論文が書けます。複雑な構造に無理やりメスを入れるのは乱暴です。ゆえに――」

「患者の怪人病を人為的にフェーズ3以降に引き上げて、怪人となった患者自身に外見を操作させる」

 その通りです。医師はアイヴィーの答えに満足そうに答えるとマジックハンドでマグカップを器用に掴みコーヒーで一服する。

「そんなことが……出来るんですか?」

「私のように変異部位が一カ所に強く偏っている場合は無理ですが。タケル君のように患部が全身に広がっている場合可能性は大きいです。今までの治療カルテと、昨日の検診のデータを総合するに施術の成功確率は九十五パーセント。危険は無いと思われます」

「ねえ先生、お姉ちゃん、さっきから難しい話をしているけど、結局俺は治るの?」

「ああ、心配しなくていいよ。タケル君が先生とノインさんの話をきちんと聞けば明後日にはヒーロー見習いくらいにはなれるんじゃないかな」

「え? たった二日で治るんですか?」

「おっしゃるのも、驚かれるのも分かります。これが怪人病の特異な所で、患部と化した部位は恐ろしいまでの生命力を発揮します。細胞分裂の速度、分化した細胞の形成、どれも既存の生命体を超える速度で行われます。切除手術によって患部を根治できないのはそのためで、体内に細胞片が少しでも残ると長くても一週間、早ければ数秒で再生してしまいます」

 アイヴィーの左手がかゆみにうずく。確かに怪人態の再生能力は激しい戦闘の中でも負傷が気にならない凄まじいスピードを誇る。患部の頑強さには彼女にも心当たりがあった。

「逆にその性質を応用すれば、手法はウォリアータイプの適合手術と似ていますね。フェーズ1から2の患者をフェーズ3に引き上げる。もっともあちらは常時ライザーを着用して細胞状態をコントロールしなければいけないのに対して、モンストピアの場合適性のある患者さんにだけ施術を行うのでかなり健全です」

 アイヴィーは今度は首回りを重く感じ始める。ウォリアータイプは増加する怪人犯罪のために人間・患者問わずに無理やり人工怪人フェーズ3に引き上げる手術だ。これはアイヴィーのキメラタイプと同じで、結局基となる肉体に異物・患部を取り込むことは大きな負担である。アイヴィーを含む彼らが常時腕にライザーを巻くのは細胞の暴走を防いで、死ぬのを食い止めるためだ。

 首輪型ライザーは今のところアイヴィーだけで彼女は洗礼を受けたことは無いが、人間態の警官がライザーを巻いている場合患者、そして人間双方から良い顔をされない。患者からは同じ怪人なのに怪人と戦う偽物として、人間からは戦力として頼られつつもやはり怪人という厄介な存在として陰で疎まれる。アイヴィーは何度もウォリアータイプの人々が「奴隷の鎖を巻いている」と揶揄されるのを見てきた。そして、同じものが彼女の首にも巻かれている。

「確かに……それは健全ですね」

 医者は研究者肌なのか、この施術についてのうんちくをさらにまくしたて始める。タケルは内容が分からずげんなりとした表情だ。アイヴィーも話半分に聞き流し、頭の片隅で別な事を考え始めている。

 ブロッサムもここで施術を受けていれば助かったのかしら。音も無くフェーズ2に覚醒し、肉体を白く浸食されてしまった妹。外見上の進行具合はちょうどタケルと同じ具合では無かっただろうか。患部が全身に散らばり怪人へ一歩手前の状態――

「……」

 アイヴィーはタケルの右角を見つめる。仮に彼が怪人になるとしたら、自分の怪人態のように立派な二本角を晒す事になるのだろうか。

「……? お姉さんどうしたの?」

 タケルの瞳が彼女を捕える。まだ十一歳の純真な瞳。かつての彼女たち同様、周囲に守られ外の悪意を知らない少年。そんな彼に対し介助師ノインとしてのアイヴィーが出来る事は――

「タケル、私はこの施術を受けるのが一番いいと思うわ。過去のデータからも危険性が限りなく低いことが分かるし。ご両親が角を隠したいのとあなたがヒーローになりたいって気持ちを両立できる。ベストな選択肢だと思う」

 タケルはアイヴィーと医者の顔を交互に見つめる。二人とも彼に対し柔らかな微笑みをたたえていた。どんな選択をしてもそれを受け入れる。最後の意思決定は彼の手にゆだねる、優しさと尊重、責任を含む頼れる笑みにタケルは飛び込む。

「俺、その手術受ける!」

 タケルが未成年であることもありアイヴィーは手術の同意書にサインし、彼の両親から渡された委任状を医者に手渡す。アイヴィーはこの仕事の中で初めて人助けをした気分になれた。少なくとも、かつての妹のような存在を手助けできる体験はこれが初めてだった。

 医者の左手が器用に二枚の用紙を受け取る。その瞬間彼女は自分が本当に怪人病の介助師としての務めを果たした奇妙な、しかし爽やかな達成感を覚えた。戦闘以外でも他人を救える。この任務が終わったら、それこそ妹と一緒にそちらの道を進んでも良い。アイヴィーは将来のイメージが開けたように思えた。


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