第2話 【地球人のみなさんへ】SFPエッセイ102

 さあ、そういうわけでそろそろお別れの時間が近づいてまいりました。

 

 ということでご挨拶をさせてください。月並みな言葉になってしまいますが、わたくしからは感謝の言葉しかありません。地球は本当に素晴らしい場所でした。初めてこの世界を訪れた時のことは、いまも忘れることができません。そこには危険なほどの美が存在しました。そしてその美は形を変えながらも、いまなお存在しています。まあ、かなり減ってはしまいましたが。

 

 長く同じ場所に暮らし続けると、だんだんありがたみがわからなくなってしまいがちなのですが、思い返すと、地球には驚異と呼ぶにふさわしいものがたくさんあります。光も、匂いも、味も、色も、音も、形も、温度も、硬さも、感触も、これほどまでに多彩な場所は他に滅多にありません。

 

 その全ての中心にあって、わたくしが最も愛しているのが水です。水はまさに驚異の根源です。

 

 水のおいしさについて、あるいは水の美しさについて、もしくは水の不思議について、そのどの話題についてもわたくしはいつまででも語り続けることができます。そして水の邪悪さ、水の危なさ、水の恐ろしさについても。水はとても素晴らしくもあり、とてもおぞましくもある。そしてその振れ幅の広さも含めて本当に驚異に満ちているのです。

 

 この惑星にはいろいろな呼び名がついているようですが、わたくしは「水の惑星」と呼ぶのが最もふさわしいと考えています。水が存在しなかったら、地球もまた、他の系の他の惑星同様、長くとどまるに値しない退屈な惑星になったことでしょう。

 

 それから、2番目の魅力として、正直に書くのは少々恥ずかしくもありますが、やはりおいしいものがたくさんあったことだと告白しないわけにいきません。同時に、わたくしにとってほぼ同じくらい魅力的だったのは、あなたがた地球人のみなさんの存在です。あなたがたがいなければ、わたくしの滞在はもっと退屈なものになり、もっと早くここを立ち去ることになっていたかもしれません。

 

 初めてこの惑星にたどり着いた時、豊富な水を前にして、もうこれで大丈夫だと安心したものですが、わたくしは生来食いしん坊なもので、すぐにもおいしい食事をしたくなりました。さまざまな土地を訪れ、土地ごとの豊富な資源に触れ、おいしいものを見極めようとしました。

 

 後には果樹の存在に気付き、また食用の植物にも気づくのですが、最初に口にしたのは動物でした。

 

 樹々の枝から枝に飛び移っていたそれを狩って、食べた時の感激は忘れられません。味わい豊かで、汁気にあふれ、噛みごたえも抜群でまさにわたくしのためにあつらえられたという印象でした。あれからわたくしは品種改良を重ねました。より大きく成長し、より長く味わえ、より食べやすく、よいおいしくなるように様々な工夫を重ねてきました。その品種改良の記録だけでも何冊も本が書けることでしょう。

 

 もっとも最初の頃は失敗ばかりでした。

 

 いくつも中断した品種があります。すぐ食べられるよう、極力短毛に、できれば無毛を目指していたのに、当初は何をやっても毛深いままでした。超短毛種に成功した時には肉が固すぎて食べられたものではありませんでした。味は良かったのに、性質が荒くなって手に負えなくなって泣く泣く処分した品種もありました。いまのような形になるまでには、実に根気のいる試行錯誤の歴史があったのです。現行の品種については、改良を重ねるごとに扱いが難しくなった側面もあります。脱走が頻繁に起きるようになり、追いかけ回した日々もありました。地球上のどこにいても容易につまみ食い感覚で採集できるようになった今となってはもう笑い話ですが。

 

 飼育小屋の、運動もできないような狭い空間に閉じ込めるのではなく、自由にのびのびと運動でき太陽の光を浴び、食べたいものをついばむことができる平飼いの方がおいしい。鶏などについてあなたがた地球人が話しているのを聞くと、我が意を得たりと感じます。平飼いのおいしさを知るのはあなたがたもわたくしも同じです。

 

 そうそう。品種改良と並行して、あなたがた地球人との交流が始まりました。これは嬉しい誤算でした。当初わたくしはこの惑星の生物に知性に関しては何も期待していませんでした。お恥ずかしい限りですが「おいしければ何でもいい」というのがわたくしの考え方でした。ところがあなたがた地球人は、全く予期していない驚きを与えてくれ、わたくしを喜ばせてくれました。

 

 時にあなたがたはわたくしのことをひどく恐れました。時にあなたがたはわたくしのことを過剰なまでに尊崇しました。悪魔と呼ばれたり、神と呼ばれたり、襲撃を受けたり、祭り上げられたり、なかなか忙しい日々でした。いくつも印象的なことを覚えています。あなたがた地球人はわたくしの名前で宗教を立ち上げました。そしてわたくしの名前の元に戦争を始め殺し合いました。そういう時、わたくしの名前は実際には飾りにすぎないことがすぐにわかりましたが、あなたがた地球人は少々増えすぎていたので、放置しました。本当はやめさせたい気持ちもあったんですけれどね。

 

 わたくしは地球人の男と交わり、子供を産みました。彼らはあなたがたからすると非常に長命になりましたが、亜種なので、それ以上の子孫を増やすことはできませんでした。ただし、彼らは血液の交換を通じて長命の遺伝子を“伝染”させる方法を見つけ出しました。やがて長命種は吸血鬼として恐れられるようになりました。

 

 そんなことも今は懐かしい思い出です。

 

 いまでもわたくしが住んでいるこのあたりでは、おいしい食べ物も手に入り、まだもうしばらく暮らすこともできるのですが、それもそんなに長くはないでしょう。地球のあちこちであなたがた地球人は過剰に集まって住むようになり、またそういう場所に住む者たちは危険な薬物を摂取するようになり、あなたがた地球人は食品としての価値を失いつつあります。

 

 とても成功した品種だっただけに、非常に残念です。

 

 現在あなたがた地球人は、わたくしが品種改良を重ねて完成させた状態から遠ざかりつつあります。特に、先進国や文明国と称する国の、それも大都市部の人間ときたら、とてもじゃないが食べられたものではありません。質の悪い合成物質や薬物まみれになり、体毛や皮膚に危険なものをぬりたくるようになったりして、非衛生的になってしまいました。

 

 そして先進国や文明国が撒き散らす汚染物質は、大気に乗り、潮流に乗り、全惑星規模に広まりつつあります。わたくしが愛する水と、水が育てた樹々と、樹々が調整する大気と、そういったものが今や、惑星全体に満遍なく汚染物質を拡散する役割を果たしているのです。皮肉なことですがそれが現実です。

 

 わたくしは清潔を愛する者なので、さすがにもうそろそろ潮時だと感じています。お別れの時が近づいてきました。地球人のみなさんへ。楽しい時間をありがとう。おいしい食事になってくれてありがとう。わたくしがいなくなった時、あなたたちは神がいなくなったと思うのか、もはや関係なく、それぞれの神を持ち続けるのか、非常に興味深いですが、それを見届けることはできません。またいつか立ち寄ることがあるかもしれませんので、その時の楽しみにしておきます。

 

 一つ大事なお願いがあります。

 

 いつかまたわたくしが立ち寄る時に、どうか生き延びていてくださいね。現在の汚染はあなたたちにとっても致命的な事態を招くはずです。そうです。あなたがた地球人が「気候変動」と呼んだり、「環境汚染」と呼んだりしているもののことです。わたくしのこれまでの経験から言うと、あなたがた程度の種はわりとあっさり滅びてしまいます。品種改良の中でもそれは確認済みです。どうか、そんなことにならないように工夫をしてくださいね。わたくしの目から見ても、あなたがた地球人にはその程度のことができる知性があります。知性を生かすのも、生かさずに滅びるのもあなたがた次第です。

 

 それではみなさん、御機嫌よう。さようなら。またいつか訪れるのを楽しみにしています。

 

(「【地球人のみなさんへ】」ordered by 冨澤 誠-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・宗教などとは一切関係ありません。

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