第15話 【きみとぼくの親愛なるきみへ】SFPエッセイ115

 親愛なるきみへ

 

 と一行書いてから、もう何日も手が止まったままになっています。伝えたいことはたくさんあるのに、言葉にすると違ってしまうのです。早い話、書きかけたままの「親愛なるきみへ」という言葉だって、こうして書いてしまった瞬間にしっくりこなくなるのを感じます。「そんなもの、決まり文句なんだから気にしなくていいじゃない」と頭では考えるものの、きみへの呼びかけがこれでいいのだろうかと考え出すと先に進まなくなってしまうのです。

 

 親愛の情を持っていない、ということではないですよ? 断るまでもないことですが。ぼくはきみに親愛の情を持っています。尊敬もしているから敬愛と言ってもいいでしょう。ある点では師と仰いでいる面もありますし、当然のことながら気のおけない友人だとみなしています。恋人のように感じることもあります。恋人なんて言われると、きみは迷惑に感じるかもしれないけれども。

 

 ぼくにとってきみは特別な存在なのです。ぼくだけでなく、他の人にとってもそうかもしれないけれど、それ以上に! 熱烈に!

 

 昨夜、真夜中に雨の音で目を醒ましました。ベッドの上で横になったまま、じっと耳を傾けていました。それは激しい雨音で、道路を公園を家々の屋根を垂直に打ち付ける巨大な滝が出現したかのようでした。安全な建物の中にいても、聞いているだけで胸が苦しくなって、もう全然息ができなくなるような音でした。それは、文字通り息つく間もないほど時間を隙間なく埋め尽くし、そして落下し続ける水が空間全体を埋め尽くしているような圧倒的な轟音でした。

 

 きみはどうしているだろう? きみは眠れているだろうか? ぼくと同じように目を覚まし、この恐ろしい音に身をすくめていはしないだろうか? そう考えるとぼくは狂おしいような思いにとらわれました。

 

 いやいや。きみは外界の音などに煩わされない、堅固な建物に守られているはずです。ぼくなんかとは比べ物にならないくらいしっかりした環境にいるはずです。自分に引き寄せて考えるなんてきみに対して失礼な事をしてしまいましたね。申し訳有りません。でも、あの轟音はどんなに堅固な建物であってもかすかに伝わっていたはずです。それがきみの眠りを破らなかったことを祈ります。

 

 ただでさえ恐ろしい音が轟いているのに闇を切り裂いて冷たい光が一瞬ぼくの部屋を照らし、間髪入れずにすさまじい音量の雷鳴が炸裂しました。それはもう窓の前で何かが爆発したかのような音でした。その音を聞きながらぼくは考えました。ぼくはこれほどにきみを思っているけれど、きみはそれほどにはぼくのことを思いはしないだろうな、と。そう考えると「親愛なるきみへ」と書いたまま手が止まったままな理由がわかるような気がしました。

 

 幼い頃からぼくたちは一緒に遊びましたね。女の子なのに自分の事を「ぼく」というなんて変な奴だ、と男の子たちはぼくをいじめましたし、女の子たちは何も言わずにぼくのことを仲間はずれにしました。きみは決してそんな悪口を言いませんでしたし、仲間はずれにもしませんでした。そして他の子達に接するのとまったく変わりなく接してくれました。そのことがぼくは嬉しかったのです。もちろんきみは他の子達にも人気者でしたが、それでもぼくには、きみとたくさん一緒に時間を過ごした記憶があります。むしろ二人きりで遊んだ記憶がたくさんあります。

 

 休み時間きみとぼくは校庭の端でアリを観察しました。校舎の裏手の銅像の近くに「かくれが」もつくりました。当時流行していた布製のディスクを投げ合う遊びもきみが教えてくれて、二人で昼休みいっぱい投げ合ったことも覚えています。家に呼んでくれたこともありましたね。あのときはさすがに驚きました。こんなところに住んでいるんだ!って。きみは広い敷地内をあちこち案内してくれて、きみの秘密のお気に入りの場所まで教えてくれました。

 

 軽口を叩いてもいいですか? あんなことをされたらね、人はきみのことを好きになってしまうんですよ。

 

 そう。あの頃から、まだ幼かった小学生のあの頃からぼくはきみのことが好きでたまりませんでした。友達として大好きなだけでなく、もっとそれ以上の想いを持っていました。でもそんなことは決して口に出しませんでした。口に出しませんでしたし、態度にも表さないように気をつけていました。なぜなら、そんなことをしたら、いまの幸せな関係が壊れてしまうと思ったからです。自分のことを「ぼく」という女の子のことをきみは嫌いにならなかったけれど、女の子に恋をする女の子のことは嫌うかもしれない。そう考えたからです。

 

 女学生の時代も、大学に入ってからも、ぼくには忘れられないきみとの思い出がたくさんあります。同性の友達ということでぼくはきみのご家族からも安心して見られていたのでしょうね、きっと。ふたりきりで抜け出して、同世代の若者でごった返すあの有名な通りを行ったり来たりしたこともいい思い出です。ご家族に知られたらどんなお叱りを受けるかもしれない。そんな背徳感もきみとぼくを興奮させていたかもしれませんね。

 

 ねえ。やっぱりね、あんな時間を一緒に過ごしたら、好きにならないわけにはいかないんですよ。

 

 もちろん、きみが一緒に過ごした相手がぼくだけではないことくらい知っています。きみがほのかに想いを寄せた男の子のことだって知っています。だって、きみが話してくれましたからね。学友たちと平等にきみは接していました。きっと自分だけが特別な時間を過ごした、と思っているのはぼくだけではないでしょう。でも学生生活を終えたきみは、やがて家の務めが忙しくなり、もう気軽には会えなくなっていきました。

 

 あれからずいぶん長い時間が経ちました。きみは遠い人になってしまったけれど、そしてぼくはひとりの女性として結婚をし子どもを生み育て家庭を持ち子ども達が巣立ち、気がつけば孫の世話をするようになったけれど、こうして筆をとるときだけは、あのころのままのぼくに戻ります。そしていまもきみを想っています、狂おしいほどに。このことばがきみのところに届くことはないだろうから、こうして思い切ったことを書いています。

 

 もし誰かに見つかったとしても、おばあさんが少々頭がおかしくなったと思われるだけでしょうしね。

 

 先日の、きみの、国民に向けてのビデオレターを拝見しました。〈大災厄〉を経て、混乱する国民に向けて語りかけるきみの姿はとても美しかった! ぼくと同い年のおばあさんにはとても見えなかった。ビデオレターの中の美しいきみを見つめながら、ぼくは考えました。子どもの頃、冗談でよく話していたけれど、まさかきみが「君が代」の「君」になる日が来るとはね。あの大きな変動を経て、冗談が本当になってしまいました。そしてきみは親愛なる「君」になってしまった。ぼくだけでなく、学友だけでなく、国民全員にとっての。ああ、それだけじゃない。おそらくは個人としてのきみ自身にとっても。

 

 きみとぼくの親愛なるきみへ。

 

 と書き出すべきだったのかもしれません。冗談です。

 

 こんなことを書いて見つかるとぼくは不敬罪でつかまってしまうかもしれないけれど、国民に落ち着きを取り戻すように呼びかけるビデオレターの中に、きみが自分自身の死と、その先に訪れるであろう混乱をも乗り越えるようにというメッセージをぼくは聞き取りました。きみのような(つまり「君」のような)存在がいてもいなくても、一人ひとりの人間が互いに協力し合いながら自立して、誰かの言いなりになることなく生きてほしいという願いを聞き取りました。ぼくもそれを望みます。

 

 そして、きみが「君」でなくてもいい時代が来たら、あるいは、生まれ変わってきみとまた出会うことができたら、そのときはここに書いたような想いを直接、きみに語りかけてみたいと思います。それまでは、君が代が、千代に八千代に栄えることを祈ります。きみとぼくの親愛なるきみへ。いつか迷わず「親愛なるきみへ」と書ける日が訪れることも心から祈りつつ。

 

(「【きみとぼくの親愛なるきみへ】」ordered by 中西 須瑞化 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・おことばなどとは一切関係ありません。

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