第26話 【続・男と女】SFPエッセイ126
男:最終的にはなんだっていいんだよ。どんな姿勢をしていたって構わないんだ。でもな、それだと自分で自分がどんな格好をしているか把握しきれなくなっちゃうんだな。だからわかりやすい形に固定して、自分がどんな格好をしているかパッとわかるようにしておくのがいい。それが結跏趺坐(けっかふざ)であり、法界定印(ほっかいじょういん)だ。固定されて動かない。一度決めればイメージしたまま保てる姿勢。でもまあ、無理して保てないなら、そんなことやる必要もないってこった。
女:なあに? あの2人のことは最初から知っていたわよ。当たり前じゃない。全部あたしが用意したんだから。あの子たちが誰にも邪魔されずに暮らしていけるようにあたしがここをつくったんだから。え? あたしたちのこと知らなかった子がいたって? いいのよ。別にあたしは大家になろうってわけじゃないんだから。あの子はね、一番最近入ってきた「線路」のあの子は、そういう子なの。自分のことっきり関心がないの。ここがどこか、オペラ座かどうかも関係ないかもね。でもここじゃなきゃダメなの。あの子は外では食べていけないわ。
男:それから拳を握って全身を軽く叩く。これだって別にやってもやらなくてもいいんだ。でもやった方がいい。っていうのはさ、あんた、いま服を着てるよね。身体中あちこちの皮膚が服と接してるよね。でもそれをいちいち感じてるかい? 感じてねえだろ? 感覚器官としての触覚はもちろん感じてるのさ。でもあんたの脳の中のどこかで、それをいちいち感じると煩わしいからマスキングしてるわけだ。それをはがすのさ。マスキングしない状態にするんだ。
女:外で食べていけないのはあの子だけじゃないわね。「波乗り男」もだし、あたしも同じ。目立つからね、あたしたちは。いろんな意味で。どうしてなのかしら。外見はあんまり変わらないと思うんだけど。どう? そうでしょ? そうなの。外見は変わらないのにどこか変な感じがするのよね。みんなそういう。どこかが違う、どこか変だって。そりゃそうよ。別な種族なんだもの。ほんとかどうか、あたしは知らないけど、あなたがたは、あたしたちの祖先が自分に似せて作った種なんだそうよ。元々は別物ってこと。そんなこと言われたら、あなたがたのプライドが傷つくかもしれないけどね。
男:拳で叩いて全身の皮膚感覚を蘇らせる。上腕の内側とか、腹回りとか、背中の真ん中あたりとか、太ももとか、頭皮とか、頬とか、とんとんやってみな。こんなところも感覚があったんだってびっくりするから。セックスにも役立つぜ。みんな皮膚感覚をマスキングしてるから、ちょっと意外なところを刺激するだけで未知の快感と思い込むんだ。ほんとは逆だ。もともとある感覚を勝手にマスクして隠しているだけなんだ。それをただ表に出してやるだけなんだ。なのに新しい性感帯を開発されたと思い込んでびくびく反応するわけさ。面白いだろ?
女:あたしはいいのよ。あなたがたと全然違うって最初からわかってるから。一緒になりたいと思ったこともないし、時々暇つぶしの相手になる子を見つけられればそれで十分なの。いまでこそ、もっといい場所があるかもしれないけど、当時はここが一番良かったのよ。なんと言っても食べ物に困らないから。オペラを観に来る観客の中には金回りのいいのが多くてね、ちょっといい思いをさせてあげると献身的に貢いでくれてね。そもそもでいえば、この建物の中に隠し部屋がいっぱいあるのだって劇場主がしもべになってくれたからなのよ。
男:セックスでメロメロにしてしもべをつくる話はあとにしよう。結跏趺坐、法界定印、全身の皮膚感覚の覚醒。これで準備万端だ。目を半眼にするのも本当はどうでもいいんだ。でもビギナーなら素直に半眼にする方がいい。目から入る情報は強すぎるからね。あんたたちの脳の中では皮膚の触覚をマスキングするのと逆に、目から入る視覚を強調しすぎなんだ。そのバイアスを取るには半眼くらいがちょうどいい。目を閉じるのはダメだ。視覚をなくしたいわけじゃない。それじゃあまたバランスが崩れちまうからな。
女:あたしたち3人はきわどくバランスが取れているの、わかるかしら。「波乗り男」は本当は名声が欲しいの。できることなら表舞台で名演出家になりたいと思っている。でも、本人はそれはできないと思っていて、だからああやってプリマドンナのコーチをせっせとやってる。「線路と少年」は他人のことなんかどうだっていい。けれど自分が思いついたことを誰かに聞かせたくてたまらない。だから目に付いた俳優や裏方を捕まえては守護天使とか生まれ直しについて話している。あたしは世話焼きなだけ。受け入れるのが好きなのよ。
男:そうそう。受け入れる。それが肝心だ。あんたたちの一番最近できたばっかりの脳は「いる/いらない」「好き/嫌い」「いい/悪い」ってなんでもかんでも分けちまう。目から入る情報を強調して、皮膚から入る情報をマスクするのもその流れだ。その「分ける働き」を眠らせるんだ。そしてそんな脳みそがなくてもできること、つまり呼吸をしたり胃腸が動いたり心臓が拍動したり、いいも悪いもなくただ知覚する状態を味わうんだ。「いい/悪い」を判断しなくてもあんたはそこにいる。それ以前の存在としてそこにいる。それを味わうんだ。
女:男って嫌よね、理屈っぽくて。そんなこといちいち言葉にして説明しなくてもただ感じりゃいいのに言葉にしないと気が済まないし、言葉にすると偉いと思ってるのね、どこかで。変な話でしょう? だって言葉より前の世界のことを話すのにいっぱいいっぱい言葉を使ってるんだから。あんなのじゃダメなのよ。ごちゃごちゃ言わずにただ受け入れればいいだけなの。ご大層に言葉をくっつければくっつけるほど、偉そうで敷居が高くなるだけなんだから。ほんとはそんなの、みんな毎日やってることなのよ。寝ているときに、ね。
男:大事なのはこの状態をいつでも引き出せるようにすることだ。人間の脳を眠らせ、霊長類の脳を眠らせ、哺乳類の脳を眠らせ、爬虫類の脳を眠らせ、両生類の脳を眠らせ、魚類の脳を眠らせ、そうやってどんどん遡って昆虫や軟体動物や海綿や単細胞生物のただ刺激を受け取っていた状態に立ち戻ることだ。一番最初の最初はそうやって刺激を受け取ると刺激の元に近づくか刺激の元から離れるかだけで反応していた。「食べて生き続ける/逃げて生き続ける」の2つさ。それがおれたちの原点の原点だ。おれはこのメソッドを「知の起源」と名付けてるのさ。どうだい、あんたもやりたくなってきたろう?
女:何が「知の起源」さ!って、あたしなんか思うんだけど、どうしたもんか、ああいう言葉に弱い子がいるのよね。なんだか小難しい言葉をわーっと言われると訳わからなくて尊敬しちゃったりぽーっとしちゃったり。まあおかげであたしたちがこうやって生きてこられたからいいんだけどね。え? おかしいって? 何がおかしい? 時代がおかしい? 「波乗り男」の作者が生きている時代に演出していたら、もう100歳を超えているはずだって? だからどうしたのさ。おばかさんね。あたしはこの劇場が建てられたときからここにいるって言ってるじゃないのさ。ここが建てられたのは18世紀の末よ。言ったでしょ? あなたがたとは種が違うって。それにだいたい男と女の声で同時にしゃべれる人間なんている?
男:ああ、こわがらないで。あんたには見込みがあると思うから話を聞かせてやっているんだ。メディテーションだのマインドフルネスだのありがたそうにやってるけど、あんなのはおれがちょっと手ほどきしたらたちどころに身につくのさ。そして視界が一気に開ける。そして悩みなんてなくなる。安心しなって。おれがまず全身の皮膚の感覚を目覚めさせてやるから。
女:大丈夫よ。あたしがいる。ちゃんと見張っててやるよ。男の方が悪さをしないようにね。そうそう。一つの身体の中に男女の人格が同居しているの。不思議でしょ? こうやって両方の声を同時に出して別々なことをしゃべってるのにあなたがた人間にはちゃんと両方の意味が伝わっている。たぶんもうあなたは人間の脳以前の知に遡れているのよ。こわがらないで。悪いようにはしないわ。あなたは進化するの。え? なぜ「続・男と女」って呼ばれているのかって? それはね。初代の「男と女」がいたんだけど、わたしたちが食べてしまったからなのよ。
(「【続・男と女】」ordered by 冨澤 誠 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・長命種などとは一切関係ありません。
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