第4話 【大晦日に味噌カツを】SFPエッセイ104 

 大晦日の「ミソカ」とかけて、大晦日に味噌カツを食べるようになってかれこれ30年ほど経つ。あれは確か学生時代に里にも帰らずぶらぶらしていた頃のことで、大晦日から正月にかけて一緒に過ごす相手もおらず時間を持て余し、どうせなら何か変わったものを食べようというので、街に出たところ「みそか」という文字が目に入って、ではその店にしようと入ったら「みそかつ」の店だった。

 

 以来、「大晦日に味噌カツを」がぼくの習慣となり、名古屋出身でもないのに律儀に守り続けている。現在に至るまでには、大晦日を一緒に過ごすパートナーがいたり、結婚して家族ができたり、日本にいなかったり、味噌カツが食べられなくなりそうなさまざまな障壁があったのだが、それらの試練を乗り越えて毎年必ず味噌カツを食べている。

 

 一度、両親と妹一家4人と我が家の5人の一族で年末年始をニュージーランドで過ごすことになって、大晦日にラキウラという島のホテルにチェックインした時にはさすがに無理だろうと思った。その午後一人で散歩する時間ができてぶらりと歩いていたところ、看板にジャパニーズ・サケ・バーと書かれた店を見つけ、もしやと思って覗いてみると日本の小料理屋風の店で、店主が名古屋出身だった。これはもうほとんど奇跡と言っていいが、そんなこともあって、やめるにやめられなくなっているのだ。

 

 一方で、味噌カツがそんなに好きかというと実はそれほどでもない。一年のうちで大晦日にしか味噌カツを食べない年もいくらでもある。一種のゲン担ぎのようなものともいえるが、別に何か願い事をするわけでもない。食後に歯を磨かないと気持ち悪いのと同じ程度に、大晦日になると味噌カツを食べたくなる。それだけのことだ。

 

 名古屋に住んでいるならともかくとして、そういう酔狂なことをする人がほかにいるとも思わなかったのだが、実はいた。しかもぼくのニュージーランドのエピソードなど、得意げに語るのも恥ずかしいほど艱難辛苦を乗り越えてそれを実行し続ける人々がいた。

 

 つい先日の大晦日、味噌カツに食傷気味の家族を置いて、ぼくは散髪をすると言って表に出て、なじみの味噌カツの店に入った。相席した男が話しかけてきて、「大晦日に味噌カツを」の話をすると、会員にならないかと誘われた。何の会だと尋ねると大晦日に味噌カツを食べる仲間の会だと言う。そんなものがあるのかと驚いて詳しく聞いたところ、だいたいこういう話だった。

 

 彼らの多くは名古屋出身者だが、もちろんそれだけではない。外国籍の人間もいる。そして驚いたことにそれは政治的な秘密結社でもある。では、そんなに簡単にぼくなどに話してしまったらいけないだろうと指摘すると、全然問題ないと言う。秘密結社でなくなってしまうではないかと尋ねると、信じる人などいないから大丈夫だと言う。むしろ面白がって真似をする人が出て来れば望ましいので、どんどん公開してくれ、大歓迎だとまで言う。

 

 彼らの目的は世界の名古屋化である。なぜ名古屋化なのかというと、ナゴヤ化は和やかに通じるのだという。世界を少しでも和やかにしたいのだと言う。大晦日に味噌カツを食べる人が増えれば、名古屋化が一歩進むのだそうだ。どこまで本気なのかわからないが、そういう話だった。

 

 馬鹿馬鹿しいと思った。けれど、そんな説明を聞きながら、ぼくは以前仕事で取材した名古屋大学の教授の言葉を思い出した。

 

 教授曰く、名古屋は東京、大阪の次の三男坊で、これからは三男坊の時代だということだった。東京は長男で、家からもしっかり資金援助を受けられる。親の干渉も多いが、その分しっかり分捕るものは分捕る。次男の大阪はふだんは放って置かれて自由にしているが、何か金のかかることがあると親に泣きつく。そして金を出してくれんかったらこの家がどないになってもええんやなとすごんですねをかじる。親の方も長男に何かあったら次男にしっかりしてもらわなければならないので、つい甘やかしてしまう。

 

 三男の名古屋にそんな駆け引きはできない。家庭内の財産の奪い合いからは蚊帳の外だ。早々に丁稚に出され、とっとと独立しろと言い聞かされ、稼ぐのも使うのも自力でやってきた。その分、限られた予算の中でやりくりしてアイディアをてんこ盛りにしたものづくりをする。つまりは日本の真ん中にあって大動脈を抑えつつ、親に従う振りをしながら、実質的には独立しているも同然なのだ、という話だった。和やかだなんていうのは隠れ蓑で、実際には名古屋化とは中央からの独立を意味しているのではないかとにらんだ。

 

 最後の味噌カツを口に放り込みながらそんなことを考えていると、男は名刺をテーブルに置きながら「入会の件、考えておいてください」と言った。ぼくがあいまいな笑みを浮かべて見上げると男は続けて言った。「ラキウラで店にいらしたときから声をかけようと思っていたんですよ」と言った。

 

 あ、あの時の! と思ったところで目を覚ました。ぼくには大晦日に味噌カツを食べる習慣もないし、ニュージーランドに旅行したこともない。今朝見た初夢の記録である。

 

パス1(「【大晦日に味噌カツを】」ordered by 稲葉 良彦-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・名古屋大学減災館長などとは一切関係ありません。

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