1-4

「アイヴィー、今日もしか使わなかったのか。あんな三下相手ならキメラの他の部位を展開すれば一瞬で解決しただろうに」

「現場には怪人以外に多くのフェーズ2がいた。二つの能力以外は強力過ぎて警官隊(味方)まで巻き込む可能性があった。それに左腕の機能を使えば使うほど私は実験体としての基礎力が上がるんでしょ。細胞分裂による回復と環境適応。寿命は縮まるけどこの能力のおかげでここまで戦えるようになったし、局長にとってもキメラタイプの成長は嬉しいのでは」

「もちろん。君は我らが機関の新兵器として旧時代のウォリアータイプ達に向けて大いに活躍を見せつけてくれた。君の実力と成長性がスポンサーに理解されれば技術を確立し、キメラタイプの普及に向けて大きな一歩を踏み出すことが出来る。

 しかしだからと言って私は身を投げ捨てるような非効率な戦いは好まないね。この国では事件を収束させるためにやむなく容疑者を殺してしまっても必要な措置として処理される。別段周りに気を遣う必要は無かっただろうに」

 局長の言葉にギリリとアイヴィーの歯が鳴る。少女は強張る顎を無理やり広げ、目の前の男を睨みつける。

「怪人病患者は……犯罪者じゃ、死んでいい生き物なんかじゃない……」

 アイヴィーの瞳が濁り水平に広がり始める。強烈な怒気と殺気が込められた視線にノヴァは思わす体を椅子ごと引いてたじろぐが、一息つくと再び元の余裕をもった大人の表情に変わる。

「もちろん、今回の事件は愚かにも人間が患者を不用意に煽った事で始まった。その様子はバッチリ監視カメラに記録されている。今回の事件は人間数名を逮捕した事で収束する。君が心配する患者が逮捕されるような事態にはならないよ。

 とは言え今回は被害者だったが……怪人が暴れる事例は増えている。患者の数も、彼らの中のフェーズ4の割合は現在進行形で増えていて、それに連動するように怪人犯罪も増加する。私は怪人病を病気だとは思っていないが……能力に目覚めてしまったせいで暴れる彼らをするためにも我々のような対怪人組織が必要だという事は君も分かるだろう」

 ノヴァの言葉を受けてアイヴィーは思わずジャケット越しに左腕のつなぎ目を掻いた。興奮するとかゆみを発生させるその部位は己がキメラタイプ、怪人と戦う戦闘員である証。自分が彼らと戦わなくてはいけない事をこの部位は容赦なく伝えてくる。外見こそすっぴんなその部位は少女の日常にとって重しでしかない。

「今日の勤務はこれにて終了だ。もちろん緊急の場合は君へ出動要請を出す事になるだろうが、ひとまずご苦労だった。今日はいつもより派手に戦って消耗しただろう。戦闘レポートの提出は明日施設内で仕上げてくれればいい。ゆっくり休みたまえ」

 アイヴィーは一礼すると足早に局長室を出ようとした。

「そうだ、休みついでに私とジムにでもいかないか。疲れた頭と肉体をトレーニングで追い込むのは気分転換に良いぞ」

 アイヴィーは振り向いてノヴァの顔を見た。彼が持論を唱えるとき、その目は獲物を捕らえた大型肉食動物のように大きく見開かれる事を彼女は知っている。

「結構です」

 そういって今度こそアイヴィーは局長室を出た。「残念、本当によく効くのに……」と扉越しに声が聞こえたが気にしない。

 対怪人用の組織と言うと武骨で堅い色合いの建物を想像するが施設の内部はリノリウムの床と白熱灯が清潔さを醸し出す病院のようなものだった。いや、病院そのものと言っていい。アイヴィーの敏感な鼻は施設全体に漂う薬品の匂いをかぎ取り顔を顰めている。少なくともこの施設で行っているのは遺伝子工学的な怪人病の研究。戦闘のために存在する兵器は今のところアイヴィー一人なのだ。

 アイヴィーが現在身を包んでいる街の警察署の制服、彼女が所属する「機関」はその地下に間借りしている。もっとも彼らがその事実を知っているわけでは無い。この組織は固有名詞が存在せずただ「機関」と呼ばれている。怪人病を人間が制御する。その思想を中心に様々な分野の研究者が集まった組織で、正式名称が秘匿されているのか、その思想さえあれば名前は要らないと思っているのか、そもそも名前を付けるのが面倒なのか。とにかく彼らが表舞台に出ることはめったにない、基本的に水面下で働く組織だ。

 この組織は現在パトロンである死の商人のために怪人病を利用した生物兵器の開発を進めている。怪人犯罪のために作られたウォリアータイプ。そして新たに特殊能力を得たフェーズ4と戦うために開発がすすめられている人工フェーズ4の怪人。そのプロトタイプがアイヴィーだった。

「……」

 アイヴィーは極力施設の中身を視界に入れず、すれ違う職員に挨拶もせずに真っ直ぐ地上用のエレベーターに向かう。一秒でもこの場所にいるのはまっぴらだと言わんばかりに靴を鳴らしながら前へ前へと進んでゆく。

 やがてエレベーターに到着すると、施設の偽装処理のために一度地上二階へ浮上し、不要な内臓の圧迫感と共に一階へ到達する。アイヴィーはこのいかにも偽装しましたという建物の造りが嫌いだった。

 警察署の職員に紛れながら外へ出る。町を歩けば誰も、まさかアイヴィーがフェーズ4の怪人だと思うものはいない。幼さが残るものの彼女が歩く様子は毅然としており、誰もが少し若い婦人警官だと信じて疑わない。……アイヴィーは自分が身につけたそんな所作も嫌いであった。

 自宅へ帰る途中手近なスーパーマーケットに寄り、レジカゴいっぱいに食品を詰めてゆく。一人分は優に超えている内容物を詰める彼女に店員は訝し気にその様子を見るが――

「支払いはクレジットで」

「……」

 レジでアイヴィーが清算を済ませようとカードを渡して来た。カードの種類はブラックカード。こんな少女が何故だと、それが偽造されたものであるか店員はチェックを始める。

「……どうぞ」

 レジにカードを通しても不審な点は何一つ見つからない。

「ありがとうございます」

 アイヴィーは店員からカゴとカードを受け取るとビニール袋に商品を詰め始める。そして最後に、「」と名前が記されたブラックカードを財布に仕舞いスーパーを後にした。

「ふーっ……今日も終わりか」

 冬場の冷えた空気を思い切り吸い込む。肺から熱が奪われてゆき、左腕のかゆみも引いてゆく。アイヴィーはコンクリートに覆われた街に訪れるこの季節が好きだった。温かい季節は自分にはまぶしすぎる。そう思いながらパンパンに詰まったレジ袋を握り占める。

 施設から自宅のアパートまで徒歩で三十分ほどの距離がある。これはストレスフルな環境に晒されるアイヴィーにとって頭を冷やし、一日を振り返ることが出来る休息の時間だった。

「……」

 帰路の中でアイヴィーは必ずと言っていいほど自分がどうしてこのような環境に置かれたのか、その原因について考える。

 怪人病が社会において病気と認識されたのは今から十七年前のこと。それ以前にも全世界の各地で奇形に関する報告があったがケースが少なく誰も病気だと認識していなかった。だれも少数の肉体の変異を問題視しなかったのである。

 その状況が変わったのがアイヴィーが生まれた十七年前の事。まるで植えられた花が一斉に咲き誇るように、患者の数が一気に増えたのである。

「お願いします……恵んでください……」

「お母さん……お腹が空いたよ……」

「……」

 アイヴィーは声がした方向へ目を向ける。車道を挟んで向こう側に親子二人がぼろをまとって物乞いをしている。子供は右腕が昆虫のように節くれだっており、体表は虹色に輝いている。母親の方は左半身が緑色に爛れ、力が入っていない。その箇所を息子が右腕の力でしっかりと支え、やっと立ち上がっている。病状は明らかに彼女の方が悪かった。

 しかし、街ゆく人々が彼女たちに何かをすることは無い。むしろ避けるように歩を進め、無理やり自分たちの日常を再生させる。二人ぼっちの家族の声は灰色の空の下虚しく広がる。

 二人の症状は怪人病のフェーズ2、人体が部分的に何らかの姿に変異する症状だった。変異は身体を強化する事もあれば、肉体が変異について行けずに共倒れすることもある。

 これは変異の初期に抑制剤を使用すること、もしくは人体が怪人病に適応してフェーズ3以降になる事でその症状を抑えることが出来る。怪人病の認識と共に先見の明があった組織は共同して抑制剤を開発し、普及に努めたが、そのほとんどを富裕層が身の安全を守るために買い占めてしまった。デモに参加できるような元気な患者は実は少数派で多くの患者はこの親子のように適切な治療を受けることが出来ずに路地裏で構築されたスラムから物乞いをして生活している。

 アイヴィーが住む街もスラムが隣接している。衛生的に不潔な割に、そこからは独特な甘い匂いが漂い、スラムは今では甘い地獄と形容されている。

 ぺろぺろキャンディーのしっかりとした甘い匂いに、抹茶アイスの上品な匂い。アイヴィーは二人を一瞥するも現場から早歩きで立ち去る。二人の視線が彼女のビニール袋に注がれ、物欲しそうな目線と「君もおなじ患者じゃないか?」という疑問の視線が注がれるのは彼女が抱える罪悪感のせいなのか。

『いつか怪人と人間が手を取り合えたらいいのにね』

「くっ……」

 頭に浮かんだ言葉ごと二人を振り切るようにアイヴィーは走る。荷物を揺らしネオンの看板や落書き、粗大ごみが雑多に連ねる街中のアパートへ飛び込んでゆく。

「はーっ……はーっ……」

 勢いよく扉を閉めた彼女を迎えるのは十七歳の少女には不釣り合いなガラリとした殺風景な部屋。そこには机や椅子、ベッドなど必要最小限のものは揃っているものの、クローゼットや本棚、彼女の趣味を表すような私物が、洒落っ気が一切無い。生活のための家と言うよりもビジネスホテルの様相をしていた。

 呼吸を整えるとアイヴィーは手荷物を次々に冷蔵庫の中へ入れてゆく。空っぽなそれはあっという間に満杯になり、レジ袋になにも無い事を確認すると勢いよくドアを閉めた。

 続いて無造作に着ている服を脱ぎ散らかしジャワールームに入る。

「ふう……」

 熱々のシャワーに緊張がほぐれ、アイヴィーは顔をほころばす。普段機関に実験体として監視されているアイヴィーにとって誰にも姿を見られない密室でのシャワーは一日の内でリラックスできる数少ない機会であった。もっとも――

「……」

 熱湯を浴びながら少女は自身の体へ視線を下ろしてゆく。彼女の首元には相変わらず武骨な赤い首輪が存在している。これは変身の際のスイッチなだけでなく、体内に備わる部位の免疫系を調整したり、みだりに変身・暴走したりしないようにするための生命線だ。外せば自分の体がどのようになるか分からないし、また無理に外そうとすれば機関を裏切ったと判断され爆発する仕組みになっている。視線からは解放されているが、彼女の肉体のバイタルデータは今も逐一機関へと送信されている。自分が完全に自由じゃない事を再認識するとアイヴィーはため息をついた。

 しかし、首から下の状態を見れば自身が監視を受けていることなんて意識の隅に追いやられる。

「どうして……私だったの……」

 アイヴィーの体には大小様々な手術痕が残っていた。それらは遠目に見れば傷とは見えず、近くへよって見ても誰も傷とは気づかない見事な手術痕だった。だが体の持ち主であるアイヴィーはかつての自分の肉体を知っている。キメラタイプ手術を受ける前は体に傷なんて無かったし、体型も筋肉質じゃ無かった。何より整形手術の手術痕まで微細に認識できるほどの視覚なんて持っていない。

 シャワーの熱が全身に回り、左腕がうずく。かゆみにこの部位が元の自分の腕でない事を感じ、彼女の意識が過去へと伸びる。

「ブロッサム……待ってて、お姉ちゃんは必ずあなたを救ってみせる」

 アイヴィーの一家は父、母、長女のアイヴィー、そして次女・妹のブロッサムの四人家族だった。家庭は中流家庭で、父親の仕事が上手くいっているおかげで怪人病の事前検査にも抑制剤にも不自由しないいわゆる普通の人間の家庭だ。

 アイヴィーが生まれたころには仕事柄情報に通じていた父は愛娘に検査を受けさせ、アイヴィーがフェーズ1すら発症していない事に安堵した。続いて生まれたブロッサムにも怪人病の傾向は無かった。変化を迎えた時代の中、両親は二人が普通に育っている事に心の底から安堵した。

 しかし変化の波は一家を取り残さなかった。アイヴィーが十三歳の頃、ブロッサムが何の兆候も示さずに怪人病を発症したのである。どんな病気にも個人差がある。ブロッサムはフェーズ1を飛び越えてフェーズ2となってしまったのだ。加えて、彼女の体には抑制剤への耐性があり病状を安定させることが出来なかった。病はブロッサムの肉体を白色に染め、少しずつ運動機能を奪っていった。両親はそんな彼女を見て絶望に顔を覆った。

 けれど病の当事者であるブロッサムとアイヴィーは絶望しなかった。姉妹仲の良かった二人はどんな事も二人で協力すれば解決できると信じていたからだ。アイヴィーは学校の勉強と並行して怪人病の患者の介助師の勉強を始め、ブロッサムも不自由になった体での生活の方法についてアイデアを出し、二人で協力してオリジナルのリハビリ法をネットに上げるなど怪人病をコンプレックスに感じず、むしろ自分たちの病状を積極的に発信していった。アイヴィーが人間側、ブロッサムが怪人側として懸け橋となる事を目標に二人は福祉活動やボランティア、患者の集会に積極的に参加する。これはブロッサムの半身が侵されて車いす生活になっても続けられた。

『いつか怪人と人間が手を取り合えたらいいのにね』

 だがそんな生活も長くは続かなかった。アイヴィーが十六歳の頃、ブロッサムの怪人病は上半身も犯していた。もはや彼女が自由に動かせるのは頭部だけ。それでも二人はめげずにネットでの発信を続けていた。その日はブロッサムの誕生日で家族全員で彼女のお祝いをしていた。ブロッサムがケーキの蝋燭を消し、アイヴィーがフォークで一口分を彼女の口へ運ぶ、見慣れた介助の風景が行われている時だった。

「うっ……」

「ブロッサム? どうしたの⁉ もしかして、詰まっちゃった⁉」

「み……に……」

「分かった。お水を持ってくるから、ね。お母さんブロッサムの背中さすってもらえない? お父さん、念のため携帯ですぐに救急車呼べるようにして」

「ハイハイ」

「救急車って……そんな大げさな……」

「怪人病に注意しすぎることは無いでしょ。ハリーハリー」

 アイヴィーがコップに水を入れようと急いでキッチンへ向かった時だった。

「に……げ……て……‼」

「え?」

 ブロッサムへ振り向いた時にはすべてが終わっていた。強烈な光と共に爆発音が迫る。爆風に圧倒されたと思った瞬間アイヴィーの感覚は千切れ飛んだ。

 ブロッサム! 途切れる意識の中アイヴィーは確かにを見た。患部と化した彼女の全身、それが内側から膨れ上がり、一気に爆発したのだ。ブロッサムを介助していた両親は即死、アイヴィーも自身の死を覚悟した。意識が途切れる一瞬自分の体が何かの破片によってズタズタに切り裂かれたのを見てしまったのだ。

 後にアイヴィーはそれはブロッサムの怪人病がフェーズ2から急激にフェーズ3になったせいで引き起こされた現象だと考えている。元々怪人病が急発症しに適合出来なかった彼女の体質と、どのような変化が発生するのかいまだに解明されていない怪人病。それが合わされば何が起きてもおかしく無かった。これでおしまいなんだ。アイヴィーは誕生日ケーキよりも甘い匂いに包まれながら死を覚悟した。

 しかし、アイヴィーが死ぬことは無かった。目が覚めるとそこは手術台の上で、彼女はつぎはぎだらけの自分の体を見て驚愕した。生きていたという安堵よりも自分が何故知らない場所でこんな肉体になっているのかと疑問の方が強かったのである。

「驚いた。施術が完了してから数分と経っていないのにもう目が覚めるとは。君はこの手術と相当相性がいいらしい」

「相性⁉ 痛っ……」

 声の方向へ首を向けるとそこには堂々としたオールバックの男性、現在の上司であるノヴァの姿が合った。彼は手術室の中にも関わらず場違いなスーツ姿でアイヴィーの体をまじまじと見ている。アイヴィーは今更ながら自分が全裸なのに気づいたがノヴァの視線が彼女の裸体をみて興奮を感じずに、標本でも見るように感心していることと、つぎはぎだらけの肉体の安全と状態が気になってそれどころでは無かった。

「……私は……どうなったんですか……」

 体の各部が別の生き物にでもなったかのように主張し、内側から引き裂かれるように痛い。とりわけ左腕はつなぎ目の痛みが一周周ってかゆくて仕方がない。それらの痛みを堪えながらアイヴィーはやっとの思いで口を開いた。

「結論から言うと、君は爆発事故に巻き込まれ重傷だった。我らが機関の人工怪人手術・キメラタイプを受けなければこのように生きていられなかっただろう。君はあの惨状から見事生還できたというわけだ。おめでとう。計画を担当した私としては非常に誇らしいね」

 ノヴァは自身の計画がアイヴィーの肉体で順調に成功した事に陶酔するように語る。そこには事故で傷を負った少女への配慮は無く、人間性が一切感じられない。まるで彼女を仕事道具のようにドライに見つめている。

 そんな不愉快な視線を受けたせいか、かえってアイヴィーは冷静になれた。

「爆発事故……家族は、妹! ブロッサムは無事なんですか!」

 事実を知ろうと体を動かすも全身の各部が抵抗するように動かない。かろうじて上体を浮かすも肉体に反逆された彼女は悲鳴を上げて手術台の上でのたうちまわる。

「まったくお転婆だな。まあ、これくらい元気な方が実験体としてはちょうどいいが」

 ノヴァは慣れた手つきでアイヴィーを抑えるとインジェクターを取り出し彼女のある部位に注入した。薬液が全身に回り、彼女の肉体は落ち着きを取り戻す。肉体の興奮が冷めると彼女は自分の首に武骨な赤い首輪がはめられている事に気がついた。

「これって……」

「君はたしかネットで妹さんと一緒に怪人病について発信していたそうだね。だったら人工怪人についても少しは知っているだろう。その首輪は最新型のライザー、君の肉体の制御装置だ」

「人工怪人……じゃあ……」

「君の同意を得ずに君を怪人に変えてしまったことは心苦しく思っている。だが瀕死の君を助けるにはこの方法しか無くてね」

 不思議と怒りは感じていなかった。むしろ爆発事故に巻き込まれて生きていたことが奇跡なのだ。ノヴァの取って付けたような謝罪は腹が立つものだったが、自身の肉体が怪しげな手術のおかげで生きているのだ。であれば――

「じゃあ私の家族は……!」

 ノヴァはリモコンを操作して画面を映し出した。

 そこには集中治療室で手術を受けるブロッサムの姿があった。やはり彼女が爆発の中心地だったのか、彼女の肉体は内側からめくれ上がるような裂傷で覆われている。しかし、全身が怪人病の患部だったためか細胞は徐々に再生し、呼吸も、各種バイタルサインも安定している。

「ご両親は残念だったが、君の妹、ブロッサムは生きている。とは言え未だに危険な状態だがね。ここまで肉体が壊れているにも関わらず生きているのは奇跡と言っていい。まったく、怪人病は興味深い」

 相変わらず人の尊厳を無視するノヴァの物言いを無視して、アイヴィーは今度こそ起き上がった。モニターを食い入るように見つめる。呼吸のために胸が上下に膨らみ、時折瞬きを繰り返す様子に彼女は涙を流した。両親を失ったのは悲しいが、ブロッサムだけは生きていてくれた。本来なら一家全員が死んでもおかしくない事故だったのだ。それなのに奇跡的に二人とも生きている。この二重の奇跡にアイヴィーは神に感謝した。

「今すぐに、妹に遭わせてください。妹は、ブロッサムには私の助けが必要なんです」

 アイヴィーは手術台から立ち上がると小鹿のように震える足でノヴァに迫っていく。しかし肉体は元のようにいう事を聞いてくれない。投薬で痛みはマシになったがそれでも体の各部がそれぞれ別な生き物のような感覚が抜けない。よたよたと三歩ほど踏み出したところでノヴァに受け止められてしまった。

「リハビリも無しにそこまで動けるとは君の適性には驚かされるが、そんな状態では妹さんを助けられるとは到底思えないね」

「もう私には妹しか残っていないんでしょう! だったら今すぐ遭わせて下さいよ。ブロッサムは……いま苦しんでいる……!」

「まあそう焦るんじゃない。彼女の怪人病はかなり特殊でね。厳重に管理した環境でないとあの状態を維持できないんだ。私はもちろん、君でも持っている雑菌を持ち込むだけで状態が悪化する可能性がある。いや、たった二人の家族だからこそ彼女に興奮を与えるべきでは無い。安堵した瞬間に死なれても君も困るだろう」

「……っ!」

 アイヴィーは何も反論することが出来なかった。彼女はノヴァが率いる機関の事も、自分が受けた手術の事も、ブロッサムの状態の事も詳しくは何も知らない。肉体に広がる違和感が彼女に告げる。いまここでノヴァに反抗するべきでは無い。自分はまだこの状況を何も知らない。

「安心したまえ。我々とて鬼では無い。我々の目的は怪人病を研究し、人類の役に立てる事だ。君を怪人病の研究で応用した技術で蘇生させたように、妹さんももちろん完治させるつもりだ。

 しかしそれには人類で初のキメラタイプ手術に成功した君の協力が必要だ。妹の特異な性質を分析するため、助けるためにはより多くの怪人病のデータが必要なんだ。君の体の中には怪人病の様々な部位が備わっている。君がそれらの能力を発揮させることで怪人病の研究は飛躍的に向上する。それが妹を救うのに大きな手助けになるんだ。分かるね。我々と君とはよきビジネスパートナーになれる」

「……」

 よろける足元を安定させ、やっとの思いで体を立たせる。術後の肉体は立っているのもやっとだがアイヴィーはそうしたい気分だった。

 顔を上げてノヴァの顔を見る。アイヴィーの一挙手一投足が面白いのか、彼女が睨んでも彼は自信に満ちた表情を崩さない。それどころか自分が創り上げた作品が反抗期を迎えた事を誇らしく感じているようにも見えた。

 だからこそ、怪人病に関する事に関してアイヴィーはノヴァを信用していいと思った。鬼なんて生易しいものじゃない。この人たちは悪魔だ。でも――

 未だに安定しない体を震わせながらアイヴィーは右手を差し出した。ノヴァはそれを受け取ると固く握手を返す。ビジネスパートナーとして悪魔の契約が成立した瞬間だった。

「くっ‼」

 アイヴィーは左腕のかゆみごと粉砕するように壁を叩く。痛みと共に意識が過去からシャワールームへ戻ってゆく。

 それ以降一年間の記憶は彼女にとって地獄でしか無かった。リハビリに戦闘訓練、それに伴う教化訓練に怪人犯罪のための出動。おかげで今では手術前よりも肉体ははるかに健康になって身体能力も高まった。同年代の少女と比べても知能指数が高くなり、皮肉な事に自主学習していた時とは比べ物にならないほど怪人病について知り、怪人病の介助師の資格まで取得してしまったのである。得た物は確かにあった。しかしそれは代償に彼女の時間の多くを奪い、今では機関とアパートの往復生活でいっぱい。同世代の少女たちのように恋愛やオシャレに費やせるような自由な時間は存在しない。

「……」

 体を洗い終えるとバスタオルで体を拭き、あらかじめ用意した下着を纏って部屋へ出る。部屋には私服と呼べるものが存在しない。下着姿のまま彼女は冷蔵庫へと真っ直ぐ進む。

「……くっ!」

 いくつか食品を取り出したところで髪の毛が一本彼女の腕の上へと抜け落ちた。変異後の山羊を思わせる真っ黒な色。これは本来のアイヴィーの色では無い。手術を受ける前、彼女の髪は眩い金髪で、姉妹でおそろいの髪色を褒め合うのが大好きだった。

 イライラをぶつけるように食品を電子レンジへぶち込み、ダイヤルを目いっぱい回して加熱を始める。ブーンと機械が機動する中でアイヴィーの目に冷蔵庫へ張り付けた公共料金の明細が入り込む。そこにはアパートの住所と契約者であるノイン・アイゼンバーグの名前が記されていた。

 半年前、機関の補助を受けずに生活出来るようになった頃、アイヴィーはノヴァに自宅を持つ事を要求した。自分の肉体が自分の意思で問題なく動かせる状態になったのであれば、ブロッサムへの面会をことあるごとに却下され息が詰まるだけの施設でジッとしている理由は無い。アイヴィーは監視の目が届かないプライバシーのある空間を求めていた。

 彼女の要求はあっさり認められた。ブロッサムに関する要求はことごとく却下したにも関わらず、自分のわがままが受け入れられた事に彼女は拍子抜けしたがこれで自由を手に入れることが出来た。アイヴィーはその事実に一瞬喜んだ。

 一瞬――そう、喜びは一瞬だった。ノヴァ曰く機関は表舞台に出ない組織でありその存在は警察など一部の人間が知るにとどめたい。機関の計画に深くかかわっているアイヴィーの存在は出来れば公にしたくないわけで、公式には既に妹共々死亡扱いになっていると。代わりにアイヴィーは機関からノイン・アイゼンバーグという偽の身分を与えられ一人暮らしを始めることが出来た。生活の資金は全て機関持ち。大家には機関で得た怪人病の介助師として生活していると嘘をついている。誰もアイヴィーがウソをついているなんて思っていない。髪の毛の色が変わっただけで誰もノインの正体がアイヴィーであると気づかない。彼女は自分の日常がすっかり変わってしまった事に、リハビリと訓練で変わってしまった自分と表の社会との久しぶりの交流で気づいてしまった。

「うっ……」

 電子レンジが鳴り、中身を取り出す。その匂いを受けてアイヴィーは顔を顰める。

 彼女の日常の変化は体表や身分と言った表向きのものだけでは無い。例えば嗅覚。人間には通常患者が発する甘い匂いを一様に「甘い」と表現するが彼女は「綿菓子」や「キャンディ」、「アイス」など各患者の体臭を個性づけることが出来る。その敏感な嗅覚はこの一年で精度をコントロールできるようになったものの、リラックスするための自宅で全開になってしまうのは大きな悩みだった。おいしそうなハンバーガーの匂いも程度が強くなれば油の洪水にしか感じない。その気になればインジェクターで栄養補給できるが、それは彼女が望む所では無い。監視の目が無い所くらい、人間らしい食事を摂りたいのだ。

 人間らしい……か。

 むせかえらないように嗅覚を調整しながら食品を入れては過熱する事七回。食事用のテーブルの上には成人男性なら五食分に相当する量のジャンクフードが積み上げられていた。もはや最初に加熱したハンバーガーは冷め始めている。しかしそんなことは気にせずにアイヴィーは手近な包みを手に取り中身を頬張る。

 怪人病の患部は部位の変異を維持するために大量のカロリーを必要とする。これがフェーズ3以降の怪人であれば全身が大量のカロリーを要求する。機関のバックアップを受けて万全の状態を常に維持しているアイヴィーですら日常でこの量を食べなければ餓死しかねない。気分を切り替えるために、一度は好きな物を好きなだけ食べられると好物のケーキやパフェの大食いに挑戦してみたが次々に襲い掛かって来る食欲の前では味わう楽しみが無かった。結局作業のようにくちの中に運ぶのが一番効率が良いと分かり、彼女の夕食はその日から簡単に食べられるジャンクフード一択になった。

「……味がしないなぁ」

 脂ぎった口内を洗い落とすように二リットルペットボトルのコーラをがぶ飲みする。外見も、身分も、中身まで変わり果ててしまったアイヴィーの唯一の慰めはこれだけ脂質、糖質に偏った食事を摂っても同世代の少女たちと違って肌は荒れないし、太らない事だ。食べればカロリーはすぐに筋肉に変換され、患部の恒常性のおかげか肌のツヤは手術前より断然いい。美容に関して言えば自分は綺麗になったのかもしれない。そう自分に言い聞かせて現状の納得に努めていた。

「ふう……」

 大量の包み紙をゴミ箱にぶち込んで彼女のが終わる。時刻は午後八時。溶岩男との戦闘で激しい細胞分裂を利用したせいで全身がけだるい。体が資本な仕事に従事している事もあり、アイヴィーはこのまま寝てもいいかと考えていたが――

「……ブロッサム」

 アイヴィーはこの部屋で唯一の私物である写真立てを見つめる。そこには焼け焦げ、かろうじて二人の少女が写っていると分かる写真が埋め込まれていた。

 事故現場であるアイヴィーの生家、そこから回収できた彼女の唯一の私物。手を取り合って微笑む金髪碧眼の少女二人は幸せが溢れんばかりの笑顔を彼女に向けていた。

「あ……そう言えば」

 アイヴィーは支給品のズボンとシャツ、制服のジャケットを身に纏いアパートを出る。冬の夜は容赦なく彼女から熱を奪うがそんなことは気にならなかった。街の隙間からあらゆる甘い匂いが漂う中、彼女はひたすらに道を駆ける。目的地に向けてひたすら真っ直ぐに。

 そう言えば今日はブロッサムの誕生日じゃない。


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