第17話 【バナナワニ園】SFPエッセイ117

 バナナワニ園とは何であったのか? 我々、民にとって、あるいは人類にとって、バナナワニ園とはどういう存在で、いかなる意義を持ち、またどのような役割を果たしてきたのか。この時点で今一度検証してみるのは無駄ではなかろう。

 

 歴史上、バナナワニ園への評価はさまざまな形で行われてきた。しかし、バナナワニ園が圧倒的な権勢を振るっていた時期においては、その評価は公正であったとは言い難い。むしろバナナワニ園におもねり、その意向を忖度する、腰抜けの提灯持ち的なものであったと言わざるを得ない。筆者自身の過去の文筆活動への反省と告白も込めて指摘しておく。

 

 どこから話を始めたらいいだろう?

 

 最近若い人と話していて仰天したことがあった。まず、その話から始めるとしよう。「バナナワニ」というワニは存在しない。現在40歳未満の人にとって、このエリアでかつてバナナワニという生物を飼育していて、それが国獣となって、国名にもなったという説が広まっているが、それは誤りである。あの悪名高い教科書「歴史:バナナワニ園正史」にその通りの記述があったそうなので、本人たちの責任ではないがまず正しておきたい。

 

 確かにバナナワニ園の国旗、いや園旗には、黄色い、つるつるの肌をしたワニの絵が描かれていたが、あれは一種のジョークだったのである。そもそもバナナワニ園とは、バナナをはじめとする日本エリアでは珍しい植物を展示する「バナナ園」と、多種のワニを展示する「ワニ園」とからなる遊園施設だったのだ。

 

 この話をすると、まるでホラ吹き爺さんのように思われてしまうのだが、これは事実である。「なにそれ。バナナとワニを展示するなんて意味不明すぎるでしょう!」と抗議されることもあるし、私自身、なぜバナナ園でもなく、ワニ園でもなく、バナナワニ園などという奇怪な施設が作られるに至ったのか不思議に感じるのは同様なのだが、事実なのだから仕方がない。

 

 現在も城がある場所には、かつてバナナワニ園なる遊園施設があったのだ。そして大災厄の後、数十頭のワニが脱走を企てた。厳密に言うと津波のせいで園外に放り出され、生き延びたワニがあたりを徘徊し始めた。後にバナナワニ園の園長に就任するタカナシ“ワニ使い”アカヒロは、陣頭指揮を取り、このワニの捕獲に成功した。タカナシは、かつて遊園施設のワニの飼育員だったが、大災厄発生の時点では素行不良で解雇されハローワークに通う日々だった。

 

 それが、ワニの捕獲を機会に一目を置かれるようになり、すでにスタッフの大半を失っていたバナナワニ園の園長におさまった。以後、着々と力をつけてやがては事実上の「王」のような存在になっていく。ちなみに“ワニ使い”の異名がついたのは、この時のワニの捕獲とは関係なく、もっと後の話である。

 

 巨大隕石落下に伴って発生した──「日本列島をまる洗いした」と形容された──あの大津波、それに続く環太平洋全域に及ぶ地震・火山活動の活発化のせいで、多くの人命とインフラが失われ、多くの国が壊滅状態になった。日本はその後、「戦国時代に戻った」とも「群雄割拠」とも称された混乱期を経て、最終的には大きく6つの独立国と20弱の自治区になった。バナナワニ園はその自治区の中で最大規模だったのはみなさんご承知の通り。

 

 では、なぜバナナワニ園がそこまでの力を得たかというと、100頭を超すワニを交渉材料として利用したことに尽きる。たとえば、かつて日本の首都だった東京は、女王ヒミコ率いるヤマタイを名乗り、軍事力をもとに一気に周辺の弱小国家を征服したが、小田原・バナナワニ園の連合軍を前に足踏みをすることになった。

 

 その時、ワニの存在がヒミコを踏み止まらせたと言われている。タカナシは園を攻撃するならば、ヤマタイの住宅地に軍用ワニを放つと言って脅したのだ。バナナワニ園は、実際にはこのエリアを迂回して勢力を伸ばすのだが、その一件で一躍勇名を轟かせることとなった。

 

 このようにして“ワニ使い”の異名をとったタカナシ園長だったが、王者の風格からは程遠く徹頭徹尾ふざけた男だった。最後までバナナワニ園は「国」ではなく、あくまで「園」だと主張し、あたかも楽園のように演出した。バナナの栽培と、ワニの養殖を進め、園の面積をどんどん拡大する一方、大麻を栽培・輸出し、外貨を稼いだ。珍しい植物や動物を高値で売りさばき、一財産をなした。

 

 昔から彼を知るものは「大災厄以前はあんなキャラクターじゃなかった」と口をそろえて言うのだが、バナナワニ園を掌握して後のタカナシは、手八丁口八丁のC調男そのもので、ハッタリとマシンガントークの笑いで交渉相手を煙に巻いた。

 

 東のヤマタイも、西の大名古屋も弱小国(というか弱小園)のバナナワニ園にいいように翻弄され続けた。それどころか、北海道を占領したロシアや、平和維持活動の多国籍軍を率いたアメリカ太平洋合衆国、そして各地に平和維持軍を派遣した国際連合とも、まるで対等な存在のように交渉を成立させた。

 

 園内のアトラクションと称して「バナナワニ城」を築いたが、実際には堅牢な要塞にほかならなかった。けれども「園」に暮らす人々からは大きな不満はなかった。貨幣を廃止し、求めれば必要なだけの衣食住が提供される仕組みを作り、あとは働くのも遊ぶのも本人の自由という園内ルールを民は支持したのだ。

 

 現実にはワニを使った恐怖政治に近い独裁政だったにもかかわらず、「園内」の住民からは根強い人気があり、高齢になって耄碌するまで「園の運営」を切り盛りした。本当のところワニにどれほどの力があったのか不明だが、バナナワニ園は実に30年以上にわたって独立状態を保った。二代目園長になってから僅か2年でヤマタイの軍門に落ちたことを考えると、タカナシ初代園長のハッタリが全てだったというのが正しい評価かもしれない。

 

 問題は、ではそのハッタリと、楽園の演出のもと、30年間、園内にとどまった我々は、国民、というか「園民」はだまされていたのか、ということだ。独裁者の言いなりになる愚民だったのか。あるいは、都合のいい運営を続ける限りにおいて園長を支持するしたたかな存在だったのか。

 

 ごく狭いエリアでありながら、巧妙に大国ともわたりあったバナナワニ園には、世界も注目していた。これは世界に、そして未来に通用するモデルなのかどうか。政治学者の何人かは「国であって国でない、経済があるのに経済を排除している」というそのアンビバレンツこそが本質だ、などと大真面目に議論していた。

 

 しかし、二代目園長の登場後すぐに、あえなく崩壊したところを見ると、やはり普遍性のあるモデルではなかったと言わざるを得ない。初代園長のエキセントリックなキャラクターがきわどく成立させた曲芸のようなものだったのかもしれない。

 

 そう考えると、筆者は原点に立ち返って考えたくなる。バナナ園でもなく、ワニ園でもなく、バナナワニ園という奇妙なハイブリッドの中にこそ、その本質があったのではないかと。だから筆者はいま、本来のバナナワニ園の再興を考えている。インターネットを調べたところ100年近く前に作られた、本来のバナナワニ園のホームページがそのまま残っていた。それによると、「当園は本園・ワニ園、本園・植物園、分園の3園分かれております。」と記されている。

 

 分園だって? どうやらそこにも何か秘密が潜んでいるのかもしれない。続報を楽しみにお待ちいただきたい。

 

(「【バナナワニ園】」ordered by 冨澤 誠 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・熱川の施設などとは一切関係ありません。

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