1-5

 白い息ごと隠すように、目的地に到着したアイヴィーはジャケットのフードを羽織った。怪人犯罪が多発する夜の街は人通りが少なくなったとはいえ用心するに越したことは無い。なぜなら、いまアイヴィーがいる場所は彼女が人工怪人になったきっかけの場所、爆発事故が発生した彼女の生家跡だからだ。

「……相変わらずボロボロね」

 爆発したのがキッチン付近という事もあり、ガス爆発を誘発したあの事故で二階建ての一軒家は一階が全壊、二階部分は半壊して今も無造作に積み上がっている。これだけ酷い事故が発生したのによくもまあ自分は今こうして生きていると思わざるを得ない。事故現場を見ている時だけはアイヴィーは自分が生きている事に安堵出来る。

 その一方で、彼女は生家を挟む両隣の家屋を見る。他の家は窓から明かりが漏れていると言うのにその二つは光は無く、彼女の鼻も生き物の匂いが、生活の匂いがしない事を嗅ぎ取る。

 怪人病は遺伝子が変質する病気であって感染することは無い。それにも関わらずノヴァから聞いたところによると両隣の一家は爆発事故のあと逃げるように引っ越したらしい。アイヴィーの一家は近所づきあいが良い方で、休日にはブロッサムも交えてバーベキューやホームパーティーをしていた。両家ともに怪人病のブロッサムを差別せずに笑顔で接してくれているのをアイヴィーは良く覚えていた。

 しかし現実はこの通り。アイヴィーの生家は怪人病が発生した現場として曰くがついて今も解体工事が行われていない。仲が良かったはずのご近所さんは事故直後に逃亡。かつて昼間に現場を見た時は誰もが露骨に家の前を避けて通っていた。

 怪人病は予想以上に理解されていない。アイヴィーは人工怪人として働く中でその事実に気付いてしまった。ブロッサムが丁寧に扱われていたのは彼女がパッと見危険ではないから。投稿した動画の再生数が伸びるのは見世物として襲われる危険が無いから。デモやボランティア活動が穏やかに行われるのはそれが人間への影響が少なく、また参加者が裕福で余裕のある患者である事の証明だからである。その手の患者は石を投げられるなど、よほどのことが無い限り人間へ牙をむかない。ある程度コミュニケーションの余裕があるのである。

「……おい。お前……警官なんだよな!」

「?」

 アイヴィーが振り向くと、そこには大き目な上着に身を包んだ浮浪者の姿があった。左腕が妙に膨らんでいるのを見るとフェーズ2の患者だろう。彼女の鼻も彼の怪人病由来の匂いを嗅ぎ取り確信した。

「警官なら人工怪人なんだろう? ……持っているんだろう! 寄越せええええええ!」

 浮浪者の左袖がはじけ飛び、左腕が襲い掛かって行く。折りたたまれていたショベル重機めいたそれは彼女へと真っ直ぐ伸びてゆく。

 脂ぎったゴマ団子の匂いか……。アイヴィーは戦闘モードへ意識を切り替え、攻撃を左に避ける。フェーズ2のバランスの悪い腕が伸びきり、相手がつんのめった瞬間に腹部へと回し蹴りを喰らわす。

「げえ……っ」

 ガン!と大きな音を立てて浮浪者は倒れた。その音に様子を見ようと家々のカーテンから家人の顔がのぞく。

「抑制剤なら持っていないわ。警官が全員人工怪人って訳じゃない。本来なら公務執行妨害で連行するところだけど、今は非番なの。見逃してあげるからとっととどこかへ行きなさい」

「くっ……お高くとまりやがって……」

 浮浪者は腕を折りたたみつつアイヴィーに毒づく。今度こそ、目に物を見せてやろうと重い左腕を彼女へ向けようとするが――

「「⁉」」

 二人を囲む家々の窓が点滅を始める。いや、正確には光っているのは窓では無い、家人たちは携帯端末を手にアイヴィーと浮浪者二人の様子を動画に撮ったり撮影したりしているのだ。中には二人の姿を肴にグラスを傾ける者までいた。冬の寒い退屈しがちな夜、安全圏から警官と怪人病患者の衝突を見るのは彼らにとってさながらフリークショーのようなものなのだろう。

「……っ! 早く失せなさい! お互い見世物になるのは惨めでしょう。今の内ならあなたの姿がさらしものになる事は無いわ」

 浮浪者はこのままアイヴィーを襲って抑制剤を奪うか、さらし者になる前に逃げるのか躊躇った。

「……そんなこと言われなくても、俺達は生きている限り、さらし者みたいじゃねえか」

 結局、腹部の痛みとアイヴィーの身のこなしから彼女に勝てない事を悟ると破れた袖を寄せ集めながら闇の中へ消えてゆく。同時に家人たちはつまらなそうにカーテンの奥へと消えて行った。一見警官が弱者をいじめたような構図なのに誰もあの浮浪者の味方をしない。彼らの表情には憐れみなど無かった。

 騒ぎが大きくならなかった事にアイヴィーは胸をなでおろした。顔をフードで隠し、髪の色や体格が変わったとはいえ彼女の事を死んだはずの「アイヴィー・スイフト」であると気づく者がいるかもしれない。

「ごめんねお父さん、お母さん」

 彼らがろくな画が撮れなかったとデータを削除してくれる事を祈りながら、アイヴィーは名残惜しそうに現場を去る。

 現在アイヴィーが表の世界でやっている仕事は怪人犯罪の取り締まりだ。人間の基準で暴れたと判断された患者・怪人を抑えて、場合によっては実力を行使する。彼女が身に纏う制服はそのためのものである。

 フェーズ2で器用な者、フェーズ3の怪人は機関が考案した人工フェーズ3のウォリアータイプで抑え込むことが出来る。しかし、怪人病がフェーズ4へと進化した事でただ強い肉体を持っているだけでは彼らを抑えることが出来なくなってしまった。そこで生み出されたのがアイヴィーのキメラタイプだった。様々な部位・能力を持ち、どのような怪人に対してもマルチに戦える彼女は常に怪人犯罪の最前線に投入される。この一年間どれだけの数の患者を殴って来たのか彼女自身数えるのを止めている。

 事故前は妹と一緒に人間と怪人とを繋ぐ架け橋になろうと、患者を救おうと過ごして来た生活が事故後は暴れる怪人を暴力で抑え込むものへがらりと変わってしまった。いまここにアイヴィー・スイフトという少女は確かに存在している。しかし、いくら通名でアイヴィーと呼ばれても彼女の外見、中身、身分が書き換えられ、何よりも妹と積み上げてきた理想を打ち砕かれたことでアイヴィーは自分が確かに死んだと思っている。いまここにいるのはアイヴィーの外見を残したリビングデット、ゾンビだ。血の通っていない自分はあの温かなカーテンの向こう側に行く事も、路地裏のスラムで怪人同士身を寄せ合う事も出来ない。それをするにはアイヴィーは人間ではなくなったし、怪人たちを傷つけすぎた。

「ねえブロッサム。私は人間なのかしら、それともあなたと同じ怪人? どっちなんだろうね」

 冬場の住宅街に応える者はいない。彼女の声は澄んだ夜空の中へ虚しく吸い込まれてゆく。

「それでも……あなたを助けるためには……分かっている、戦わなくちゃいけないんだものね」

 何度要求してももう一年妹と会えていない。機関での過酷な日々にこれまで何度もくじけそうになった。けれど、アイヴィーにはもうブロッサムしか縋るものが心の支えになるものが無い。姉として再び妹を守ることが出来るのであればこれ以上の事は無いだろう。

 ゆえにアイヴィーは前を向く。自分が戦ったデータで妹が救われるのであれば自分の存在は何だっていい。

「……! こちらアイヴィー」

 首輪の通信機が振動し、通信が繋がる。

「私だ、ノヴァだ。休んでいる所悪いが、残念ながら出動だ。またフェーズ4が現れた。全く、今までは一日に一件だったのにペースが上がっている。これは――」

「怪人病が進化している証拠、ですか?」

「おお、今日はずいぶんノリが良いじゃないか。なにかいいことでもあったかね」

「いいえ、少し体を動かしたい気分だっただけです」

 その後ノヴァから現場の位置と怪人の詳細などを聞いて通信を切る。場所はアイヴィーが今いる位置からそう遠くない。人間態でもアイヴィーはかなりの速度で走ることが出来る。移動で消耗したとしても現場でインジェクターを受け取ればすぐさま怪人態へ身体能力をドーピング出来る。

「待っててねブロッサム。お姉ちゃんはもう人間じゃないかもしれない。でも、私達の間で何があっても私はあなたの姉として、絶対に守ってみせるから。だから……今は待っていて」

 吐く息は白く、それに匂いは無かった。凍てつく夜闇の中少女は走る。守るべき妹の存在だけを目印に、少女は一人闇の中へと溶けて行った。

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