第20話 【天地人】SFPエッセイ120

 2016年9月19日記。

 

 このところずっと憲法を書いている。

 

 憲法を書いていると言うとたいてい誤解を受ける。「改憲派だったんですか?」というのが誤解の主なポイントだ。「天皇の位置付けは?」「9条はどうするんだ?」「自民党の改正草案との関係は?」まあまあ落ち着いて。ぼくが書いている憲法は、あなたの思っているようなものとは全く関係がないものなので。

 

 ぼくが書いている憲法は、世界で最初に作られる憲法だ。大日本帝国憲法も日本国憲法も、もっと言えば海外のよく参照される憲法もどれも存在しない世界において書かれる最初の憲法だ。わかりにくい? じゃあ、こう言ったらいいかな? 国内外の『ゴジラ』シリーズ30作品がひとつも存在しない世界で最初の巨大不明生物映画を撮るようなものだ。もっとわかりにくい? OK。気にしないで。要するに、大日本帝国憲法も日本国憲法のいずれもベースにもしないし、参照もしない。起草の段階ではゼロから好きなように書いている。

 

 誤解を恐れずに言えば、ぼくが書いているのは「憲法」と呼ぶ必要すらなく、いまから独立国を作るとして、その国では何を大事にして、どういう社会をよしとするのか。その国が目指す理想形を書き記したグランドデザインブックだ。

 

 ぼくに向かって「天皇の位置付けは?」「9条はどうするんだ?」「自民党の改正草案との関係は?」と問いかけた人たちに、逆に聞き返したいのは「あなた方が思っている憲法って何ですか?」ということだ。「どうしてすでにある70年も1世紀以上も昔の遺物にとらわれなきゃいけないのですか?」ということだ。

 

 言葉を現代人にわかるようにすることが目的なら「用語アップデート20XX年版」の形式で10年おきに同時代版解説を添付すればいいだけのことだし、てにをはの微修正レベルも同時代版解説の中で済む。もしも立憲主義を廃して全体主義に回帰するような大改変なら、よく似た文面でいじくりまわすではなく、がらっと変わった文面で堂々と新たに起草すればいい。小手先の微修正の振りをするなど詐欺師めいている。

 

 とういうわけで、どんなに頭の固い人でもそろそろわかってもらえたかと思うが、ぼくが書いているのはまっさらな紙に最初の一文字からぼくが考えぼくが吟味した言葉を記すもので、過去に存在したどんな憲法にもとらわれることがない。似ているところもあるだろうけれど、それはその考え方、言葉の選び方が先人と一致したということだ。

 

   *

 

 なぜこんなことを始めたのかというと、きっかけは五日市憲法に出会ったことだ。妻と一緒に見学に行き、実物を見た。五日市憲法は、明治時代の初期につくられた、いわゆる「私擬憲法」の一つで、1968年になって旧家の土蔵の中から発見された。この話は、ちょっと神話めいていて好きなエピソードだ。五日市憲法の発見も素敵だし、それ以外の私擬憲法の話も素敵だ。

 

 私擬憲法というのは、大日本帝国憲法に先立って日本のあちこちで若者たちが議論し起草したもので、確認されているだけでも60以上あるのだという。ぼくが妻と一緒に見に行った時は40以上あるという解説を受けたので、その後もどんどん発見されているのだろう。見学に訪れたのが何年前のことだったろうか、その数年間でそんなに見つかっているということは、実際にはもっともっとあるということだろう。

 

 どうだい? 素敵だろう? 1880年ごろ、140年昔の日本では、国のあちこちで若者たちが、自分の頭で考えて、自分がどういう国に住みたいをルールブックにまとめようとしていたんだ。むろん彼らは外国の憲法を参照したかもしれないけれど、それを一言一句、自分たちの言葉で日本語として最初に書きつけたんだ!

 

 ぼくはそれを見て感動した。そして当時の日本のいたるところで一斉に「こういう国に住みたい」と自分たちで議論して自分たちの言葉で思いの丈を書きつける若者がたくさんいた事実に、本当に震えるほどの感激を味わった。そしてと思ったんだよ。「そうでなくては」と。いつの時代だって若者たちが、いや若者に限らず全ての人が「自分はこういう国に住みたい」ということを自分の頭で考えられて、自分で書きつけられるようでなくては、と。

 

 別に大層な話じゃない。「弱い者いじめをしない」「解決策に暴力を用いない」「不平等を生むルールは禁止する」。なんだっていい。思いつくままに書きつければいい。「嘘はつかない」「悪口を言わない」「人の話をよく聞く」。小学校の学級の約束レベルみたいな言葉の中にも重要な内容が含まれている。もしそれが社会にとって本当に重要なことなら、国の最高の憲法にも書かれているべきじゃないか? ぼくはそう思う。

 

 ひとつだけ残念なことがある。ぼくには友達がいないので、仲間と一緒にわいわい考える機会がない。本当はこういうのは何人かでわいわいやれれば一番いい。妻も感銘を受けたようで、その後わざわざ五日市憲法やその他の私擬憲法について人に話しているのを聞いて、思いは同じなんだなと思った。けれど、なかなか夫婦でこういう話をやるのは難しいのだ。

 

 ああ。不満ついでにもうひとつ言うと、ぼくには時間がない。ちょっとスケジュールが忙しすぎてね。もう、身体もついていかないということもあるけれど、ぼくの憲法を完成させるには時間が足りないんだ。みんなは「年齢の割にお若い」とか言ってくれるけれど、自分だってそんなに先が長くないことは知っている。だから本当はぼくはぼくの私擬憲法に専念したいんだ。このままでは書き上げられずに終わってしまうかもしれない。それはとても心残りなことになる。

 

   *

 

 さて、そんな嘆きを誰が聞きつけたのか、非常に意外なことに解決策が訪れた。詳しいことは言えないけれど、《天地人》がやってきた。ぼくはこのサイト《天地人》の主宰ということになった。このサイトではみんなが自由に憲法を書くことができる。ぼくはぼくの基本形を提示する。グランドデザインの中でもとりわけコアな、絶対にゆずれないポイントを提示する。例えばぼくは今それを「評価を加えず受け止める姿勢」というものにしようと考えている。それに賛同する人はぼくの憲法に条文を書くことができる。ぼくがコアに照らし合わせて判断し、どれを採用するかを決め、文章を整え、編集し、憲法の形にしていく。

 

 ぼく以外の「我こそは」という人も、それぞれの「コア」を提出し、ぼくとは別なバージョンの憲法を作成できる。そっちの「コア」を気に入った人はそれに合わせてつくればいい。「悪い奴はぶちのめす」というコアがあってもいいし、「大事なことは次の世代とその次の世代を基準に考える」というコアがあってもいい。

 

 その結果、《天地人》の上には無数の私擬憲法が生まれることになる。もしくはその途中形が公開されることになる。自分が住みたい国の理想像を誰でも考えられるし、他の人の考え方を参照できるし、同じ国に共に暮らす他の人と自分の違いを冷静に評価することができる。そして、それこそが、自分の住みたい国の形や、めざしたい未来を誰もがてんでに考えて議論できるということそのものが、憲法が一つ二つ生まれることよりも、実はもっと大事なのである。

 

 ぼくはもうそんなに長生きはできない。とっとと隠居して憲法作りに熱中したかったけれど、そしてそういう気持ちは伝えたつもりなのだけれど、どうやら、もうしばらくは周りがそれを許してくれそうにない。だからぼくとしては《天地人》に未来を託したい。

 

 ああそうだ。これは言っておかなくては。ちょっと改まって。

 

 主宰として挨拶できるのもこれが最後かもしれません。あるいはこの挨拶文──名もしれぬ、馴れ馴れしい口調の民間人が書いた虚構エッセイの姿をした挨拶文──も消されてしまう可能性もあります。魚拓(で、いいんだっけ?)でもなんでもとって、広めてください。そして《天地人》で思う存分、新しい憲法を書いてください。

 

 そこにはぼくや、ぼくの一族について触れるべきかどうかなんて遠慮は一切要りません。あなたは、どういう国に住みたいか。あなたの大切な家族や友人や、とりわけ未来を受け継ぐ子どもたちにどういう世界を提供したいか。そのことだけ考えて、素敵な私擬憲法をつくってください。

 

 憲法なんて読んだことがないという人も「自分は素人だから」と遠慮する必要はありません。《天地人》には、何人かの物腰の柔らかい憲法学者たちもいます。そして押し付けることなく、いろいろなアドバイスをしてくれます。あなたがどう生きていきたいのか、何か一つでも願いがあるならば、あなたには参加資格があります。

 

 それでは、存分に楽しんで!

 

 PS.

 いま書いていて思ったんだけど、ぼくの憲法はたった3文字でいいのかもしれない。《天地人》の3文字で。

 

(「【天地人】」ordered by 阿久津 東眞 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・おことばなどとは一切関係ありません。 

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