第二章 怪人たちの楽園
2-1
その言葉はアイヴィーに突然もたらされた。
「アイヴィー、君に最後のミッションを与えようと思う」
普段通り朝七時に出勤し、知能方面の訓練を始めようと準備を始めていた時分唐突にノヴァが現れ、執務室についてくるように言われた時には何かあると思っていたが――
「……え」
最後のミッション。その言葉を頭の中で何度も反芻する。最後、最期、さいご。どの単語を当てはめてみてもそれは終わりを示すもの。
「……さいご……ですか」
「そうだ。アイヴィー、君がこの一年間一刻も休まずに我々機関に情報を提供してくれたおかげでキメラタイプ技術の確立と君の妹を救うための目途が立った」
妹を救うことが出来る。ノヴァの言葉に彼女の頬は緩みそうになる。いや、騙されるな。目の前のこの男は自分を勝手に改造した時もそんな甘い事を言っていたではないか。でも、さすがに「最後のミッション」という言葉までもがウソなのか。だましたいのであればそんな具体的な表現を使わずに普段通り適当な理由をつけて自分と妹とを引き離しておけばいいのではないか?
「心外だな。そんな疑うような表情をして。今まで私が君に嘘をついたことがあったかね。最後と言えばもう最後だTHE・ENDだよ。この任務をもって君と妹さんを解放すると言っている」
それは詭弁だろう。アイヴィーは今まで妹に会えないでいたストレスをぶつけてやろうかと思った。変身せずとも成人男性程度彼女が殴ればひとたまりもない。たとえノヴァが施設に併設されたジムで鍛えているからってご自慢の人工怪人の腕力に勝てるとは思えないし、凝り性のノヴァが自分にその程度の力を与えない訳がない。
そこまで考えてアイヴィーは、ノヴァが怪人病に関する限りは誠実な大人である事に思い至る。人間的には最低な大人だが、少なくともキメラタイプである自分の肉体に関しては常に最高のパフォーマンスが出来るように自ら調整を施す。であれば、瀕死の怪人病患者を救うという名誉のためであればこの男は己の持つ最高の技術を惜しみなく妹に注ぐだろう。それについては少し信用していいと思った。
目下の問題は――
「それで、任務の内容は何ですか」
「そうだな。話を進めるとしよう。アイヴィー、君には南太平洋に存在する怪人病専門医療機関・人工島『モンストピア』へ潜入し、ターゲットの細胞サンプルを回収してもらいたい」
「モンス……トピア?」
聴き慣れない単語にアイヴィーがオウム返しをするとノヴァは大きく頷いた。
「おや、知らないのかね? てっきり君の階級ならボランティア活動に参加する中で噂話くらいで知っていると思ったのだが」
「名門のアイゼンバーグ家で噂になるレベルの話なんて中流家庭の小娘になんか入ってきません」
どうやら「モンストピア」なる機関はVIPのための医療機関らしい。確かに怪人病はフェーズ1であれば患部を切除すればフェーズ2に発展しないケースも存在する。フェーズ2になっても抑制剤や整形手術で外見を人間の規格へ偽装する事も出来るし、フェーズ2からフェーズ3までの間雲隠れをしておけば周囲に患者であることがばれにくい。身も蓋もない話だが、結局お金さえあればたいていの事、怪人病だって解決できるのが世の常だ。
「でも大丈夫なんですか? 各種マナーは分かりますし、ある程度の状況に馴染めるように訓練は受けましたけど……私が街を離れれば怪人犯罪を抑え込めないのでは」
「それは心配しなくていい。ウォリアータイプ同様キメラタイプは順次施術が始まっている。君が街を離れても苦戦することはもう無い。むしろ自分自身の心配をする事をオススメするよ」
「?」
ノヴァは執務室のスクリーンに任務に関する詳細なデータを表示した。
「モンストピアは元は我々機関と元を同じにする組織でね。怪人病に関する知見はもちろんのこと、島を防衛するための機能も豊かだ。物資が止まった場合、兵糧攻めにあった時でも自活できる用意など周到になされている。
もちろん、この島にプロのスパイや、特殊な訓練を受けた捜査官、人工怪人が侵入した場合の対策もなされている。今まで何人もの捜査員を送り出したが……その中には我々が雇ったフェーズ4の怪人も含まれている。誰もが潜入捜査のプロだ、しかし今まで誰も戻って来れなかった。この意味が分かるかね」
「……」
アイヴィーは機関の正確な規模を理解しているわけでは無い。しかし、ウォリアータイプの普及に、新型人工怪人キメラタイプの確立、どれも広範囲のネットワークと最先端の技術を集結させなければ出来ない所業だ。そんな機関を相手に防衛を果たし、機密を守り続けているモンストピアに対して自分は産業スパイまがいの行為を働くことが出来るのであろうか。ノヴァが自身の秘蔵っ子であるアイヴィーを直々に危険な敵地に潜り込ませようとしているのである。アイヴィーはその意味を噛みしめ、モニターの内容をジッと見つめる。
「どうやらやる気のようだね」
「もちろん。この任務が終われば今度こそブロッサムに会えるんですよね」
「そうだ」
「怪人犯罪から、この機関から自由になって二人で元の生活を始めることが出来るんですよね」
「約束しよう。君たちは今回の任務を終え次第自由の身になれるとね」
これはビジネスだからね。そう言ってノヴァは一枚の書類をアイヴィーに差し出した。そこには先ほど彼女が希望した内容「ブロッサム・スイフトを完治させ万全の状態で保護者であるアイヴィー・スイフトに帰す」こと、「本任務を終えた後、コードネームゴートとしての怪人犯罪への対応の任からの解除」、その他機関とアイヴィーの間に交わされた約束事に関する清算が書かれていた。
「……ふん」
一筆したためた後に契約破棄は許さない。ノヴァの性格なら確実にそう言うだろう。アイヴィーはこの一年間同年代の少女たちよりも頭を使って来たプライドがある。契約書に自分に不利な項目は無いか、報酬が取り上げられるような不備は無いか、舐めるように内容を三度は確認し、念のため今度はじっくりと書面を読んでゆく。
そのようすをノヴァはほほえましく見つめる。自身に満ちた大きな瞳に撫でられるのを彼女は気に入らなかったが、どうやら契約書に不利な点は一切無い。危険な任務に対してアイヴィーへの報酬として釣り合うものとして作成されたようだ。それであるならば躊躇う必要は無い。彼女はノヴァから万年筆を受け取り「ノイン・アイゼンバーグ」とサインした。
「なつかしいね。最初の頃は元の身分であるアイヴィー・スイフトと記入していたのに、今ではこちらの方をすらすらと書けている。後見人としては君を手放すのは非常に惜しいが、私とて人の心がある。君たち二人を解放することは大人として必要な義務だと思っているよ」
そう言いながらもノヴァの表情はアイヴィーを見ていない。どこか遠くを見つめて独善的に陶酔しているようだった。
「その手の言葉は実際に任務が終わってから受け取ります」
何が大人だ白々しい。今までさんざん
「期待している――」
言葉を切るように扉を閉める。この任務が終われば大人の言われるがままに戦わなくていい。妹と共にこの国のどこか片隅でひっそりと生活することが出来る。かつてのように患者のボランティア活動をしながら生活する事も出来るはずだ。幸い、アイヴィーは並の介助師よりも怪人病について精通している。入手先はまっとうではないが、姉妹二人のこれからの生活の元手になるなら儲けたものだ。
『いつか怪人と人間が手を取り合えたらいいのにね』
時折聞こえるこの声も今は罪悪感を覚えない。これから行うのは産業スパイ、それどころか患者や怪人、戦闘能力を持たない誰かを傷つけるかもしれない。場合によっては今まで通り怪人犯罪者に行っていた不殺(ころさず)のスタイルを崩すことになる。だが、汚れ仕事はこれで最後なのだ。そう思うと自然と足が軽くなる。
一年、この一年は長かった。でも、ようやくあなたと生きる道のりを見つけることが出来た。待っていてブロッサム。お姉ちゃん、あなたを救うためならスパイだろうと鬼だろうと怪物にだってなってやる。
「~♪」
すれ違う職員たちから注目されるのに気づかない程彼女は気分が高揚していた。清潔すぎる蛍光灯とリノリウム、消毒の匂いが織りなす白い空間も夢さえ見れればバラ色の道。アイヴィーの足取りは遠足前の子供のように浮足立っていた。
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