第19話 【Not yet】SFPエッセイ119

 今朝、悟りを開いてしまったので、そのことを書く。

 

 このところ、かねてから「こいつらは本物の天才か、さもなくば狂人だ」と思っている2人の若い友人に声をかけて、定期的に会って議論をしている。実を言うとこっちには真の狙いがあって、秘密結社コリアンダーの三か条(実際には17ある。秘密結社めいてるだろ?)に基づく革命の同志としての採用を考えている。ただ、警戒するといけないので本人たちにはまだその話はしていない。

 

 おれからは、2人には「一緒に新しい会社を作ろう」と誘いをかけている。そして、3年以内に株式公開に至るビジネスモデルを模索するワークショップを重ねている。実際にはビジネスモデルなんかどうでもよくて、2人の人間性を見極め同志としての適性を見るのが目的なのだが、なにしろ2人とも半端ない天才(もしくは狂人)なので、下手をすると画期的なビジネスモデルも生まれかねない状態になっている。

 

 北アイルランド出身のブライト・オリヴァー・ストーン(映画監督とは関係ない)は真性のハッカーで、コンピュータ・プログラマーとしては当然のこと、壊れたチョロQから社会機構にいたるあらゆるシステムを分解し再構築し、メタ構築する腕の持ち主だ。おれは彼には政治経済から交通通信教育にいたるまで既存のシステムを一瞬で瓦解させるポイントを見つけ出してもらうつもりでいる。

 

 何度名前を聞いても覚えられない何とかいう小さな公国出身のフェアシュタント・ヴェストヴィレは博覧強記の思索家で、スピーチディレクターとして政治家や企業の役員に話し方を教えている。彼には「三か条」の解読を期待している。創始者が4人とも行方不明となった今となっては、「コリアンダー三か条」の真の意味は謎に包まれている。例えば「好き嫌いをなくす」という条文には一体どんな深淵な意味が込められているのか想像もつかない。

 

 おれには才能はない。ただ才能を見つける才能はある。それから秘密結社コリアンダーの創始者4人と──偶然にも別々な機会に、別々な縁でだが──直接会って話したことがあるし、彼らの活動をサポートしたこともある。4人が消息を絶った今となっては、おれがコリアンダーの後を継いで活動するしかない。世界を征服し同時に世界の平和を保つ。それがコリアンダーの使命だ。

 

 それはさておき。

 

 ストーンとヴェストヴィレと話す中で、お互いを論評するというワークを行った。その時にヴェストヴィレが言うには、おれは瞑想ができないタイプに見えるということだった。それはとても不思議に聞こえたので翌日からさっそく瞑想を試みることにした。始めたらどういうことかすぐにわかった。

 

 暗いうちに目を覚まし、軽くランニングをし、パンとサラダとコーヒーの簡単な朝食を済ませ、テラスに出る。ちょうど朝日の出るころだ。おれはザゼンを組み目を半分閉じ呼吸に意識を集中する。

 

 一瞬で寝てしまうのだ。

 

 ザゼンを組む足首が痛いとか、鳥の声が聞こえるとか、雑念が湧くとか、そういうレベルではない。一瞬だ。一瞬で寝てしまう。そして三十分ほどして目を覚ます。朝日に顔を灼かれながら目を覚ます。時には降り始めた雨に打たれて目を覚ます。すっきりと極めて爽快な気分で目を覚ます。1日の仕事もはかどるし、悩み事が解決したりするので便利だから続けているが、瞑想はできない。ただ寝て、ただ目を覚ます。

 

 それが今朝いきなり悟りを開いてしまったのだ。

 

 いつもと同じようにテラスに出て、ザゼンを組んだ。その時ふっと風が吹いた。あ、風だと思った。風はおれのツルツルの頭に触れ、頬をくすぐり、上体もザゼンを組んだ足元も足の裏までも撫でて行った。同時におれの肌は昇り始めたばかりの太陽の放射を受け、光と熱がおれとおれの周りの大気にエネルギーを与え始めた。

 

 それから全てが一気になだれ込んできた。おれを包む香りがどこまでも広がるのがわかった。音はあらゆる方向の遥か彼方からおれのもとに届きおれを通り抜け遥か彼方へ去って行った。目は半分閉じていたのに何もかもが、頭の後ろさえもが見えていると感じた。おれは全感覚で世界を味わっていた。全世界がおれと一つになった。おれは(いや全世界が)何もかもを感じ取っていた。何かを考えている暇などない。あまりにも大量の情報が、世界そのものがおれの中になだれ込み、おれは全世界に拡散し一体化してしまうのだ。

 

 その状態がどのくらい続いたのか、おれにはわからない。

 

 不意にその状態が終わり、おれは大きく息を吐くと……戻ってきた。そう。目覚めたのではない。戻ってきたのだ。寝ていたのではない。夢を見ていたのでもない。このちっぽけな肉体の中に戻ってきたのだ。その時にはもう悟っていた。ああ、これなんだなと。呼吸に意識を集中したり、雑念を払おうとしたりするうちは決して体験できない境地。全ての感覚を開くことでしか到達できない境地。それをおれはたったいま体験したのだ。

 

 そしてあの三か条が何だったのかもわかってしまった。わかってしまったが、ここでは言わない。秘密結社コリアンダーにとっては最重要な文書だからだ。ではヴェストヴィレの仕事はなくなったのだろうか? もう奴に解読させる必要はなくなっただろうか? 「フェアシュタント、悪いんだけどさ、お前の仕事はもうなくなったよ。おれ、悟りを開いちまったんだ」と言って。おそらく奴は答えるだろう。「Not yet!」と。そう。おれもそう思う。「Not yet」だ。コリアンダーの時代をつくるにはまだ不十分だ。この先おれは何度でも悟りを開くだろうし、それはその度により深く大きなものになるだろう。

 

 諸君。悟りを開くのは実に簡単だ。けれども一度悟りを開いたからと言って調子に乗ってはいけない。そこで調子に乗ると魔境に堕ちる。そのことも「三か条」の15条目に書いてある。「もういいかいと言ったらまあだだよと答える」。これだ。おれは今朝体験した悟りにNo.15と命名する。そう「Not yet(まあだだよ)」と。これは全ての始まりのまじないである。

 

(「【Not yet】」ordered by 山口 三重子 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・SFPエッセイ073などとは一切関係ありません。

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