第18話 【攻めろ】SFPエッセイ118
庭先のゴーヤが、根元に近い葉っぱからだんだん黄色くなってきた。
グリーンカーテンをめざしたゴーヤは、葉が十分に大きくなってくれなかった。カーテンと呼ぶには程遠い、すかすかの状態のまま季節を終えようとしている。残念だ。毎年のことながら、なかなかうまくいかない。葉が小さいままだったり、実が大きくならなかったり。高さが不十分だったり、暑い夏の盛りのうちから葉が黄色く枯れ始めてしまったり。年ごとに悩みは違うけれども、まあそんな感じ。
ゴーヤのグリーンカーテンを始めたのはいつの頃だったか。正確なところは思い出せないが、あの、節電の夏よりも前からのことではあった。かれこれ10年ばかりになるのではないか。だから経験を積んでいても良さそうなものだが、まるでお話にならない。根が適当なので(ゴーヤの根ではない、わたしの根だ)、これまでほとんど何も学んでこなかった。
幸いなことに我が家の庭は日当たりだけはいい。水さえやっていればそれなりに育ってくれる。たまに目につく雑草を抜くくらいで、ほとんど何の世話もしない。水をやることと雑草を抜くこと。それだけだ。万事そんな調子でやってきた。わたしが庭の世話係なのだが、園芸家としての知識はなきに等しい。
ゴーヤの本葉が8枚程度の頃に「摘芯」ということをする。親ツルの先端を摘んでしまうのだ。そうすれば上手に子ツルの数を増やせる。そのことを知ったのは、グリーンカーテンを始めてから何年も経ってからだった。暑い盛りには1日2回、朝夕水をやらねばならない。そう知ったのも近年のことだ。最初の頃はツルも伸び放題にさせていた。好き勝手な方向に蛇行し、互いに絡まり合うのを見ているだけだった。マメに巻きヒゲをほどいて軌道修正すればまっすぐ伸ばせる。それに気づいたのも数年経ってからだ。
一事が万事この調子。スローラーナーなのである。スローラーナーという言葉は結婚してからで、妻から教わった。学ぶのに時間がかかる人のことだ。
余談になるが、今朝知ったことがある。しつこい雑草だと思ってせっせと引っこ抜いてきた植物のひとつは食べられる植物だった。もったないことをした! スベリヒユといって、トルコやギリシャあたりではサラダとして積極的に食べられているらしい。いままで一体何百本引っこ抜いてきたともしれない。それがなんとオメガ3脂肪酸がたっぷりの食用植物だったのだ。栽培すればよかった。それこそ何の世話もいらない、わたし向けの植物だ。
閑話休題(むだばなしはここまでにして)。
今年はちょっと変化があった。ツルが伸び始めた頃、息子に教えられたのだ。「葉っぱが大きくならないなあ」とつぶやいていたら、小学校に上がったばかりの息子が指摘した。「実に栄養を取られちゃうからだよ」。なるほど。「攻めろってことだな?」息子の好きなアニメのセリフを使って言う。「攻めろ!」息子は嬉しそうに叫ぶ。
だから実を1つ2つ残して残りを全部摘んだ。今から思えばあそこで心を鬼にして、すべての実を摘んでおけばよかった。そうすれば葉はもっと大きく広がったのかもしれない。攻めが足りなかったのだ。
ただ、おかげで2つだけ残した実がみるみる大きく成長した。そして、過去に我が家で取れたどんなゴーヤよりも大きく育ってくれた。これに気を良くして、他にも何かできる工夫はないかと調べる気になった。「ゴーヤ 葉っぱが小さい」などのキーワードで検索した。すると10年目にして初めて知るようなことがたくさん出てきた。
園芸家には笑われるような初歩的なことばかりだ。他の植物と比べてゴーヤの水の消費量は半端ないらしい。「水食い」と呼んでいる人もいた。事実、朝に同じように水をやっても、昼頃にはゴーヤの根元の土がからからになっている。他の植物のまわりは湿った感じが残っているのにゴーヤのまわりだけ乾燥している。
育てたことがある人ならわかるだろうが、勢いのある時は1日で10cmくらい平気で伸びる。急速な成長には炭素が必要だ。空気中の二酸化炭素から炭素を固定して使う。その反応は光合成で行い、水を必要とする。そして葉を広げる。次々に広がった葉から水を蒸散させる。その水はもちろん根から吸い上げたものだ。
光合成と蒸散。ゴーヤは他のゆっくり成長する植物よりもハイペースで水を使いまくる。そこが肝心なところだ。
「水食い」なだけではない。「肥料食い」でもあるらしい。土の中から必要な栄養をどんどん吸い上げる。成長するには窒素を。花や実にはリンを。葉緑素のためにはマグネシウムを。一夏ゴーヤを育てると土はすっからかんになる。だから同じ土は使えない。連作障害が起きる。なんだそうだったのか。成長しなかったのも、実が育たなかったのも、葉が黄色くなったのもそのせいだったのか。
心の中で家族に言う。
「来年はいい土を用意するところから始めてみるよ」
「スローラーナーね」
妻が笑う。
わたしはスローラーナーだ。短期間で結果を出すことができない。ただ飽きもせずいつまでも続けることができる。周りから馬鹿にされようと気にしない。そんなことをして何の価値があると言われようと平気だ。10年でも20年でも続けられる。誰かに抵抗する気などない。世間のやり方に異議も唱えない。ただ愚直に続けることを大事にする。そこにしかわたしにとっての価値はない。
ダジャレでいうならば、勝ち負けの「勝ち」なんて「無勝ち(無価値)」なのだ。
「ダジャレなんて言わなければいいのに、ばかね」
と妻が諭す。心の中で息子はいつまで経っても最後に見た小学生の姿のままだ。妻はその時々でいろいろな表情を見せる。生きていたらこんな感じという時もある。まだ付き合い始めたばかりの頃のこともある。そしてわたしを諭してくれる。励まし、叱り、慰めてくれる。
「おれ、このままいくとゴーヤ名人になれるかも」
「攻めろ!」
妻が笑う。わたしも笑う。そうだな。笑いながら考える。心を鬼にして実を摘むべきなのかもしれないな。
「攻めろ!」
息子が叫ぶ。
(「【攻めろ】」ordered by 山口 三重子 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・ぼくが今ここにいる意味などとは一切関係ありません。
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