第16話 【生徒会誌】SFPエッセイ116

 ああそうだ。あの頃ぼくはワールドミュージックにはまっていたんだった。一気に昔が蘇ってきた。

 

 1989年、ピーター・ガブリエルが始めたばかりのレーベルを見つけ、映画のサントラとしてリリースされた最初のアルバムを聴いて、ぼくは狂喜したものだ。自分が大鉱脈を掘り当てた気分になったあの日のことを今でも思い出す。当時の誇らしさ、これから出会う音楽への期待感でワクワクしていたことも昨日のことのように思い出すことができる。当時の自分があまりにも無邪気で、青臭かったことへの含羞とともに。

 

 人とは違うことをしたい。違うものを見つけたい。その一心だった。ヘヴィメタだ、パンクだ、スラッシュメタルだと言い争う同年代の友人に背を向けて、六本木WAVEの最上階に通い詰めて、そしてたどり着いたのが、民族音楽のミュージシャンを起用した当時の、いわゆるワールドミュージックだったのだ。

 

 でも単にワールドミュージックと言うだけでは、いかにも流行りもの然としていた。そういった音楽は当時のカルチャーっぽいCM音楽などですでに露出し始めていたし、エンヤだのディック・リーだのを聴いているだけでは、単に流行りものに飛びついただけじゃないかと自分でも内心感じていた。

 

 だからさらに遡行する形で原型の民族音楽も聞くようになっていった。

 

 六本木WAVEは、金もないくせに新しい音楽と出会いたくてたまらないぼくのような小僧には天国そのものだった。試聴を繰り返して、あるいはミュージシャンの名前を、あるいはレーベル名を、時にはジャケットデザインを手掛かりに何枚かのCDを購入し、そのうち1枚でもヒットがあればほくほくと喜んだ。

 

「今日はいい収穫があった!」と。

 

 まるで自分で現地に赴いて世界で最初にその音源を採取してきたかのような喜びっぷりだった。六本木WAVEのフロアをちょっと上下したくらいで、そんな風に勝ち誇っているなんて、今から考えればもちろん笑止千万で、脳味噌がお子様だったと言わざるを得ない。

 

 でも当時は本気で「誰も知らない音を手に入れたぞ」くらいに思っていた。録音されて商品化されて日本の繁華街のCDショップの店頭に並んでいる時点で「誰も知らない」わけがないのに、その程度のことすら思いつかないほど夢中になっていたわけだ。

 

 だから、いま手元にある、この高校2年の時の生徒会誌にもわざわざ寄稿して意気揚々とワールドミュージックのことを書き連ねている。民族音楽とそのハイブリッドミュージックを概観して解説する内容なのだが、高校生が偉そうに解説するまでもないような、ごく当たり前のことしか書いていない。読み返していて顔から火を噴きそうになる。

 

 でもまあ、若さというのはそういうものだ。ぼくはたまたまその道に進まなかったから、こうして恥ずかしい思いをするだけだが、こういう思い込みのまま突っ走って、その道を極める人もいるわけで。周りの見えない、若さゆえの独り善がりな態度にも何がしかの価値はあるのだろう。

 

 文末近くでケドゥマウという少数民族の、特殊な歌唱法による歌をサンプリングしたアルバムについて力説しているが、これがどうしても思い出せない。読み取れるのは次のような音楽だ。ホーメイに似た北欧由来の発声法で、一人が二つないしは三つの音を出し、男女が数人ずつ一斉に歌うことで幻惑的な声の多層空間を生み出す。そこに我らがピーター・ガブリエルが集めたアジア(中には日本人の和太鼓奏者もいる)、アフリカ、そして中近東のパーカションの混成部隊による前代未聞の演奏がからみ、天地創造を思わせる音楽が生み出されているというのだ。

 

 これが全く思い出せない。

 

 ケドゥマウという言葉にも記憶がないし、アルバムのタイトルが記されていないので調べようもない。アルバムジャケットのデザインも思い浮かばないし、だいたいそんな音楽を聴いた覚えもない。けれど間違いなくそれは自分が書いた文章で、その音楽に関する部分以外はまさしく高校時代の自分の手になるものだ。

 

 当時を知る友人に確かめたくても、この勝ち誇った様子を見るにつけ、おそらくその音楽を聴いたのは自分しかいないということを自慢しているようだし、そうなると友人たちは聴いたことがないということを意味する。確認のしようがない。そんな音楽があるなら聴いてみたい。ぼくは高校時代の自分にまんまと羨ましがらされている。

 

 そうか。それが目的なのかもしれない。高校時代のぼくは誰かを羨ましがらせようと思って、ありもしない音楽のことを書いたのかもしれない。だとすると、他の人はともかく、ぼくは、未来のぼくはまんまと担がれたことになる。そう考えると、そこにいたるまでのどうでもいいような常識的なワールドミュージックの解説も、この最後の一つの嘘を成り立たせるための伏線のようにも見えてくる。意外に高校時代の自分は切れ者だったのか。

 

   *

 

 たったいま、白衣を着た見知らぬ人物がやってきて、自分は担当医だと名乗った。担当医など知らないと言うと、大丈夫、あなたは記憶に障害があって、30分ごとに記憶がリセットされてしまうんです、と説明した。だから、会うたびに初対面だと思い込んでしまうのだと。それから男はぼくが書いた文章に目を通しながら「すごいすごい」と連発した。そして生徒会誌を手に取ってこう言った。

 

「いいですか。これは、わたしの高校時代の生徒会誌です。あなたが読んだ文章は、わたしの、いまはもう亡くなってしまった友人が書いたものです。よくまあ、この文章を元にここまでの物語を思いつけましたね。さすがです。あなたは空白の記憶を物語で埋める才能があるのです。わたしの友人にもそんなところがありました。案外、あなたが書いた通り、これは彼の書いたフィクションだったのかもしれませんね。それでは、次はこれなどいかがですか? あなたは女性なんだからこっちの方が向いているかもしれない」

 

 そう言って、ある女子校の生徒会誌を差し出してきた。表紙はいかにも女子生徒が描いた、ちょっとシュールなイラストだ。これを描いたの、誰だっけ? ぱらぱらと中を覗く。何人かの寄稿を読んで懐かしさに胸が迫る。そうそう、美奈子はいつもこんな話をしていた。真面目でちょっととんがっていて。演劇部だっけ? ウベマユのギャグは文章でも冴えてるなあ。四コママンガも超おかしい。扉には学校の写真がある。うん。毎日わたしはこの校門をくぐって通っていたんだった。

 

 生徒会誌を読むと一気に昔が蘇ってくる。

 

(「【生徒会誌】」ordered by 岡 利章 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・加齢による個人的な記憶障害などとは一切関係ありません。

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