第22話 【お題】SFPエッセイ122

 全く新しい製品を開発する時にマーケティングに頼るのは二番手がやることだ。

 

 というと反論もあるだろう。例えばそう。我が社はマーケティングによって革新的な新製品を続々と生み出している、云々。嘘つけ。

 

 市場を調査するということは、調査の時点で確定している事象であり、すなわち常に「過去」である。いくら調べても「既に起こったこと」しかそこにはない。市場が刻々と変化しているとすると、マーケティングによって得られることは過去分析だ。現状分析ですらない。せいぜいが「比較的最近までの過去分析」だ。

 

 そこから未来を読み取ることができるかもしれない、と人は言うだろう。まだ市場にないものを、あるいは既存のプロダクトやサービスが見落としているニッチを見つけ出し、イノベーティブなマーケットを開拓できるかもしれない、と。

 

 それはないな。全然ないな。見込みなしだ。

 

 なぜなら、真のイノベーションとは「それが登場するまで、そんなニーズがあったことすら想像できないもの」なのだから。登場して、市場に受け入れられ、ヒットしてからは何とでも言える。考えてもごらんよ。

 

 例えば、「聴きたい音楽を持ち歩いてスピーカーのない場所でも音楽を聴けるようなデバイス」に対する市場ニーズなんて、ウォークマンが出現するまで存在しなかった。「電話とメールとインターネットができて好きなように機能を追加できるボタンが一つしか付いていないデバイス」に対するニーズなんてiPhoneの登場まで存在しなかった。

 

 なんだって? 自分はもっと昔からiPhoneみたいなものを欲しかった? 嘘つけ。そういうのを後出しジャンケンって言うんだ。覚えておけ。

 

 全く新しい製品を開発する前に「マーケティングをしないと」という人がいたら「こいつは本気じゃないな」と思うべきだ。あるいは「二番煎じをつくるつもりだな」と言い換えてもいい。肝心なのはこういうことだ。もしも真に革新的なものを生み出したいならマーケティングに頼るな。

 

 過去の優れたマーケターたちを否定するつもりはない。分析や洞察を参考するのは構わない。けれどそれをやるなら、できるだけ自分に関係のない業界のことを調べるべきだ。自分が関わる業界のマーケティングデータなんて眺めても「もう何もかもやり尽くされている」と感じて気が滅入るだけだ。いまぱっと思いつくようなことはとっくにやり尽くされている。当たり前の話だ。それを確認してどうする。

 

 というわけで、今日、おとうさんがぼくにお題を投げかけてきたときにもぼくはおとうさんのアドバイスは聞かなかった。

 

 おとうさんは時々ぼくに「お題」を投げかけてくる。それは自動車のタイヤについた泥を取ることだったり、ゴルフバッグについた草の汚れをきれいにすることだったり、革靴の表面の傷をうまく隠すことだったりするんだけど、だいたい自分でいろいろ調べたりいじったりした後で「おいケンジ、お題だ。やってみるか」と言うんだ。

 

 おとうさんは昨日の土曜の午後からグリーンカーテンに残ったゴーヤの巻きひげに取り組み始めていた。1週間ほど前におとうさんとぼくでぶちぶち引きちぎってゴーヤを外して、そのあとネットに残った巻きひげの残骸をきれいにしようとしていたのだ。

 

 おとうさんはインターネットでいろいろ調べて、巻きひげというのは葉が変化したものだとか、途中で巻きつく回転の向きが変わっているということを知って教えてくれた。午後いっぱいネットを持ち上げて、ネットに残ったままの巻きひげをいじってはインターネットを立ち上げて、ネット上の情報をいじくりまわしていた。ネットづけだ。

 

 昨日は途中でやめてしまって、おとうさんは今日も朝からネットを(グリーンカーテンの方のネットだ)いじりはじめた。天気がいいのでだんだん汗だくになり、ゴーヤのネットをいじったり、グーグルのネットをいじったりしながら、くそ、とか、役立たず、とか、嘘つきめとか、悪態をつき始めた。11時ごろになっておとうさんはぼくの方を振り向くと言った。

「おいケンジ、お題だ。おまえ手先が器用だからこれ、やってみろ」

 

 ぼくが手先が器用だななんて初めて聞いた。

 

 でもぼくも昨日からとうさんの様子を見てうずうずしていたので、すぐにうん、と答えた。おとうさんは「巻きひげは途中で回転の向きが変わっているから、一方向にほどいていこうとしてもそう簡単にはいかないんだ」と説明し始めたがぼくは「うんわかった、やってみる」とだけ答えてネットを(もちろんグリーンカーテンのネットだ)を持ち上げた。

 

 1週間前に引きちぎったゴーヤの巻きひげは、いまは枯れて茶色く変色してネットのあちこちに残っている。試しにそのいくつかを取り除いてみる。なるほど巻きついているのを逆向けにほどいていくと途中で逆向きになったりする。面白い。それから指先ですり潰すみたいにぐにゃぐにゃやってみたり、思い切って力任せに引っ張ってみたりしたけれど、途中でちぎれて残ってしまったり、かえって硬く巻きついてしまったりすることがわかった。

 

 それから突然解決が訪れた。

 

 ぼくは巻きひげの端をつまんで、軽く左右にゆすってみた。次の瞬間、巻きひげはゆるんでスルスルと一瞬で抜けてしまった。拍子抜けするくらい簡単にとれた。次の巻きひげも端を見つけてつまむ。左右に揺する。ゆるむ。抜ける。次のも。その次のも。そうか。なるほど。巻きひげは巻きついているから頑固にしがみついているけれど、巻きを伸ばしてやるとしがみつく力が弱まるんだ。だから左右に揺すってやって、巻きが伸びる方向に動いた瞬間、そこからほどけ始めてしまうんだ。

 

 面白くなってぼくは夢中で次から次に巻きひげをほどいた。だからお昼ご飯までにはネットについていた巻きひげを全部はずすことができた。

 

「おとうさん、できたよ」

「バカ言え」おとうさんは缶ビールを片手に出てきて言った。「どれ、見せてみろ。一つ二つ外したからっていばるんじゃないぞ」

 それからおとうさんはネットを(もう、言わなくても大丈夫だと思うけどグリーンカーテンのネットだ)手に取るとしげしげと眺めた。目を細めたり、ネットを近づけたり遠ざけたりしてチェックした。

 

「おい。どうやった!」

「別に」

「こんなに早く外せるわけがない! 新品のネットと入れ替えたんじゃないだろうな」

「そんなものないよ」

「どうやったんだ。教えろ」

「引っ張っただけだよ。そしたら取れた」

 

 ぼくは事実を言っている。引っ張って、左右に揺すって、それで取ったのだから。

 

「嘘つけ」

 嘘つけ、というのは、おとうさんの口癖だ。

「嘘じゃないよ。ほら」

 

 ぼくが指差したところには、ぼくが外した巻きひげの残骸が小さく積み上がっていた。見れば、巻きひげをそのまま外したことがわかる。

 

「なにかコツがあるんだな」

 おとうさんが言った。その通り。なかなか鋭い。

「ネットで調べてやる。Siri、巻きひげの上手な外し方を調べてくれ」

 

 たぶん、載ってないよ、そんなもの。載っていたとしても面白くないよ。ぼくはぼくが見つけた方法が一番だ。ああそうだ。今からこの話をぼくがネットにアップすれば(グーグルの方のネットだ)、おとうさんはそれを見つけることができる。でもね、それは二番手のやることだ。グーグルのネットより前に、グリーンカーテンのネットを触ろうよ。

 

(「【お題】」ordered by 中藪 規正 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・我が家の家庭事情などとは一切関係ありません。

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