虚構エッセイ第2集「禁芸法時代」編
高階經啓@J_for_Joker
第1話【やんぬるかな!】SFPエッセイ101
それにつけても、やんぬるかな! である。
「やんぬるかな」というのは「已みぬる哉」が転じたもので「終わってしまったなあ」という慨嘆だ。「もうおしまいだ。お手上げだ。どうすることもできない」という嘆きだ。「ヤンバルクイナ」とかなり似ているけれど関係はない。関係はないと言い切れるほど自信があるわけではないが、関係があろうはずはない。「やんぬるかな」は慣用句のようなものであり、「ヤンバルクイナ」は鳥の名前である。
鳥の名前である。
と書いてから不意に本当にそうだっけと心配になって調べたら間違いなかった。沖縄本島北部に生息する鳥綱ツル目クイナ科の鳥だ。天然記念物に指定されており、IUCNレッドリスト、つまりいわゆる絶滅危惧種のカテゴリーでは「絶滅寸前」に位置している。なぜそんなことになったかというと、フイリマングースによる捕食が主な原因だという。ではフイリマングースとは何かというと、人間が持ち込んだのだという。どうして人間が持ち込んだのかというと、サトウキビ畑を荒らすネズミを駆除したり、毒蛇のハブの天敵になることを期待されたのだという。生物的防除と呼ぶのだそうだ。
で、現実にはどうなったかというと、フイリマングースはネズミを駆除せず、ハブも駆除せず(むしろハブに捕食されてしまい)、ヤンバルクイナを絶滅に追い込んだ。「生物的防除」どころか! ネズミやハブの駆逐という所期の目的は全く果たせず、ただ生態系を破壊しているだけだ。破壊された生態系がこの先どうなっていくのか誰にもわからない。生物的防除を唱えて鳴り物入りでフイリマングースを沖縄本島に放った動物学者は、とっくの昔に死んでおり、もちろん責任をとらせることはできない。
やんぬるかな! である。そういう意味では「ヤンバルクイナ」は「やんぬるかな」と同意語だと言っていいかもしれない。
人間はこういうことを繰り返してきた。目先の効果や利益に目が眩んで、その先がどうなるかを全然考えずに考えなしなことをする。フイリマングースを連れてきたものたちにも悪意はなかっただろう。少なくともそう信じたい。フイリマングースの導入で誰が儲けたか調べれば調べられなくもないだろうが、ここでは問わない。そんなことを調べ始めたらもっとたくさんの「やんぬるかな」を連発することになるかもしれないから。
とにかくフイリマングースは導入された。そしてフイリマングースはネズミの天敵にもハブの天敵にもならず、むしろハブの餌になった。この時点でもうこのプロジェクトは失敗である。でもなにしろ相手が自然界のなかでの出来事なので評価に時間がかかる。このプロジェクトが失敗だとわかるまでに何十年もかかった。その間に、導入した動物学者も役所の人間も引退したり死んでしまったりする。失敗とわかった時には責任を取るべき立場の人間はもう誰もいない。そして何の関係もないヤンバルクイナが絶滅寸前になる。
へんでろ毒の件もそうだ。
いまでこそ、へんでろ毒がサイコムのシステムから漏出することは広く知られている。けれど、当初それを指摘したわたしは愚か者呼ばわりされたものだった。曰く、新しいテクノロジーが出てくるとその価値もわからずすぐに叩く旧人類だ。曰く、サイコムをめぐる利権を陰謀と結びつける陰謀論者だ。曰く、ユダヤだのフリーメイソンだのイルミナティだのと騒ぐのと同類のトンデモだ。万年野党の息がかかったブサヨだ。誰かから金をもらったプロ市民だ。全部根も葉もない言いがかりだったが、当時、なんの後ろ盾もない学生に過ぎなかったわたしに反論の余地はなかった。
いまはどうだ?
へんでろ毒のことをみんな知っている。学名シアノバクター・ヘンデリ。感染するとあらゆる感覚機能に異常をきたす。コミュニケーション不能に陥り、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などあらゆる知覚が混乱する。知覚情報を処理をする脳の働きも阻害される。感染したものは誰しも幻覚と妄想の中に生きる状態になる。自然界への影響は「ある」とだけわかっていて、その実態はいまだ把握さえできていない。
サイコムのシステムはどうなった? テレパシーを可能にし、専用のデバイスに頼る通信を駆逐する、人類史上に残る画期的な発明として注目を浴びたサイコムはどうなった? 日本が再び世界をリードする切り札としてもてはやされたサイコム特区はどうなった? サイコム特区に麗々しく掲げられた「明るい未来のテクノロジー」の看板はどうなった? いまやサイコムは禁止され、特区はゴーストタウンとなり、看板は撤去された。
やんぬるかな! である。
そういえば「へんでろ毒」も「やんぬるかな」と響きがよく似ている。人類を丸々10年間に及ぶ悪夢に叩き込んだ「へんでろ毒」は、まさに「やんぬるかな」の象徴と言えなくもない。悪夢を招いたのは「今さえよければいい。ツケは先の世代が払えばいい」という当時の為政者の姿勢だ。ツケをふくれあがらせた上の世代は、自らは荒稼ぎしてぶくぶくと肥え太り退場し、後代の我々がすべてのツケを払わされる。それどころかもはやツケを払うことすらできない状況に追い込まれる。
やんぬるかな! である。
この文章を書いている途中で、沖縄に住む友人から連絡が(もちろんサイコムではなく、物理的な回線を使った古典的な電話で)入った。フイリマングースを狩るヤンバルクイナの群れが見つかったというのだ。
ああ。
この話を希望と見なすべきなのか、人間の愚行がもたらす災厄の新しい局面と見なすべきなのか、わたしにはわからない。でも、もしも、まだ「おしまい」でないのなら、まだ「お手上げ」でないのなら、まだ何かできることがあるのなら、わたしはヤンバルクイナの姿に希望を見出したい。
起きてしまったことはもう取り返しがつかない。そして未来に何が起きるかわからない。予測不能だ。ただ我々は失敗から学ぶことはできる。もう二度と、後の世代にツケを払わせるような者どもに何かを任せることはしない。目先の利益と効率しか見えない危険な未熟者に世界を委ねたりは、決してしない。
(「【やんぬるかな!】」ordered by 松田 仁-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・東京電力福島第一原子力発電所事故などとは一切関係ありません。
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