2-3
眠い……」
「確かに……これは」
角がぶつからないように、またぶつけないように気を付けながらアイヴィーはタケルを背負う。時刻は午後十一時。空には満天の星が煌めき、島には夜闇が広がる時間帯である。しかし彼女を含む乗客たちは子供が寝入る時間であるにも関わらず船を出ている。午前の間違いじゃないかとパンフレットを見るも、モンストピアへの上陸時間は午後の十一時と船は正確に到着している。さすがは豪華客船と言うべきか、海路という不安定な経路も財力があれば到着を確定させることが出来るようだ。
しかしこの暗さは厄介だった。ある程度視覚が強化されているとは言えベースである山羊は昼行性、夜目はそれほど効かない。万一のために逃走経路などを確保しておきたかったのだが、上陸した砂浜から見える景色は熱帯植物が繁茂するジャングルでありさながら無人島と言った状況だ。モンストピアは磁気などの関係で衛星からは写真を撮ることが出来ず、アイヴィーは島の具体的な位置関係を把握していない。いきなりの不利な状況に心が落ち着かない。
その時だった――
「皆さま、どうもお疲れ様です。夜間で辛い方もいらっしゃると思いますがこれも皆様と、この島の安全のためでございます。ここまで来れば当院まですぐですのでもう少々お待ちください!」
砂浜に突然ボーイの身なりをした男性が現れた。彼は船内にいたスタッフでは無い。アイヴィーの鼻は船内の匂いを記録していた。加えて――チョコミントの爽やかな甘い匂い――目の前の彼はどこかに患部を持っている怪人病患者だ。
ボーイの登場に乗客の視線が一気に彼へ集まる。時間を見越してあらかじめ睡眠時間を調整した者もいれば、タケルのように寝ぼけ眼で立っている者もいる。そして、当然ながら重症の患者たちは車いすやストレッチャーで患部にエネルギーを奪われてすでに眠りについている。彼らの多くは早く施設に入って休みたいと考えていた。
「手荷物の類は後で我々スタッフが皆様のお部屋へお送りします。まずは皆さまを一刻も早くモンストピアへおつれいたしますので、あらかじめ指定いたしましたグループごとに私達についてきてください」
ボーイの言葉と共にモンストピアのスタッフがさらに増えていた。どうやら対応するグループと同じだけの数のスタッフが現れたようで、そして彼らもまた全員患部を服で隠している患者だった。
第一グループだったアイヴィーはタケルをおぶったまま最初に登場したチョコミントの彼へついてゆく。アイヴィーの他は豪奢な身なりをしたVIPたちで少し居心地が悪かったが気にしている場合では無い。任務のため一刻も早く敵地に潜入したかったし、何より背中のタケルを早く降ろしたかった。彼の角はナイフ程ではないがそれなりの切れ味がある。自分はもちろん、周囲を傷つけないように注意を払うのはかなり神経を使う作業だ。
「ではこちらへ」
チョコミントが指さした先はジャングルの真っただ中だった。涼し気な夜の砂浜から一転して緑の中からはむっとする湿気とガサガサと虫の足音や羽音、木々が揺れる音が混じっている。温室での暮らしに慣れているVIPたちを足踏みさせるのに十分な環境で、誰もがこの中に本当に病院があるのか疑い始める。自分たちは途中散々楽しんだ挙句、その実ここで殺されるのでは? 流石にそれは妄想が飛躍しているが、不潔な順路に我先に入りたくないのは本音だろう。
「……はぁ」
あまり目立ちたくは無かったが結局最初の一歩を踏み出したのはアイヴィーだった。虫や蛇程度、一度人体実験を受けてみればどうでもよくなる。ブーツの踵をザッザッと鳴らしながら足元は次第に土へと変わり――
「……なっ⁉」
さらに数歩歩いたところで硬質な音へ切り替わる。目の前には迷彩柄で偽装された地下通路の入り口があった。
「こちらです」
チョコミントはアイヴィーたちの反応を見るとその顔をみるのが楽しみだったと言わんばかりにニヤリと笑う。しかし驚くのはまだ早かった。彼に連れられて地下へ降りていく中でアイヴィーはこの島が人工島と呼ばれていた事をまざまざと思い出す。
「………………」
島の地下は縦横無尽に鉄道が走っていた。レールの上では忙しなく貨物列車が移動し荷物のやり取りを自動で行っている。外側の原始的な外見とは裏腹に、この島は相当に人間の手が入り込んでいる。
「おおっ!」
「素晴らしいわ!」
人の手が加えられた環境に安堵したのか、今度はVIPたちが我先にとチョコミントの方へ迫っていく。地下に存在するアレコレについて彼に質問したり、周囲の様子を携帯に撮ったりとまるでおもちゃに夢中な子供のように行動を始める。先ほどまでジャングルにビビッていたのは一体何だったのか。アイヴィーは彼らの変貌に呆れたが――
確かに、凄まじいわね。彼らとは対照的にアイヴィーの頭は冷えてきた。この地下空間は彼女にある場所との既視感を覚えさせていた。種々の患部が織りなすむせかえるような甘い匂いと、それを覆うように消毒を中心とした薬品が作り出す異様に清潔な空間、そして人工灯が照らす地下空間。これらは機関の施設の特徴と全く一致していた。そのためか彼女は未知の巨大な施設にはしゃげずに脳内が条件反射で仕事モードに切り替わる。この場所は敵地なのだなと。
「皆さまそれではこちらに」
チョコミントはプラットホームからレールを指差す。すると一行の到着に合わせるようにカプセル状の車両を連結させた列車がやって来た。カプセルにはそれぞれグループ名が書かれており、どうやら滞在者たちはグループごとに車両に乗り込むシステムのようだ。
順番がつかえているのかアイヴィーたち第一グループの後ろから他のグループの滞在者たちがゾロゾロとやって来る。彼らは慣れた動作で階段を降りてゆき、速く車両に乗りたい様子だった。どうやらモンストピアの初心者は第一グループだけらしい。
彼らに押されるようにアイヴィーたちは車両に乗り込んだ。車両内部はちょっとしたバーのような造りになっており、人数分のウェルカムドリンクが用意されていた。気分が落ち着くBGMも流れており全体的に陽気な雰囲気だ。ただ窓の類は一切無く、車両カプセルから外部を覗くことは出来ないようになっている。代わりに壁面はスクリーンのようになっており、自然の風景などを定期的に変化させることで乗客のリラックスを狙っているようだが、秘密主義が徹底されている。
アイヴィーは手近な椅子にタケルを座らせると自身もその隣に座った。他の乗客たちはこの豪華な密室に戸惑っているが地下生活に慣れた彼女にとってこの程度の閉鎖空間はストレスにならなかった。
乗客に合わせてそわそわするフリをしながら彼らとボーイの様子を観察する。このカプセルの内部は過半数が患者だった。アイヴィーのように付き添いの人間を連れた者、また患者自身が裕福なのか彼らの外見はほとんど人間の規格に収まっている。街には部位が変異しきって固定化し、差別と貧困にあえいでいる者たちで溢れていると言うのに全くこの施設はそれとは無縁のようだ。もっとも、タケル少年もこの一週間でそちら側になる予定でアイヴィーは内心複雑だった。
ココに連れて来られればブロッサムの怪人病も治ったのかしら。アイヴィーはドリンクに口を付けた。軽いアルコールが鼻を抜けるも気分が晴れることは無かった。
「第一グループの皆さま、長旅大変お疲れ様でした。到着いたしましたので再び案内をさせていただきます」
ボーイの声と共にスクリーンが割れる。アイヴィーは驚いた。彼女の感覚は未成年とは言えアルコール程度で鈍る者では無い。人工怪人である彼女はその程度簡単に消化してしまう。だからこそ、車両が全く音を立てず、移動した体感も無いままに目的地に到着した事に驚愕せざるを得なかった。これは他の乗客も同様で、初心者である第一グループは恐る恐る外へと足を踏み出す。
「これは……!」
車両を出るとそこには第一グループを乗せていた車両カプセルが一台しかホームになかった。その後ろには複雑に広がる真っ暗な線路が広がっている。アイヴィーの鼻は各線路からそれぞれ匂いの系統が異なるのを嗅ぎ取った。どうやらカプセルは乗客の性質に合わせて別々のホームに送り込む装置のようだ。その巧みな技術力にさすがのアイヴィーも舌を巻く。
これは手強いわね……。ここから先は乗客ごとにボーイが付き宿泊施設へと案内を受けるようだ。アイヴィーたちの相手は最初のボーイで彼に連れられてアイヴィーはズンズン足を進める。タケルをベッドへ寝かしつけたいのもあるし、何より現状ではモンストピアの全容が全く掴めていない。予想以上の技術力を持つ集団の中でうかつに動くのは得策では無い。時間はまだ一週間あるのだ。今日のところはひとまず旅の疲れを癒すのが良いだろうと判断する。
タケルの両親がそれを望んだのか、それともこの施設が一様にこうなのか、案内された部屋は簡素なツインルームだった。ファーストクラス、豪華客船、ハイテクな車両ときて客室がシンプルなのはやや拍子抜けだったが、別にここには贅沢をしに来たわけでは無い。幸い荷物は既に運ばれていたし、冷蔵庫には患者のために高カロリーの食品が詰め込まれ、AV機器も一通り揃っている。タケルが見れば今すぐにでも特撮上映会を始めかねないほど、サービスの質は今までと遜色ない。
取りあえずタケルをベッドに寝かし、これからの予定を立てようと思ったが、部屋の窓からは真っ暗なジャングルが覗くばかりで潜入捜査どころではなさそうだ。ターゲットを攻めるならまずは地理情報からか。アイヴィーはそれだけ頭に入れて寝る事にした。特殊な訓練を受けているとは言え彼女も怪人なのである。患部はカロリーだけでなく十分な睡眠も要求する。無理して起きる必要が無いのであれば次の戦いに備えて休息に努めるのも捜査の一環である。
どんな環境だろうと、負けるものか。アイヴィーは体を横たえあっという間に眠りについた。寝心地は自宅のベッドと比べるまでも無かった。
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