1-3

「このっ! 化け物め! なんで匂いがしないんだ! お前も人工怪人にせものじゃないのか⁉ 一体……一体何なんだ!」

 岩石のように変質した筋肉を揺らしながら怪人は突進を始める。思ったより速い。アイヴィーがそう評価をした瞬間彼女は地面を蹴り、一瞬で相手の懐に潜り込んだ。

「⁉」

「はあっ!」

 蹄を発達させた籠手の右ストレートが、怪人の岩石状の腹部に亀裂を生じさせる。ダメージは余すことなく十全に相手に伝わった。この怪我なら相手も倒れてくれるはず――

「……⁉」

 と油断した時だった。怪人の亀裂から真っ赤な光が漏れ出し、籠手が溶け始める。今度はアイヴィーが驚く番だった。

「死ねぇ!」

 亀裂は怪人の全身に走り、周囲に熱気が広がり始める。アイヴィーは角の触覚から熱が一番薄い箇所を感じ取り、そこをめがけて離脱した。

 次の瞬間怪人の亀裂からマグマのような体液が噴き出した。吹き付けられた場所は街路樹、アスファルトの道路、建設中のビルの鉄筋など材質の区別なく溶かす。防御に優れたウォリアータイプの隊員たちも飛沫だけで体表が赤く変色した。

「見たか。これが俺のフェーズ4の能力だ。あんまりにも強力で集団では使えないのが玉に瑕だが、お前が仲間を奪ったことでようやく本領発揮だ。俺はしんがり、仲間の無念を晴らすべく一人で戦ってやる!」

 岩石の体表に真っ赤なマグマの脈動が広がる。溶岩男へと能力を発達させた怪人は攻撃を避けきったアイヴィーに驚くも、自信の能力が引き起こした状況に満足し鼻を鳴らす。

 怪人病、正式名称「後天性変異病」の病状は大まかに分けて四つに分かれている。発症し始めのフェーズ1。部分的に肉体が変異するフェーズ2。全身が患部となり人間の姿と怪人の姿をコントロールできるフェーズ3。そして特異な能力を発揮するフェーズ4。

 溶岩男のマグマの熱を発揮する体液はフェーズ4に由来する能力だろう。確かに彼が言う通り彼を中心に強烈な熱が発生している。アイヴィーは自分の外見のベースが山羊であり、体毛を鬱陶しく感じ始めている。

 人命を優先に気絶させたのが裏目に出た。アイヴィーは頭の中で毒づきながらも作戦を組み立て直す。相手がフェーズ4だからなんだ。自分だって同じフェーズ4。いや、持っている能力だったらキメラタイプである自分の方がもっと応用が利く。

「隊長さん。ウォリアータイプのだとあのマグマ相手にどれだけ持ちこたえられますか?」

 アイヴィーは再びインジェクターで薬品を注入しつつ、通信を始める。

「そうだな……隊員のダメージを見る限り二回受けたら危険だな。変身を解除しても間違いなく痕が残る」

「……そうですか。では出来るだけ被害を出さないように戦います。もし街の重要な施設やまだ取り残された人がいたら、私がそれを取りこぼしてしまったらカバーをお願いします。限界が来たらいつでも離脱してください。出来るだけ相手を引き付けます。皆さんは自身を含めて人命を最優先で」

「了解したが……どういうこと――」

 隊長が言い切らないうちに背部の翅を崩壊させると、アイヴィーは再び右腕を構えて溶岩男の方へ飛び出した。

「山羊だかなんだか知らないが、速くても同じ動作は意味ないんだよぉ!」

 溶岩男は腹部に熱を集中させる。アイヴィーに向かって一点にマグマを吹き付けるつもりだ。

「まったく同じじゃない」

 同時にアイヴィーも準備を終えていた。左腕の白と黒のつなぎ目、そこから縫合痕のように緑の糸が走り葉を茂らせながら数本の蔦が生え始める。蔦は縄のように太く茂ると溶岩男の死角から忍び寄り彼の首に絡みつく。

「なっ⁉」

 アイヴィーはヒールを鳴らしながら思いっきりバックステップを踏んだ。溶岩男は前につんのめり、地面に倒れるとマグマを暴発、全身に亀裂を走らせた。

 アイヴィーの能力、キメラタイプは薬品を投入することで人工的に備えられた患部の能力を発現させることが出来る。山羊のベースに虫の翅、植物の蔦、状況に応じてアイヴィーは常に最善手を打つことが出来るのだ。

 これで終わって! アイヴィーは地面で伸びる怪人の頭部に向けて山羊の強力な脚力を活かした蹴りを入れる。怪人病フェーズ3からの能力は変身が解けるまで終わらない。彼女は一思いに彼を気絶させて状況を終わらせるつもりだった。

「……ふっ」

「!」

 瞬間、溶岩男の背部が弾けた。真っ赤な溶岩弾が周囲に激しく飛び散る。

「なんだこれ!」「熱い! 熱い!」岩石のあまりの速さに巻き込まれた隊員たちのパニックが広がる。隊長はアイヴィーの指示通り溶岩弾を弾きつつ、無事な隊員たちと共に負傷者を避難させ始めていたが――

 これでは……あの少女は……。隊長は爆心地を見つめる。そこは噴煙と患者特有の甘い匂いが混ざって焼き菓子のような香りが広がっていた。そして煙が晴れるとそこには焼けただれた上半身の皮膚を露出させたアイヴィーの姿があった。

「ハッハッハ。俺達怪人を舐めるんじゃねえ。俺達は力を持った。人間が怪人を虐げる時代は終わったんだ。それを邪魔する奴はガキだろうと警察だろうと容赦はしねえ」

 首に巻かれた蔦を消し炭に変え、溶岩男の視線が警官たちに注がれる。内側からぐつぐつと体液が漏れ出し、次はお前たちの番だと力を沸騰させる。フェーズ3の、ウォリアータイプの力では耐え切れない。相手の熱にあてられて彼らは尻込みを始める。その様子が溶岩男の満足感をさらに満たしてゆく。怪人の一歩に警官たちはじりじりと後退を始めた。

「そう……ね。私達……は力を、持っ……ている……わ」

 まさか。熱を帯びた怪人の背に悪寒が走る。振り向くとアイヴィーは左手にインジェクターを持ち、薬液を首輪に注入していた。驚くべき事に爆発を受けたというのに左腕の白い部分だけは何事も無かったかのように無傷だ。火傷も、溶岩片による傷さえ存在しない。無垢なままの滑らかな素肌が独立した生き物のようにインジェクターを操作し薬液を注入する様子にその場の誰もが言葉を失っていた。

「綿あめ……の機械の砂……糖……を焦がす匂い……する」

 そして、薬が循環を終えると左腕の体表が、白い膜がアイヴィーの体に一斉に広がって行く。まるで映像を逆再生するようにダメージは再生し、元の黒山羊の姿に戻る。

「また寿命が縮まった……。完全に癖になっている」

 べえええ、と呟くとなにも無かったように構えを取る。今度こそ敵を仕留める。アイヴィーの目はそう語っている。そこには溶岩男への恐怖が一切浮かんでいない。それどころか――

「お前……お前は一体……なんなんだよ!」

 溶岩男はアイヴィーに向けてバスケットボール大の溶岩弾を立て続けに発射する。アイヴィーはそれを作業のように右腕の籠手、蹄のヒールで砕き、蔦で弾き、破壊できそうにないものは肉体で受け止めた。その度に彼女の左腕が沸騰し肉体におけるダメージがリセットされる。

 いや、それどころか溶岩弾の強度に合わせるように籠手とヒールの硬度が増し、二人の間の距離は少しずつ縮まってゆく。

「ちょっと細胞分裂が得意で、しぶといのが取り柄の怪人よ」

 溶岩男の熱は足元のアスファルトの地面を溶かす程上昇している。防御に優れたウォリアータイプとて今の彼に触れれば火傷だけでは済まされない。それなのに彼の精神は反比例するように恐怖に冷えはじめていた。殴れば、火炎弾をぶつければ何でも壊せる。今までそうしてきたのに、それなのに目の前の少女は恐怖一つ感じていない。それどころか――この表情は無関心だ。目の前のコイツアイヴィーは俺を倒す事をその辺の石ころを蹴る程度の雑事としか捉えていない。あの濁った黄色の瞳は「生きたい」と主張する俺達の事を全く見ていない。

「やめろ! 寄るな! 来るな! 来るんじゃねえ!」

 アイヴィーは一歩一歩ゆっくりと距離を詰めていく。溶岩弾の威力に適応したのか、彼の火炎はもう彼女の毛一本すら焦がすことが出来ない。

「クソっ、クソっ……うっ……⁉」

 溶岩男の体が急速に冷え始める。溶岩弾の精製が止まり、彼の動きは旧火山のように鈍り始める。

「そんな驚いた顔をして……あなた自分がどれだけ能力を乱発したのか分からないの? カロリー切れ、怪人の典型的な敗北原因よ」

 ハッ、と溶岩男の目が見開かれる。気づいたころには彼の岩石の盛り上がりは筋肉に戻り肉体の硬度は失われつつあった。

「やっと抑制剤が打てる」

 アイヴィーは彼のすぐそばに近寄り、首筋にインジェクターを挿入した。中の薬品は怪人病の抑制剤と麻酔の複合薬。男は敗北を悟った瞬間身も心も能力も眠りについた。

「……状況終了」

 アイヴィーの姿も怪人態から人間態へと戻る。大き目の制服に身を包んだ碧眼の少女。彼女はドロドロに焼け焦げた街中に佇むには場違いなほど表情に凛々しい美しさをたたえているが、これは紛れもなくこの少女が――濁った黄色い瞳で冷徹に怪人を追い詰めたこの少女が作ったものだ。警官たちも変身を解き、すっぴんの目で状況を確認する。しかし、今一つこの状況を飲み込めないでいた。

「あの……」

 その状況で動いたのはやはりアイヴィーだった。彼女は真っ直ぐ隊長の下へ駆けつけ彼の顔を澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめる。

「……ああ、何かな」

 それはあまりに真っ直ぐな、意思のこもった目だった。隊長は思わず体をこわばらせる。二人の様子に隊にも緊張が走った。

「今回は協力ありがとうございました。皆さんのおかげで死者はゼロ、街の被害も最小限で済みました。私みたいな得体のしれない者の作戦を実行してくださり感謝しかありません」

 重ねて「ありがとうございます」とアイヴィーはお辞儀をした。これは本当にあの黒山羊怪人なのだろうか。あまりに自然な少女らしいしぐさに一同はあっけにとられる。

「いや、作戦においては君たちの機関の方が上位の権限を持っている。私からも礼を言わせてくれ。君の活躍のおかげであれだけ強力なフェーズ4相手に勝利できた。私達だけじゃ多分ドロドロに溶かされていたからね。私達は見ているだけで、すべてを君に丸投げする形になってしまったが――」

「いえ、戦うのは、憎まれるのは私一人でいいんです」

 緊張が抜け、隊長は饒舌にしゃべりだしたがまたもアイヴィーによって阻まれる。いつの間にか彼女の後方にトレーラーが止まり、防護服に身を包んだ男たちが怪人と怪人が放った溶岩弾の回収を始めていた。

「それでは」

 アイヴィーはそう言い残すとトレーラーに乗り込み現場を去る。いつの間にかそこには怪人たちが残したはずの血痕や牙等がすっかり回収され、破壊の跡だけが残っている。

 警官たちは何も出来なかった。まるで狐につままれたように周囲を呆然と見ている。

「やった……のか……」

「俺達、街を守ったんだよな……」

 冬の風が彼らの目と興奮を覚ますように吹き付ける。ここにはもう患者特有の甘い匂いも、怪人が放っていた強烈な熱波も無い。デモ隊の喧騒も何もかも無くなってしまったのだ。

「……状況終了」

 隊長がそう告げると街にはぞろぞろと人が戻り始めた。彼らは壊れた店や家屋の確認を始めたり、ティータイムの続きを始めたり、破壊痕を背景に自撮りや動画の撮影を始めた。そこには先ほどのデモの緊張感など存在しなかったと言わんばかりに、人間の生活が当たり前のように再生を始めた。

「……」

 警官たちはその日常の光景に違和感を覚えながらも徐々に現場を去ってゆく。しかし彼らの中には一様に、あの強力な怪人に対して一方的に勝利をおさめた怪人少女の姿が刻み込まれていた。

「あの少女は一体……何者なんだ……?」


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