2-2

「お姉さんコッチコッチ! もう島が見えてきたよ!」

 自分よりも一頭小さい少年に袖を引かれながらアイヴィーは外へ出る。遮るものが無い青空、南太平洋の強烈な日差しが甲板に降り注ぎ、碧眼を襲う。せめてサングラスをかけておくべきだった。出来るだけ目を伏せるように移動しつつ、彼女は少年が指さした方向を見た。

「……!」

 見渡す限り海しかない、青い砂漠の中、その島はオアシスのように緑を茂らせている。この外観、間違いない。資料で見たモンストピアだ。アイヴィーは思わず興奮で少年の手を握り返した。

「! お姉さんもする事あるんだ!」

「……タケルは私の事を何だと思っているのよ」

 アイヴィーはあきれ顔でタケル少年を見る。東洋系の黒髪の短髪と太陽光線を跳ね返すように輝く黒い瞳。アイヴィーに「へへへ」と笑い返す様子はわんぱくな印象を与える。しかし、半袖短パンから伸びる肢体には赤い斑点が広がり、それは全身を侵している。とりわけ額の右側にはナイフのように尖った角が伸びている。タケルは典型的なフェーズ2の患者のようだ。

「あなたこんな日差しの下で肌痛くないの? 日焼け止めを塗ってあげるから一旦戻りましょうよ……」

「全然平気だって。お母さんみたいな事言うんだから。コレは別に日焼けしないし、俺もう船の中は飽きちゃったよ」

 それにはアイヴィーも同意だった。しかし人工怪人とは言え基がコーカソイドである彼女は日差しを好まなかった。それどころか患部の暴走を気にして今も長袖を纏っている。気分転換をしたいのは山々だったが、どちらかといえば空調の効いた室内にいたいのが本音だった。

「子供は元気ね……」

「別にノインさんは部屋にいていいよ。俺、この二日間で船の中の地図は作ったし、一人であそべるぜ」

 彼女を気遣うと言うよりも自分の願望を押し通したいと言わんばかりにタケルはその場で足踏みを始める。どうやら元気が有り余っているようだ。

「そうも言っていられないわ。私はあなたのとしてきちんと見届ける義務があるんですから」

 数分太陽に照らされただけで汗だくになりながらアイヴィーは言う。

 モンストピアに潜入するにあたって機関はアイヴィーを怪人病介助師ノイン・アイゼンバーグとして患者に付き添わせる事にした。アイヴィー自身を患者として送り込むには彼女の肉体は機密事項だらけだし、では研究者として研究に行かせるには知識が足りない。介助師と言うのは専門家から見れば知識をかじった程度のアイヴィーにとって妥当な身分と言える。

 そして表向きのパートナー、アイヴィーが介助を担当するのは日系人の少年、タケル・ホンゴウだ。彼の両親は機関のパトロンで、自分の子供に発症した怪人病を是が非でも治療したいとのことだった。おそらく機関でも何らかの処置が出来るはずだったのだろうが、これを幸いとノヴァはタケルの両親にモンストピアの存在を伝え、アイヴィーをあてがったのであろう。目的のために子供を計画にねじ込むのに嫌悪したが、潜入しやすくなったのは確かである。彼女は妹のため計画の非道さに目をつぶる事にした。

 本国から南太平洋の孤島・モンストピアまでの経路は中継地点の島まで飛行機で十一時間、そこから船で三日とかなりの長距離だった。これだけ距離があれば首輪の監視機能も範囲外になる。現地ではバックアップが用意されているので気を引き締めなければならないが、途中の船はVIPのための豪華客船仕様で任務前は一年ぶりに羽根を伸ばせるとアイヴィーは期待していた。

「えー。別に日焼けしても、痛まないし。日焼け止め塗るくらいなら部屋でDVD見ている方がマシだよ~」

「それだけは勘弁してちょうだい……」

 タケルは変身ヒーロー物が大好きな少年だった。飛行機の中ではジッとしているのがつまらないという理由で彼が寝付くまで延々と映像を見せられアイヴィーはファーストクラスのサービスを受ける余裕も無く残りの時間は寝て過ごしてしまった。船に乗ってからは運が悪い事に二日間嵐の中を航行する羽目になり、幸い財力の限りをもって作られた豪華客船はびくともせず順調に航路を進んだが、その代わりタケル少年主催のビデオタイムに再び付き合う事になってしまったのだった。

 両親が退屈しないように持たせたのか、それとも本人の趣味なのか、持ってきたDVDはモンストピアに滞在する七日間と帰路の四日をもってしても消化できるのかかなり怪しい。もっとましな物を用意させなかったのかとアイヴィーは呆れたが、彼女は弟を持ったことが無いので口を挟むのを止めた。その代わりいつの間にかテーマソングを歌えるようになってしまった事については任務が終わったら彼の両親にやんわりと抗議しようと決意している。

「怪人病はデリケートなのよ。ちょっとしたきっかけでどんな変化をもたらすか分からないし、日焼け止め程度で予防できるならそれに越したことは無いわ。プールに入っても落ちない奴を持ってきたし、抑制剤は打たないで上げるからほら、一旦部屋に戻る」

 えー、と反抗するも、アイヴィーの表情が本気なのを読み取ってタケルは日差しから船室に足を踏み入れた。やんちゃではあるが、どうやら根は素直らしい。

「抑制剤打たなくていいの⁉」

「本当は打っておくのが良いんだけど……ご両親が用意した成分の配合はタケルの年齢じゃ逆に体に毒よ」

「良かったー。俺、あれを打たれると気分がどんよりして気持ち悪くなるんだよね。お姉さんは優しいね」

「まあ……ね」

 過保護と言えば聞こえはいいが、発症段階に合わせずに患者にたいして過剰に抑制剤を与えるケースは多々ある。確かに患部の拡大を抑えられるが、患部だって肉体の一部である事を忘れてはならない。これが体表では無く例えば内臓が怪人病に侵されていたのだとしたら最悪の場合死に至るのだ。

 船内には怪人病をケアするための病院顔負けの設備が搭載されている。手持ちの薬品で、インジェクターを扱う要領でタケル専用の抑制剤を調合してもよいのだがアイヴィーとしては自分よりも子供である彼を薬で縛りたくなかった。患者はともかく、覚醒した怪人にとって生理現象である変異を強制的に止められるのは相当に気分が悪い。それにいまの彼女の身分はあくまで介助師。過ぎた真似はしないのがベストである。

「お姉さんって準備が良いね。ひょっとしてお姉さんも遊びたかった?」

 少年の言葉が胸に刺さる。実を言えば現場までの航路に豪華客船が入っていることから少しは羽目を外したいと水着を用意し、タケルの介助の合間に日焼けや遊泳を楽しもうとしていた。患者だらけの船内ならいっそ素肌を晒しても目立たないと思っていたのである。

 しかし、タケルはアイヴィーの予想以上に元気だった。体表が変質しているだけで中身は普通の子供たちとは変わらない十一歳の男の子である。患者と言えば妹やスラムの連中のように重体なのが当たり前、一日の多くを寝たきりで過ごすのかと思っていたがそんなことは無かった。外に出られないのを理由にタケルはそれなりに広い船室を駆けまわり、用意されたそこそこ広い客室で特撮ヒーローさながら暴れまわり、アイヴィーはそれを止めるのに始終付き合わなければいけなかった。

「将来の夢はウォリアータイプの人たちみたいにみんなを守るヒーローになる事」タケルはアイヴィーにDVDのパッケージ、そこに描かれた変身ヒーローを指差しながらそう語ったが、アイヴィーに言わせればタケルは立派な小さな怪人で、彼と追いかけっこで遊ぶのは怪人犯罪者と戦うよりも疲れた。今のアイヴィーに羽目を外して何かをする精神的余裕は無い。何かをしようにもタケル少年に引っ張られるのを見るに疲労の色は濃い。

「……まあ、今はタケルのお世話が優先ね」

 客室に戻るとアイヴィーは手際よくタケルを脱がし、全身に日焼け止めを塗って行く。続いて自分の肌にも入念に練り込んでゆく。任務開始までもう数時間しかない。せめて少しくらいは豪華客船を満喫してやる。その念を込めながら彼女は日焼け止めを練り込んでゆく。

「そんなに遊びたいなら俺の事をほうっておけばいいのに。ヒーローは一人でも戦えるんだぜ!」

 アイヴィーのにわか知識だとタケルは戦隊ヒーローよりもバイクに乗って個人で戦うヒーローの方が好きなようだ。もっともアイヴィーにはどちらがどのように違うのか全く分からなかったし、自身が怪人という事もあってどちらかといえば敵怪人に同情しながら視聴していた。ちなみにタケルの血統の祖国は不謹慎と言う理由でどちらのシリーズも放送を止めてしまったらしい。このご時世、さもありなんと言ったところか。

「放ってなんかいけないわよ。これは私のお仕事だし、何よりこんな無駄に豪華な船の中子供一人で歩かせられないわよ。病気の金持ちがみんな良い人だと思ったら痛い目を見るわ。この船の中には確実に危ない連中が混じっているんだから」

 自分とノヴァを含めてね、とは言わなかったが、アイヴィーはタケルと追いかけっこをする中で黒服に身を包んだ明らかにカタギじゃない人々や、タケルを見るなり舌なめずりをした白衣の研究者風の女性など数々の胡散臭い人物を目にしていた。なるほどノヴァが自分を指名した理由が分かる。ある程度戦闘能力が無いと島に到着する前に患部を抜かれるなり最悪バラバラ死体になりかねない。タケルの両親が同行しないのも身の安全のためだろう。

「それにあなたが好きなヒーローだってずっと一人なわけじゃないでしょうに。ベルトを作っている人とかおやっさん?……だったかしら。とにかくお節介は貰っておくことよ。ほら、水着はそこ。私も濡れても良い格好に着替えてくるから。

 ……絶対に覗くんじゃないわよ。好奇心でレディーの体を見てみなさい。キック技以上の物を喰らわしてあげるから。私は患者だからって手加減はしないんだからね」

 アイヴィーの言葉にタケルはキョトンと目を丸くする。いけない、普段怪人と戦っていた時の山羊の目になっていたのかと彼女はバツが悪くなり、急いで視線を移すが――

「やっぱりお姉さんは優しいよ。俺の体に触っても変な目で見て来ないし、手加減しないし。お姉さんといると俺、本当にヒーローになれる気がする」

 かけられた言葉は予想外のものだった。とりあえず何の反応も返さずにバスルームへ入って行ったがアイヴィーの心臓は鼓動を強めていた。

「いけない……久々に人と話したからって、依頼人相手に感情移入していたらきりがないわ。アイヴィー落ち着きなさい。相手はただの子供。任務の道具よ」

 思いのほかアイヴィーはタケルに懐かれていたらしい。アイヴィーとしては任務に沿って普段通り行動していたつもりだったのだが、もしかすると昔取った杵柄を、ブロッサムに取っていた行動を無意識になぞっていたのかもしれない。

 全身に広がる患部に、自分よりも年下の幼い存在。いや、だからといって相手は妹では無いのだ。過剰にお世話する必要は、姉のように振る舞う必要は無い。しかし、監視が届かない環境にいると言うのが予想以上にリラックスさせている事に彼女自身驚いていた。

「……」

 首元が見えるような水着に着替えるのを逡巡し、結局下着替わりに着用するにとどめて上に襟のついた白いワンピースを着用する。自分の仕事はあくまで付き添い。童心に返って遊びに来たわけでは無い。

 そして、タケルにお節介を焼いてしまうのは決して妹への代償行為じゃない。心の中でそう唱えて彼女はバスルームを出た。島に到着するまでの数時間。それは楽しくもつまらなくも無い任務としてのフラットなものとなった。

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