第7話 【スカウターを手に入れたスーパーサイヤ人】SFPエッセイ107

 ヘラグチが逮捕されたのは電車の中だったという。本人の言葉によれば、ヘラグチは窓際の席に座っていて、ちょうど窓から海が見え始めたところだった。窓ガラスに額を押し付けて海面にちらちらと反射する日の光を見つめていたヘラグチが、ふと気配に気づいて隣を見るとよく知っている飲み友達が座っていて、しかし口を開けば「自分は警視庁公安部の者だ」と告げ、「ヘラグチ・アニクロウ。大麻所持の現行犯で逮捕する」と宣言した。

 

 今まで幾度となく急場を切り抜けてきたので、あまりにあっけない逮捕にヘラグチもおもわず声を上げて笑ったそうだ。逮捕した相手も、実はかれこれ2年越しくらい同じ飲み屋の常連として仲良くしてきた男なので、にっこりと微笑んだ。二人はそのまま電車に乗って熱海で降りて、東京に戻った。

 

 ヘラグチが大麻を吸っていたのかって? もちろん! ではその時大麻を持ち歩いていたのかって? とんでもない! ではどうして麻薬所持の現行犯で逮捕されたのかって? 飲み仲間の警察官が仕込んだのである。違法逮捕である。そんなことをしたらダメじゃないかとみなさんはおっしゃるかもしれないが、そんなことがいくらでも行われているのがこの東日本国という国なのだ。

 

 かく言うわたくしもずいぶんひどい目にあった。幸いなことにわたくしの場合は担当部署の上の方にわたくしと非常に仲の良い知人がいるおかげでいつもこと無きを得るのだが。ご存知のようにわたくしはメディアにもしばしば出演するし、自分自身のライブで熱狂的な信者のみなさんに向けてかなり言いたい放題言い放つので、すぐに官憲に目をつけられる。挙句に楽屋に戻るとわたくしの私物だという麻薬やら銃剣類やらがたくさん見つかった状態で逮捕されることになる。もう慣れたものだが。

 

 しかしながらヘラグチはこれが最初の逮捕だった。そして上層部にお友達もいないのでそのまま留置所に放り込まれ、送検され、罪が確定し、執行猶予なしで投獄された。たかが一介のダンサー風情が──ダンサーの諸君、失礼する。しかし、わたくしが多くのみなさんに「たかが歌い手風情」だと思われているのと同じ意味でヘラグチは「たかがダンサー風情」だということになるであろう──ダンサー風情がどうして逮捕されるのかといぶかしく思う人もいるだろう。わたくしにはわかる。わかります。

 

 ヘラグチのダンスは奴隷を扱う。文字通りの奴隷を。奴隷の暮らしを。そして奴隷を使役する者たちを。ダンスの中でも、パンフレットの中でも、インタビューの中でもヘラグチははっきりと言い放つ。この奴隷はお前たちだと。ローンで奴隷になり、契約で奴隷になり、就職で奴隷になり、結婚で奴隷になり、その家に生まれてきたことであらかじめに奴隷になることが定められているのだと。銀行に頭が上がらず、発注者に頭が上がらず、上司に頭が上がらず、配偶者に頭が上がらない。そして不本意なことをしぶしぶ実行する。こんなのは自分ではないと文句を言いながら、日々自分のためではないことに時間を費やす。あげくには時には追い詰められ死にいたる。

 

 それが奴隷でなくてなんだ? 奴隷なんだよ。お前たちは奴隷なんだよ。そして奴隷を使役している奴らがなぜそういう立場にいるかというと、こういうわけだ。

 

 それがヘラグチのダンス作品すべてに共通する要点であり、時にはユーモアをまじえ、時にはドラマティックに、時には告発するように、さまざまなタイプのダンスを踊ったが、すべてテーマの根幹は同じだった。しかもヘラグチはそれを公然と言ってまわった。だからこんな違法逮捕でつかまることになったのだ。

 

 保釈金が積まれて釈放されたあとの最初の作品は牢屋に入って奴隷になることに関する、とびっきりコミカルなダンスだった。これは大当たりをとった。投獄生活のみじめさ、屈辱もこめられていたが、そこに見られる滑稽なまでの権威主義をつつきまわし、からかい、笑いのめすものとなった。

 

 さらにもう一つ。ヘラグチのステージでは名物コーナーが誕生した。ダンスを踊る際にヘラグチは片眼鏡のようなものを装着するようになり、踊りながら観衆をチェックし、その中から公安の人間を特定し、ダンスの中の絶妙なタイミングでその人物の映像をスクリーンに大々的に映し出すようになったのだ。初めてこれをやったとき、晒し者にされた公安の人間の表情といったらない。これはいまもYouTubeで見ることができる。あるいは東日本国ではブロックされているかもしれないが、あまりにも面白いので世界中で拡散され、すでに500万人が閲覧した人気コンテンツとなっている。

 

 ヘラグチはその片眼鏡のことをブログに「スカウターを手に入れたスーパーサイヤ人の気分だ」と書いた。しかしわたくしに言わせれば、相手の戦闘力を測るだけのスカウターどころではない、とんでもない武器だと思う。そもそもどうやってたくさんの観衆の中から公安を見つけ出すことができるのか。それを考えればヘラグチにどんなバックがついたか容易に想像できるだろう。そもそも誰が保釈金を積んだのかも大きなヒントになる。上層部に非常に仲の良い知人がいる人物が手を回したのだ。

 

 その時点でヘラグチに残された時間はもうあまり長くなかったが、わたくしは彼のダンスを楽しんだ。こういう跳ねっ返りが大好きなのだ。安全なところにいてふんぞり返って何もしない奴らよりも、信じられないような工夫をして、実現不可能に思える表現を編み出し、おまけにたっぷり笑わせてくれるやつらが。ヘラグチが死に、彼の作品を見られなくなった時には本当にがっくりきた。けれど、彼の不在を補ってあまりある逸材に出会うことになる。それはまた後の話だ。

 

(「【スカウターを手に入れたスーパーサイヤ人】」ordered by 岩本 和佳-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・ドラゴンボールなどとは一切関係ありません。

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