第24話 【波乗り男】SFPエッセイ124
よく調べたらオペラ座には怪人が3人も住み着いていて、何を思ったかこの3人が、のこのこと人前に姿を現しトークショーを開くことになった。波乗り男は、3人の中の1人だ。わざわざ断るまでもないことだろうが、誤解のないように書いておくと、波乗り男は実際にはサーフィンをするわけではない。当たり前である。オペラ座の怪人なのだから。
誰にも知られずにオペラ座に住み着いて、上演されるオペラ作品に耳を傾け、手厳しい評価を下し、ごく稀に若手のプリマドンナにちょっかいを出したりする。歌い方を教え、振る舞い方を教え、あわよくば嫁さんにしようとしたりする。そしてオペラ座からは一歩も外に出ない。サーフィンなんかできるわけがない。
ではなぜ波乗り男と呼ばれるのか。これまた言うまでもなく、かの歴史的失敗作と呼ばれたオペラの大作『波乗り男』にある。
♫おいら愉快な波乗り男
どこに行くかは波風任せ
だけどいつでも前向きさ
あっちにゆらゆら、こっちにゆらゆら
別名『屋根裏騒動』と称されるこの作品『波乗り男』は、大富豪の息子にして遊び人のマウリッツィオが、夜ごと高級娼館サロン・ガッティーノに出かけて行き、家業にまるで関心がないことに激怒した父親が、執事のグレゴーリオに命じて邸宅の屋根裏を改装してそこにサロン・ガッティーノを含む街区全体を再現してしまい、そこを訪れたマウリッツィオが幻想とも現実ともつかぬ狂態を繰り広げるという、半ばSFじみた設定である。
セットは信じられないくらい豪華で、しかもスケールも壮大で、登場人物も多種多様で人数も多い。物語の後半部分、屋根裏の中に入ってからも、実際にはいないはずの娼婦やマダム、さらには使用人の男や他の客たちや知人・友人・親族と出会い、あるいは意気投合し、あるいは鋭く対立し、ついには決闘にまで至るという荒唐無稽な物語である、設定上は全てマウリッツィオの頭の中の出来事なのに、だ。
タイトルロールの「波乗り男」とは、娼館の(実在の娼館でも、架空の娼館でも両方の)常連客の1人なのだが、物語の進行役として狂言回し的な役目も務める。名前のイメージ通り、そしてテーマソングともいうべきアリアの歌詞通り、きわめて軽佻浮薄で、コメディリリーフそのものだ。しかし終盤で意外な展開を見せる。
物語はやがて、現実と虚構が入り混じり、登場人物たちも混乱に陥り、もうどこにも進まなくなった時、突然舞台は荒れ狂う湖面に移動し、登場人物はことごとく船の上の乗客だということになる。そこに湖面を歩きながら波乗り男が現れるのである。人々は「幽霊が出た」と恐れ慄くが、波乗り男が湖面を歩いていることを知る。奇跡を起こす彼の教えに従う人々は、波乗り男が明かす架空世界の種を受け入れ、物語の袋小路から解放される。
お気付きの方もいるだろうが、湖面を歩く奇跡とは「マタイによる福音書」14章に出てくるイエスの湖上の奇跡のシーンそのままで、罰当たりなことに軽佻浮薄な波乗り男がイエスその人だというのである。この作品が厳格なカトリックのイタリアにおいて失敗作扱いされた背景には宗教的な反感もあるのかもしれない。
戯曲は今読んでも実にユニークで想像力豊かなものなのだが、残念なことに上演作品はついに大当たりすることなく、歴史的失敗作との烙印を押されている。確かに発想は面白いのだが、見終わったあとの観客の反応は「で?」となってしまう。「いっぱい人が出てきて、面白おかしく話が進んで、色恋沙汰もからまって決闘騒ぎまで出てきたけど、全部つくりもの妄想なんだよね?」と。
ひとことで言えば、この物語は西洋向きではないのだろう。
一切皆空という仏教用語に見られるように、東洋においてはこの設定はそれほど違和感がない。というかむしろなじみがあるし、話の座りがいいとさえ言える。セカイ系のアニメなんか、ある意味みんなこんな設定だといえなくもない。前提としていた現実世界はたくさんの平行世界の中の一つに過ぎず、主人公たちはそこを乗り換えながら自我の統一性さえも捨てながら生きている。同じだ。
『波乗り男』の中でのバーチャルな娼館が虚構であったことに文句を言うならば、そもそもオペラ作品そのものが虚構なわけだし、一方でその中の住人たちの振る舞いにあるいは笑い、あるいはハラハラし、あるいは泣いていたのは全て実際の反応である。ギリギリの状況に追い詰められた登場人物たちがあっけなく解放されたように、視点さえ変えれば現実世界の袋小路にも抜け道があるかもしれない。そんな哲学的な含意すら感じ取れるのだが、少なくとも上演された19世紀末にはそのように受け止めた観客はいなかったらしい。
さて、そこで3人のオペラ座の怪人の1人がなぜ「波乗り男」と呼ばれているか、である。
実はこの歴史的失敗作がただ一度だけ喝采を浴びたことがあるのだ。怪人「波乗り男」は、作品の終盤、プリマドンナに「波乗り男のアリア」を歌わせた。これは戯曲にはない演出である。プリマドンナは観客席の後ろから登場し、通路を歩きながらアリアを歌った。先ほどまでの舞台衣装ではなく、オペラの観客が着ていそうな服で。やがて客席のあちこちから歌に合わせて歌いだすものがいて、最後には舞台上の俳優たちも歌いだすという、いまでいうところのフラッシュモブの先駆けのようなことをやったのだ。
二重、三重の虚構世界の枠を超えて現実のオペラ劇場までもまきこんだ大合唱の演出で、そんなものに初めて触れた観客は度肝を抜かれ、なんだかわからないがすごかったと評判になったのだ。ところがこの演出は原作者の知るところとなり、ただちに禁じられた(ちなみに原作者の作品リストからも除外されているため、高名な人物のその名を書けない)。以後、オペラ作品『波乗り男』は失敗作の位置付けのままいまにいたる。
怪人「波乗り男」がその演出を思いついたのはなぜだったのか、近くその謎が明かされる。3人のオペラ座の怪人たちが集うトークショーに聞きに来ていただきたい。乞う、ご期待である。
(「【波乗り男】」ordered by 木村彩 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・近日予定のイベント・二階ぞめきなどとは一切関係ありません。
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